カシオ/G-SHOCK 5000シリーズ Part.2

FEATUREアイコニックピースの肖像
2024.03.04

1983年にリリースされたG-SHOCKは、そもそも純然たる実用時計として生まれたものだった。しかし興味深いストーリーや、さまざまなモデルは、やがてG-SHOCKに人々の耳目を集めさせるようになった。今やアイコンへと成長を遂げたG-SHOCK。今回取り上げるのは、定番中の定番である5000/5600系だ。

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2023年11月号掲載記事]


角型G-SHOCKの変遷
~立体商標登録と耐衝撃構造の進化~

 1983年のデビュー以来、ほとんど形を変えないG-SHOCKの5000/5600系。それ故にこのコレクションはやがてアイコンとなったが、中身に目を向けると、変わらぬ外装とのギャップに驚かされる。いかにしてG-SHOCKは、耐衝撃性能を落とすことなく、多機能化を果たしたのか?

DW-5000Cの設計図

DW-5000Cの設計図。赤はウレタン、青はゴムを示す。いずれもショックを吸収する素材である。注目すべきは、ベゼル(ケースカバー)の表示。他の部材に同じく、ショックを吸収する「Damper」と記されている。

 1983年に登場したG-SHOCK DW-5000Cは、腕時計の理想である「止まらない」「狂わない」、そして「壊れない」をついに実現した時計だった。70年代以降にクォーツムーブメントが普及したおかげで、前者ふたつはほぼ実現を見た。しかし、壊れないという課題は相変わらず残り続けた。

 時計が壊れる要因は大きく3つある。水、磁気、そして衝撃だ。水に関して言うと、60年代以降にOリングが普及することで、腕時計の防水性能は大きく改善された。磁気は今なお問題だが、機械式時計に比べると、クォーツ、とりわけデジタルクォーツ時計ではほぼ問題にならなかった。しかし、ショックという課題だけは、解決の方法がなかった。

DW-5000Cの概念図

DW-5000Cの概念図。モジュール(ムーブメント)とケースの間に中空を設け、その間に緩衝材を挟むという構成が描かれている。似たアイデアはすでに存在していたが、上下方向のショックを吸収する点が異なる。

 かのアブラアン-ルイ・ブレゲは、テン真に「パラシュート」サスペンションを加えることで、懐中時計の耐衝撃性を改善した。30年代に発表された腕時計用の耐震装置「インカブロック」も、基本的なアイデアはブレゲのパラシュートに同じだ。しかし、腕時計の活躍するフィールドが広がると、さらなる耐衝撃性能が求められるようになった。腕時計で初めて耐衝撃性能の改善に取り組んだのが、67年のIWC「ヨットクラブ」である。これはムーブメントに加わるショックを緩和するため、ムーブメントホルダーとケースの間に、複数のラバーブロックを埋め込んだものだった。時計史という長いスパンで見ると、腕時計らしからぬ耐衝撃性能を誇るG-SHOCKも、ヨットクラブ以降の流れを汲むものと言える。

 83年に発表された初代G-SHOCK DW-5000Cは、ヨットクラブに似た耐衝撃機構を備えていた。しかし、それ以上の工夫を加えていた。

耐衝撃構造の概念図

耐衝撃構造の概念図。G-SHOCKの非凡な耐衝撃性能は、複数の吸収構造から成り立っている。この図が示す通り、モジュール回りだけで、衝撃を緩和する部品は5種類もある。軽量なモジュールに対しては過剰なほどの数だが、結果としてこれが、G-SHOCKに抜きんでた耐衝撃性能をもたらすこととなった。

 ヨットクラブに始まる耐衝撃ウォッチは、後年の「インヂュニア」にせよ、ジンの「244」にせよ、横方向からの衝撃しか吸収できなかった。雑な例えだが、これは肉抜きしたスペーサーで耐衝撃性を改善した、オメガ「スピードマスター」の改良版と言えなくもない。オメガは時計を軽くするという理由でスペーサーを肉抜きしたが、これは、耐衝撃性能の改善という副産物をもたらした。その肉抜きしたスペーサーの外周にラバーブロックを差し込めば、十分な耐衝撃機構となる。ちなみに72年のオーデマ ピゲ初代「ロイヤル オーク」も、ムーブメントホルダーの外周を筒状のラバーで囲み、耐衝撃性を改善する手法を採用していた。これらに共通するのは、スペーサーを改善するという思想だ。

DW-5000Cの設計図

必要な部品を描いた設計図。耐衝撃性を高めるための新規部品は、かなり数が多い。

 ムーブメント(カシオはモジュールと呼ぶ)とケースの間に緩衝材を埋め込んだのは、G-SHOCKも同じである。しかし、左右だけでなく、上下方向にも加えたのが決定的な違いだった。また、ムーブメントとケースにクリアランスを設けたのも、今までにはない試みだった。つまりG-SHOCKは、全方向に対応した耐衝撃時計となったのである。多くの資料が記すように、伊部菊雄氏は公園で見かけたボールを、腕時計で再現しようと考え、この設計に至ったのである。

 DW-5000Cが全方向にショックを吸収する緩衝材を持てた理由は、採用した240というデジタルモジュールが薄くて小さかったためである。そもそもデジタルムーブメントは、歯車のような可動部品を持たないため、アナログに比べて耐衝撃性がはるかに高い。それを緩衝材で支えたのだから、無類の耐衝撃性能を持つのは当然だった。しかも、DW-5000Cは外装カバーもショックを吸収する樹脂製(ケース自体はステンレススティール製)で、「全方向カバリング」という形状を持っていた。これは時計の落下時に、突出したベゼル全体がモジュールと直結しているボタンをガードし、ガラス面も保護するもの。また、バンドとケースの接続部をカーブ状に固定することで、バンド自体がショックアブソーバーの役目を果たすデザインとなっていた。

DW-5000Cの設計図

液晶表示の設計図。小さなモジュールで最大の液晶面積を得るため、液晶はモジュールの直径ギリギリまで拡大された。

 結果として、G-SHOCKは当時の時計としてはあり得ない大きさになった。カシオの社内でも、そのサイズに対して否定的な意見が多かったが、時計に実用性を求めるアメリカ人にとって、そのサイズは問題にならなかったようだ。200m(後に20気圧)もの防水性能と、アイスホッケーのパックのように扱っても壊れない頑強さがあれば、時計が大きくても気にならなかったのである。そしてこのサイズは、やがて時計のトレンドに大きな影響を与えることになる。かのフランク・ミュラーはこう語った。「時計がビッグサイズになるのは当然だ。というのも、若い世代は、みんなG-SHOCKで育ったからだよ」。耐衝撃性を高めるために、腕時計らしからぬ大きさを持つに至ったDW-5000C。しかし、意味のあるサイズは、ビッグウォッチというカテゴリーを開いたのである。

 同じモジュールを共有するG-SHOCKは、バリエーションを増やすのが容易だった。86年にはマッドレジストを謳った「DW-5500C-1」が、88年にはサイズを縮小したDW-500C-1がリリースされた。ちなみにこのDW-500C-1は「BABY-G」のルーツにあたる。

DW-5600C

[1987年]DW-5600C
1987年6月に発売された、DW-5000Cの後継機。映画「スピード」で使われることにより、世界的な人気を博した。防水性能の表記は、国内版は20BAR、海外版は200Mと分けられるようになった。クォーツ(Cal.691、後に901)。樹脂×SSケース。販売当時の価格9800円。

 一方、5000系を祖とするオリジナルモデル(以降便宜的に5000/5600系という)は、見た目を変えずに、中身を進化させていった。DW-5000Cのバリエーション違いとして、84年6月にはDW-5200C-1が、87年6月にはDW-5600Cが発表された。5000/5600系の歴史を考えるうえで、5600Cは決して欠かせない存在だ。映画「スピード」で主人公を演じたキアヌ・リーブスがDW-5600Cを着けたことで、G-SHOCKは世界的な人気を得たのである。対してカシオは、96年にDW-5600Cの復刻版であるDW- 5600Eをリリースした。

DW-5600E

[1996年]DW-5600E
5600Cの復刻版が、1996年6月に発売された5600Eである。ELバックライトのフォックスファイアーを採用する。今なおラインナップに残る、G-SHOCK不動の定番だ。クォーツ(Cal.1545)。樹脂ケース(縦48.9×横42.8mm、厚さ13.4mm)。1万2100円(現行品の価格)。

 当初の5600Cが載せていたモジュールは、240の後継機である690だった。しかし、後にさらに改良を加えた901に置き換わり、5600Eが搭載したモジュールでひと通りの完成を見た。これは、暗闇でも鮮やかに発光するELバックライト「フォックスファイアー」を加えたもの。カシオは94年のDW-6600Bで採用したELバックライトを、2年後の5600Eに転用したのである。ちなみにこのDW-5600Eは、今なおカタログに残り続けている。

 モジュールの進化に伴い、5600系はさらなる進化を遂げた。2002年のG-5600は、5000/5600系のデザインを変えずに、太陽光で充電するタフソーラーを加えたモデル。G-SHOCKのような小さな液晶にソーラーパネルを重ねるのは技術的に難しいが、モジュールの省電力化により、従来の液晶サイズを変えることなく、タフソーラー化に成功した。また、モジュールの厚みが増えるのを受けてケースも変更された。金属補強板をインサートしたファイバー入りの強化樹脂ケースにより、機能を増す一方で、ケースの厚みを抑えたのである。

G-5600

[2002年]G-5600
5000/5600系としては初めて、光発電のタフソーラーを採用したモデル。2002年9月発売。光発電を採用したにもかかわらず、ケースサイズは5600Eとほぼ同じだ。クォーツ(Cal.2597)。樹脂ケース(縦48.9×横43mm、厚さ13.7mm)。販売当時の価格1万4000円。

 省電力化をさらに推し進めると、時間を修正するための電波も搭載できるようになる。光発電+電波時計となった05年のGW-5600Jは、「狂わない」「止まらない」「壊れない」をさらに推し進めたモデルとなった。後にこのモデルは、世界5局(日本2局、北米、欧州2局)の標準電波を受信する、マルチバンド5に対応するようになった。これが08年のGW-M5600だ。マルチソーラーモデルはさらに進化を遂げ、12年には世界6局の電波を受信できる、GW-M5610となった。

GW-5600J

[2005年]GW-5600J
G-5600に電波受信機能を加えたモデル。2005年2月発売。受信アンテナを加えた結果、ケースはわずかに大きくなった。後にマルチバンド5対応のGW-M5600に置き換わった。クォーツ(Cal.2597)。樹脂ケース(縦50×横43mm、厚さ13.4mm)。販売当時の価格1万9000円。

 20気圧防水と高い耐衝撃性はそのままに、時計としての機能を充実させてきたG-SHOCK。可能にしたのは、カシオがモジュールの開発において、十分なノウハウを蓄積したためだった。とりわけ、省電力化を進めることにより、5600系は、デザインとサイズ、そして重さをほぼ変えることなく、多機能化を成し遂げてきた。

 さらなる多機能化のきっかけは、外部機器との連携である。カシオは11年のコンシューマー・エレクトロニクス・ショー(CES)で、Bluetoothによるスマートフォンと連携可能な腕時計を参考出展。翌12年3月には、G-SHOCKの「GB-6900」で製品化した。これは、スマートフォンに連動して時刻を自動修正するだけではなく、通話やメールなどの着信通知をG-SHOCKで確認できるというもの。加えて、その操作のために、専用のアプリである「G-SHOCK App」を用意していた。そう言って差し支えなければ、GB-6900とは、今のスマートウォッチの先駆けだった。しかも、省電力化を推し進めたカシオらしく、通信機能を1日に12時間使用しても、理論上は約2年のバッテリー寿命があった。

 このBluetooth機能を転用したのが、同年のGB-5600AAである。当時のBluetoothには切れやすいなどの問題があったが、以降カシオはこの問題をクリア。最新作のDW-H5600では、トレーニング分析データなどがスマートフォンで見られるようになった。

GB-5600AA

[2012年]GB-5600AA
腕時計とBluetoothを連携させた黎明期の試み。写真が示す通り、メールの受信などを確認できた。2012年11月発売。翌年にはモジュールが3419に置き換わった。クォーツ(Cal.3409)。樹脂ケース(縦48.9×横42.8mm、厚さ13.8mm)。販売当時の価格1万9000円。

 1983年以降、大きく進化を遂げてきたG-SHOCK。しかし、5000系/5600系に関する限り、耐衝撃性機構に大きな違いはない。強いて言うと、インナーケースの構造が異なる程度だ。初代のDW-5000C以降、5000/5600系のG-SHOCKは、ステンレススティール製のインナーケースと、ねじ込み式の裏蓋を備えていた。対して、96年のDW-5600E以降は、樹脂製のインナーケースと、ネジ留め式の裏蓋に改められた。

 理由のひとつは、おそらくコストダウンだろう。低価格帯のG-SHOCKに、ねじ込み式のステンレススティールケースを使うのは割に合わない。もっともDW-5000Cと後継機の5600Cを見ると、別に理由があったのではないかと思える。普通、ねじ込み式の裏蓋を採用するには、外側にある程度の肉厚を残す必要がある。しかし、このふたつにはギリギリの厚みしか残されていない。であれば、インナーケースを樹脂に改め、ネジ留め式にした方が、左右方向の余裕は持てるだろう。つまり、耐衝撃性は改善できる。おそらくは、それが本当の理由ではなかったか。ちなみに96年のDW-5600は、筆者の知る限りで言うと、世界で初めて、ネジ留め式の裏蓋で200m防水を実現した時計である。今でこそネジ留めで200m防水は珍しくないが、90年代当時ではほかにはなかった。また、それを意図したかは不明だが、ケース構造を改めることで、以降の5000/5600系は、モジュールを容易に多機能化できるようになった。メタル製のインナーケースを持っていたならば、ケースの厚みと大きさを増すことなく、機能を増やすことは不可能だっただろう。

 そんな5000/5600系は、2009年のGW-5000-1 JFで再びねじ込み式の裏蓋に回帰した。電波時計でありながらも、ミドルケースと裏蓋にステンレススティールを採用したこのモデルは、カシオが進めた省電力化の大きな実りだった。また本作は、メタル化による価格の上昇が許容されるほど、G-SHOCKのブランド価値が上がったという証しでもあった。このモデルの後継機が、21年に発表されたGW-5000U-1Fとなる。これは、現時点における5000/5600系の集大成だ。

GW-5000U-1F

[2021年]GW-5000U-1F
2009年に発表された5000-1の後継機。メタルケースにねじ込み式の裏蓋などは同じ。ただしELライトの色などが変更された。機能は増えたが、サイズはDW-5600Eにほぼ同じだ。クォーツ(Cal.3495)。樹脂×SSケース(縦48.9×横42.8mm、厚さ13.5 mm)。1万9000円(現行品の価格)。

 ちなみに、樹脂外装をメタルに改めたモデルには、GMW-B5000とMRG-B5000がある。前者は、ベゼルとケースの間にファインレジン製の緩衝パーツを実装して、耐衝撃性能を高めたもの。後者は、さらにT字バーと板バネからなるサスペンションを加えたモデルだ。耐衝撃性能で言えば、このふたつは、現時点における究極だろう。

 1983年以降、ほぼデザインを変えずに作られてきたG-SHOCK 5000/5600系。しかしそれ故に、無数のコピー品が生まれることとなった。カシオが、そのデザインを保護しようと考えたのは当然だろう。同社が選んだのは、一般的な意匠登録ではなく、より強い拘束力を持つ立体商標登録だった。大きな違いは期間である。意匠登録で得られる期間は最長で25年だが、立体商標は、10年ごとの更新さえすれば、半永久的に持つことができる。つまり、立体商標を得ると、他社は模倣品を作れなくなるわけだ。しかし、そのハードルは極端に高い。2022年に国内で登録された商標は約18万件。そのうち、立体商標登録は約200件で、文字のないものに限れば50件、さらに使用による識別能力が適用されたものは3件しかないのである。しかしカシオは十分な資料を集め、認知度の調査などを加えることで、腕時計全体としては初となる立体商標登録を、23年6月26日に獲得した。つまり5000/5600系のデザインは、他には真似のできないアイコンとして、認められるようになったのである。

 耐衝撃性を高めるという目的のために作られたDW-5000Cは、そう言って差し支えなければ、史上最も合目的的な腕時計だった。その機能は腕時計の在り方を変え、今やそのデザインも、アイコンとして残ることになった。カシオの生真面目さは、数十年を経て、大きく花開いたのである。



Contact info: カシオ計算機お客様相談室 Tel.03-5334-4869


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