アイコニックピースの肖像 IWC/ポルトギーゼ

FEATUREアイコニックピースの肖像
2020.05.28

リスボンからワールドワイドへ
マリンクロノメーター級の高精度を目して

1939年に登場したポルトギーゼ。船乗り用のニッチな時計でしかなかったこの大ぶりな高精度機は、やがてIWCの基幹コレクションへと発展を遂げた。クラシカルな意匠や、大ぶりなサイズが理由ではない。高い視認性と高精度という、腕時計には不可欠な要素を備えていたためである。

 1939年に登場した「ポルトギーゼ」。そのきっかけは、30年代にふたりのポルトガル人がIWCの本社を訪れたことにある。彼らの名はロドリゲスとティシャイラ。ロドリゲスは、リスボンの時計店「ロドリゲス・エ・ゴンサウヴェス」のオーナーであり、後に彼の要求から生まれたポルトギーゼを多く販売した。もうひとりのティシャイラが誰かは記録に残っていないが、おそらくロドリゲスの関係者だろう。ふたりのポルトガル人は「スティールケースを持ち、マリンクロノメーター級の精度を持つ時計が欲しい」とIWCに語ったらしい。

 当時のIWCは、おそらくロジェール・ピュゾーが手がけたであろう、高精度の腕時計用ムーブメントを数多く擁していた。しかしロドリゲスはそれには満足しなかったのか、マリンクロノメーター級とわざわざ注文をつけている。

 彼らの要求を受けたIWCは、高精度で薄い懐中時計用のキャリバー74を、無理やり腕時計に載せてしまった。直径42㎜という、当時としては無類に大きな腕時計の誕生である。

ポルトギーゼ
1942年に製造された、第1世代のポルトギーゼ。搭載するのは薄型手巻きのCal.74である。その生産本数は、約304本とされている。生産年度は1939年から44年(52年、51年説もあり)。後に第2世代に置き換わった。SS(直径42mm)。IWCミュージアム蔵。

正真正銘の“ポルトギーゼ=ポルトガル向け”である証しは、ラグ上の刻印から読み取れる。当時ポルトガルに輸出された時計は、例外なくラグ上にこの刻印が打たれた。つまりこの刻印を持つポルトギーゼは、リスボンの“ロドリゲス・エ・ゴンサウヴェス”で販売されたと考えていいだろう。

 おそらくロドリゲスとティシャイラは、船長などが使う腕時計が欲しいとも語ったのではないか。でなければ、この時計には頑強で分厚いキャリバー53を載せたはずであり、ケースサイズもさらに大きくなったはずだ。IWCはぎりぎりドレスウォッチとして使える意匠とサイズ感をこの時計に盛り込み、それはやがてポルトギーゼの個性ともなる。もっともIWCは、この時計が売れるとは思っていなかったのだろう。文字盤や針には、一部の例外を除いて、懐中時計のものをそのまま転用し、それもまた、ポルトギーゼのドレスウォッチ感を強調した。

 1939年の「第1世代」が載せていたのはキャリバー74。44年からは、当時最新のキャリバー98を搭載した「第2世代」に置き換わった。記録によると、この第2世代は58年まで製造されたという。

 ただし、当時はそのサイズ感が敬遠されたのだろう。高精度と優れた視認性にもかかわらず、ポルトギーゼは一貫してニッチな存在であり続けた。筆者の知る限り、オリジナル・ポルトギーゼの多くはポルトガルと、後年に東欧やドイツに輸出されたのみである。なぜ東欧に出荷されたのかは分からないが、もしかすると、将校が軍用時計として使ったのかもしれない。少なくとも、懐中時計用のムーブメントを載せた軍用腕時計の多くが、東欧向けであったことは事実である。

Cal.74
1913年初出。Cal.73をサボネット型に改めたムーブメントである。なおポルトギーゼが搭載したのは、リュウズでセッティングができる通称Cal.74A。1930年にかけて約1万5000個が製造されたとされる。直径38.35mm。16石。1万8000振動/時。

Cal.98
第2世代以降が採用したCal.98。97のサボネット型である。67年には耐震装置付きのCal.982に、93年には専用の装飾が施されたCal.9828に改良された。Cal.98自体の製造個数は約1200個。直径37.8mm。17石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約40時間。

 この奇妙な高精度機が再び注目を浴びるのは、70年代のことである。当時のIWCは、50年代に製造したケースをまだ在庫として抱えていた。おそらくは、そのケースを処分するためだろう。IWCは生産休止になったポルトギーゼを再びリリースするのである。これが〝ジャーマンエディション〟こと「第3世代」である。

 こうした経緯のためか、ジャーマンエディションの針や文字盤は、当時の懐中時計が使っていたものにまったく同じであった。文字盤や針のマッチングが合わない個体もまま見られるが、これがオリジナルだったのである。生産本数は、最小で83本から、最大で156本。コレクターの一般的な見解に従うならば、100本程度だろうと思われる。

(左)[1993] ポルトギーゼ・アニバーサリー・リストウォッチ1993 “PISA”
ポルトギーゼ・ジュビリーの追加モデルが、1993年の通称“ピサ”である。ミラノの時計商、ピサの創業50年を記念して、計50本が製作された。スペックはポルトギーゼ・ジュビリーにまったく同じ。しかし文字盤とムーブメントの刻印が異なる。
(中)[1998] ポルトギーゼ・クロノグラフ
ポルトギーゼの名を広めた立役者が、1990年代半ばに登場したポルトギーゼ・クロノグラフ。比較的小ぶりなケースと、極めて精度の高い自動巻きムーブメントを搭載する。自動巻き(Cal.79240)。31石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約44時間。18KRG(直径40.9mm)。164万3250円。
(右)[2000] ポルトギーゼ・クロノグラフ・〝Royski〟
ポルトギーゼ・クロノグラフの限定版が2000年の“ロイツキ”。オーストリアの時計商向けにPtが15本、18KRGが87本製作された。自動巻き(Cal.79240)。31石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約44時間。Pt(直径40.9mm)。参考商品。

 このモデルを焼き直ししたのが、93年の125周年記念モデル「ポルトギーゼ・ジュビリー」であった。少なくともそのケースは、スナップバックがトランスパレント化された以外は、ジャーマンエディションに同じであった。オリジナルよりラグが長いために、ケースは別物だという意見もあるが、40年代の第2世代にも、ジュビリー同様にラグの長いモデルは存在したし、ジャーマンエディションもラグは長かった。ただしIWCが、ジュビリー向けにムーブメントとケースを〝新造〟したことは確実なようだ。

 ジャーナリストではなく、一愛好家としての見解を述べさせて頂くならば、これこそがポルトギーゼの完成形であり、今なお最も望ましい腕時計のひとつである。視認性の高い文字盤に、超高精度なムーブメントを収め、しかも今もって実用に足るジュビリーとは、強い趣味性を打ち出しながらも、その実、高度に実用的な時計だったのである。

[2008] ヴィンテージコレクション ポルトギーゼ・ハンドワインド
2008年初出。Cal.982をジョーンズキャリバー風に改めた、Cal.98295を搭載。確かに完成度は高いが、ポルトギーゼの在り方からすると、少し異質な時計であった。手巻き。18石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約46時間。18KWG(直径44mm)。参考商品。

 クラシカルなジュビリーの成功を受けてか、以降のIWCは手巻きポルトギーゼの意匠を古典に振った。代表作は「F.A.ジョーンズ」や「ヴィンテージ・ポルトギーゼ」、または「ハンドワインド・ピュアクラシック」である。いずれも良くできた時計ではあったが、正直にいうと、筆者の琴線に触れるものではなかった。この当時、むしろポルトギーゼらしい魅力を備えていたのは、手巻きよりも自動巻きではなかっただろうか。90年代の「ポルトギーゼ・クロノグラフ」や、2000年以降の「ポルトギーゼ・オートマティック」などは、ポルトギーゼの名に恥じない高精度ムーブメントを搭載していた。とりわけ05年以降のオートマティックは、緩急針のないフリースプラングと、2万1600振動/時という相対的に高い振動数により、いっそう高い精度を持つに至っている(これ以前のモデルはやや精度が安定しなかった)。これは13年に発表された「ポルトギーゼ・クロノグラフ・クラシック」も同様だろう。設計者であるステファン・イーネンが述べたように、この自動巻きクロノグラフは、68時間というロングパワーリザーブに、効率の良い新しいペラトン自動巻き、そしてフリースプラングを備えていた。

 加えてこれらの時計は、ノーブルな意匠ながらも、優れた仕上げの外装を持っていた。つまり一個の時計として、非常にバランスが優れていたのである。

(左)[2010] ポルトギーゼ・オートマティック
自社製のCal.51011を搭載したポルトギーゼ。いわば“ポルトギーゼ2000”のレギュラー版である。ムーブメントの熟成が進んだ結果、非常に優れた精度を持つ。自動巻き。42石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約168時間。18KRG(直径42.3mm)。参考商品。
(右)[2013] ポルトギーゼ・クロノグラフ・クラシック
2013年初出。クラシックと銘打ってはいるが、高精度な自社製自動巻きムーブメントを搭載した現代的な実用機。内外装のバランスに非常に優れている。自動巻き(Cal.89361)。38石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約68時間。SS(直径42mm)。136万円。

 こうした点から評価すると、13年に発表された「ポルトギーゼ・ハンドワインド・エイトデイズ」は、なおいっそうポルトギーゼらしい。搭載する8日巻きは、フリースプラングに巻き上げヒゲを備えた最新版であり、意匠面も、3時位置に設けられたカレンダー表示以外は、オリジナルを思わせるものであった。高精度なドレスウォッチというポルトギーゼの在り方を考えれば、これはもっとも望ましいもののひとつだろう。しかも、総合的に性能が上がったにもかかわらず、ケースサイズは1ミリ縮小され、厚さも2ミリ増に抑えられている。

 正直、歴代ポルトギーゼのすべてが好ましいものとは言い切れない。しかしポルトギーゼが目指した高精度や優れた視認性といった要素は、時計にとって普遍的な価値である。そして復刻以降のポルトギーゼは、その大きなサイズを生かして、こういった要素を高度に両立させてきたのである。

 もちろんそれを可能にしたのが、40ミリを超える、デビュー当時は奇異にさえ見えたケースサイズであった。筆者は一貫して、いわゆる〝デカ厚〟を好まない。しかし理由を伴った大型時計には価値があると考えているし、それはつまり、ポルトギーゼのことなのだ。筆者にとって、ポルトギーゼほど興味をそそる対象は他にないのである。

シンプルなポルトギーゼが成功を収めた一因は、精密な外装にもあった。(右)立体感を増した文字盤。インダイアルを深く彫るのが近年のIWCの好み。過剰でないツヤの落とし方も上品だ。(左)立体的な針。「ポルトギーゼ・ハンドワインド・エイトデイズ」同様、針の下に袴座を入れて、針と文字盤の隙間を解消しているのが分かる。