パネライ/ラジオミール

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.02.14

時計好きならば、知らぬ人のいないラジオミールコレクション。1936年に登場し、やがてパネライの高級ラインを担ったこのコレクションは、紆余曲折を経て、今や良質な実用時計に落ち着こうとしている。その歩みを、ファーストモデルから振り返りたい。

ラジオミール

吉江正倫、三田村優:写真
広田雅将(本誌):取材・文
[連載第49回/クロノス日本版 2019年1月号初出]

あらゆるダイバーズウォッチの道筋をつけた
自発光/高圧防水時計の始祖

ラジオミール

ラジオミール[1936年製]
ラジオミールのプロトタイプ。オリジナルは真鍮の針だが、スティールに変更されている。インデックスと針に盛られた自発光塗料が名前の由来となったラジオミールだ。手巻き(ロレックス Cal.600系)。17石。1万8000振動/時。スティール(直径47mm)。パネライ蔵。

 時計としてのパネライ「ラジオミール」が、初めて公式の資料に現れたのは、1936年3月のことである。直径47mmという巨大なケースを持つこの時計は、自発光塗料入りの針とインデックス、そしてねじ込み式の裏蓋とリュウズを持つ、本格的な防水腕時計だった。加えてラジオミールは、当時ポピュラーだったガラスではなく、最新のアクリル製風防(資料によるとパースペックス)を備えていた。水中でも時間が見やすく、防水性が高く、そして割れにくい風防を持つラジオミールは、ダイバーズウォッチの先駆け、だったのである。

 ちなみにラジオミール、という奇妙な名前は、この時計のために作られたものではなかった。第1次世界大戦中に、パネライ創業家のジュゼッペ・パネライは、ラジウムベースの新しい自発光塗料を発明。独自性を強調するため、彼はこの塗料に、ラジオミールという造語を与えたのである。資料によると、ラジオミールという名前が初めて出てくるのは、1916年の3月23日のことだった。

 燐光性の硫化亜鉛、臭化ラジウムとメソトリウム、ラジウムとアクチニウム同位体からなるラジオミールは、極めて優秀な自発光塗料だった。以降、イタリア海軍はパネライから数多くの〝ラジオミールチューブ〟を購入し、おそらくはイタリア以外の軍も同じだっただろう。事実パネライは、ラジオミール塗料に関して、イギリスとフランスで特許を取っている。そう言って差し支えなければ、仮にラジオミールがなければ、フィレンツェの小さな計器工房がイタリア海軍との関係を深めることもなく、やがてパネライウォッチが世に出ることもなかっただろう。それぐらい、パネライにとって、ラジオミールとは重要なものだったのである。

 では、自発光塗料のラジオミールは、いかにして時計のラジオミールに転じたのか。資料は残されていないが、推測は可能だ。1935年10月にイタリアがエチオピアに侵攻すると、強大な地中海艦隊を持つイギリスとの関係は悪化した。総トン数でイギリス海軍に及ばなかったイタリア海軍は、小さな潜水艇(トルピード・ボート)を使って、イギリス海軍を攪乱しようと考えた。それに先立つ1カ月前には魚雷艇と乗員向けの装備品テストが始まり、その中には、当然腕時計が含まれていた。以降イタリア海軍は「潜水時計」をテストしたが、ひとつは輝度が弱くて防水が不完全であり、バッテリーで発光するタイプの潜水時計は、そもそも実用さえ難しかった。唯一残ったのが、パネライ製の防水時計、ラジオミールウォッチだった。

ラジオミール

ラジオミール[1940年製]
1940年代に製造されたラジオミール。ワイヤラグが廃され、標準的な一体型ラグに変更された。この形状のケースは「ラジオミール 1940」の原型となった。手巻き(ロレックス Cal.600系)。17石。1万8000振動/時。スティール(直径47mm)。パネライ蔵。

 おそらくこのラジオミールは、ケースを含めて、すべてロレックス製だったと推測される。というのも、ねじ込み式リュウズを持つ時計は、この時代にロレックス以外存在しなかったためである。イタリア海軍の要請を受けたジュゼッペ・パネライは、長年取引のあったロレックスに防水時計の製造を依頼し、そこに、お家芸の自発光塗料、ラジオミールを載せた文字盤を与えたのだろう。

 興味深いのは、ラジオミールがいち早く、当時最新のアクリル製風防を採用したことである。ちなみに時計メーカーとして初めてアクリル製風防を用いたのは、おそらくロレックスである。1933年に発売された「オイスター パーペチュアル」が気密性の高い2ピース構造のケースを持てた理由は、いち早く、収縮性のあるアクリル製風防を採用したためである。そして収縮性があり、割れにくいアクリル製の風防は、より高い防水性能を求められるラジオミールで一層有用だった。仮に、ラジオミールがガラス製の風防を採用していたら、高い気密性は期待できなかったに違いない(おそらく、パネライ以前にテストしたふたつの防水時計は、ガラス製の風防を持っていたはずだ)。後年、パネライはケースの製造をロレックス以外にも依頼するが、信頼できる資料に従うならば、風防はロレックスからも購入し続けた。少なくとも「エジィツィアーノ」のアクリル製風防には、ロレックスが納品したものが含まれている。

 しかし、ラジオミールの時代はあまり長く続かなかった。ラジオミール原料の一部に輸出制限がかかると、パネライは新しい自発光塗料の開発に注力し、結果トリチウムベースに主力は移っていく。また、ロレックス製の懐中時計ムーブメントは約40時間のパワーリザーブしかないため、水中での長時間の活動には向かなかった。そこでパネライは、新しいトリチウムベースの自発光塗料「ルミノール」と、約8日間という長いパワーリザーブを持つムーブメント、そしてねじ込み式ではない防水システムを持つ新しい防水時計「ルミノール」をリリースしたのである。

 ラジオミールという名前が再び世に現れるのは、1997年のことだ。計器メーカーのパネライを買収したヴァンドームグループ(現リシュモン グループ)は、ストックしていたロレックスのムーブメントを載せた、ラジオミール復刻版をリリースした。ちなみにこの年には、併せて「ルミノール」コレクションも復活したが、こちらはETA製の汎用ムーブメントを載せた、手の届くコレクションという打ち出しだった。以降ラジオミールは、パネライの高級ラインとして定着することとなる。

 世界初の本格的な防水時計として生まれ、やがてパネライの高級ラインとなったラジオミール。しかし、自社製ムーブメントが標準となった今、ルミノールとラジオミールの区分は、以前ほど明確ではなくなった。では今後、パネライはラジオミールに、どのような方向性を与えようとしているのか。次ページ以降で見ていくことにしよう。