2000年代以降、実力派ウォッチメーカーや名だたるハイエンドブランドは、独創的かつ華のある複雑ムーブメントの開発に注力し、その覇を競い合っていた。また、一部グループによるエボーシュムーブメントの囲い込み問題が勃発すると、ベーシックな基幹ムーブメントの内製化にも努めてきた。だが、それも今は昔。2015年以降、世界の時計市場を席捲してきたいわゆる〝ラグジュアリースポーツウォッチ〟の台頭によって、時計市場におけるキープレイヤーたちは外装のデザインや素材に一層の資源を投入するようになった。だが、そんな市場動向を横目に、独自のムーブメント開発の重要性を常に認識し、着々と新型ムーブメントの研究開発に邁進してきた〝心ある〟ウォッチメーカーたち。その成果である〝見るべき〟新型ムーブメントを深掘りし、その真価を検証・解説する。

Photographs by Eiichi Okuyama, Yu Mitamura
広田雅将(本誌)、鈴木幸也(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Text & Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年1月号掲載記事]
カルティエの進化を象徴するデザインに特化したムーブメント
今や時計愛好家たちから熱狂的な支持を受ける「カルティエ プリヴェ」。過去のアイコニックなデザインを、信頼性の高いムーブメントと組み合わせたプリヴェは、今のカルティエらしい打ち出しと言える。しかし、そんなプリヴェに、全く新規設計のムーブメントを載せたモデルが加わった。2024年発表の「トーチュ」モノプッシャー クロノグラフはカルティエの進化を感じさせる傑作だ。

前CEOであるシリル・ヴィニュロンの下で大きく成長を遂げたカルティエ。アイコンに集中し、外装の質を高め、不良品率を3分の1に下げることで、「王の宝石商」は時計メーカーとしての地位を確立した、と言える。関係者曰く、故障率はスイスの時計メーカーで2番目に低いとのことだから、時計メーカーとしての実力は相当なものだ。
もっともその代償として、カルティエはオートオルロジュリーの展開を控え、自社製ムーブメントの開発からも距離を置くようになった。同社の優先順位が信頼性の向上にあったと考えれば、その決定は当然かもしれない。しかし、底上げにめどが付いたのか、近年、カルティエは凝ったムーブメントをリリースするようになった。ムーブメント自体がローターの役割を果たす「マス ミステリユーズ」、そして際立って審美的なムーブメントを載せた「トーチュ」モノプッシャー クロノなどだ。今回取り上げたいのは後者である。

1928年に発表されたモノプッシャー クロノグラフを今の技術で再現した2024年の新作。ケースサイズがオリジナルに近くなったほか、トーチュの形状に合わせて新規に起こされたモノプッシャークロノグラフムーブメントCal.1928 MCを搭載する。審美性に優れるだけでなく、リュウズを押して行うクロノグラフの操作感も往年の傑作に比肩する。手巻き(Cal.1928 MC)。縦43.7×横34.8mm、厚さ10.2mm。30m防水。いずれも世界限定200本。
コレクション プリヴェ カルティエ パリの時代にカルティエが製作したクロノグラフは、旧THA製のクロノグラフムーブメントを載せていた。設計は、かのフランソワ-ポール・ジュルヌ。見た目はクラシカルだが、薄くするため、水平クラッチにETA7750のようなスイングピニオンを採用していた。しかし、新しくモノプッシャークロノグラフを作るにあたって、カルティエはこの優れたムーブメントを採用しなかった。理由は、トノーケースにふさわしいムーブメントを作るため。ここ数年、汎用性の高いムーブメントを作ってきたカルティエは、なんと限定モデルのためだけに、一からモノプッシャークロノグラフムーブメントを起こしたのである。
新しいキャリバー1928 MCで優先されたのは、旧THAのムーブメントに同じく「薄さ」である。そのため、香箱は極端にオフセットして配置され、輪列もコンパクトにまとめられた。カルティエが情報を開示しないため、以下は憶測となる。香箱とテンプの間に設けられた2番車は、中央の秒クロノグラフ車の左上にある3番車、右上の4番車を介して、ガンギ車に動力を伝える。そしてこのムーブメントでは、秒針を駆動するためだけに、ガンギ車から動力を取った追加4番車を回している。古典的な見た目とは裏腹の変わった(あるいは凝った)輪列は、ムーブメントを薄くしつつも、クラシカルなキャリングアーム式の水平クラッチを載せるため、と考えれば理解できる。見た目のために斬新な輪列を採用するのはいかにも今のカルティエらしい。

薄さとシンメトリーな配置、そして古典的な見た目を実現したCal.1928 MC。堅牢なベーシックムーブメントを作るというイメージの強いカルティエだが、近年はデザインに特化したムーブメントを作るようになった。見た目のために大きく変えるというアプローチは「マス ミステリユーズ」や「サントス デュモン」スケルトン ウォッチなどに通じるもの。唯一、エタクロン風の緩急針が惜しい。
同時にカルティエは、ムーブメントの見た目を極力シンメトリーに整えた。写真が示す通り、香箱とテンプ、30分積算計車と追加4番車、作動レバーとクロノグラフレバーといった部品は、左右対称になるように置かれている。確かに、こういったデザインを持つムーブメントは存在するが、作動レバーとクロノグラフ車を止めるブレーキレバーの規制バネさえも、対称になるようにデザインしたムーブメントは、おそらくこれのみだろう。
ちなみに、このムーブメントを共同開発したのは、ルイ・ヴィトンのムーブメントを手掛けたことで一躍その名を馳せたル・セルクル・デ・オルロジェとのこと。果たして、同社がどこまでトーチュ モノプッシャークロノグラフの設計に携わったのかは不明だが、ムーブメントの仕上げは間違いなく、同社の手によるものだろう。
カルティエの成熟を物語るキャリバー1928 MC。願わくば、このムーブメントを載せたトーチュが再販されますように!
新技術の文字盤で性能を大きく向上させた光発電時計
地味だが時計業界に大きなインパクトを与えるのが、第2世代の「タンク マスト」ソーラービート™だ。光発電ムーブメントは前作に同じ。しかし、全体に細かな穴を無数に開けた文字盤により、受光性能は大きく改善された。しかも文字盤の質感は、高級な金属文字盤そのものなのだ。エコとラグジュアリーを両立させる試みはいよいよ成功なるか?

文字盤下に設けたソーラーセルで発電し、二次電池に蓄電。その電力でクォーツムーブメントを動かすソーラームーブメント。日本のお家芸と言えるこの技術を、カルティエは2022年発表の「タンク マスト」ソーラービート™に採用した。このモデルがたちまち関係者の話題となった理由は、あのカルティエが光発電に取り組んだため、に限らない。ソーラーセルへの受光方法が、全くユニークだったためである。文字盤下のソーラーセルで発電するため、市場にあるほとんどのソーラーウォッチは、文字盤の素材に透過性のあるポリカーボネートやサファイアクリスタルを採用する。対してカルティエが選んだのは、標準的な真鍮だった。同社がこの素材を選んだのは、金属文字盤ならではの質感を得るためだ。

基本的に、ほとんどすべてのソーラーセルは紫色をしている。そのため、透過性のある文字盤を載せると、どうしても文字盤が暗くなってしまうのだ。日本のメーカーは、とりわけポリカーボネートの仕上げを工夫することでソーラーウォッチの質感を劇的に高めたが、スイスのメーカーにそこまでのノウハウはない。唯一の例外はカラフルなソーラーセルを開発したティソだが、これは特許で守られている。ではいかにして、ソーラー文字盤の質感を高めるのか? 対してカルティエは、文字盤全体に透過素材を選ぶのではなく、その一部を透過させるという解を見いだした。具体的には、カルティエのアイコンである大きなローマンインデックスをくりぬき、そこから受光するようにしたのである。確かにこれならば、金属文字盤の質感と、受光能力を両立できるに違いない。
もっとも、タンク マスト ソーラービート™の構成は野心的に過ぎたようだ。関係者が漏らしたように、初期のソーラービート™ムーブメントは生産性が低く、受光感度も期待していたほど高くはなかったようだ。カルティエは一貫してムーブメントの改良に努めたが、結果は芳しくなかったと聞く。そこで生まれたのが、見た目はほぼ同じ、しかし中身を大きく変えた第2世代のソーラービート™であった。

新しいソーラービート™は受光性能を大幅に改善したのが違いである。例えば、1日使用するために必要な充電時間。晴れた屋外という条件下で、第1世代は4分が必要だった。対して第2世代はその半分の2分である。時計を再起動させるために必要な最小限の時間も、第1世代の1時間に対して、第2世代は30分と半分になった(条件は同じく屋外・晴天)。さらに光量が小さな環境では一層改善された。屋外のショッピングモールという条件下では、1日使用するための二次電池の充電には112分が必要だった。対して第2世代は48分に短縮された。また、パワーリザーブも約5カ月から24カ月と約5倍に延びたのである。

光発電のソーラービート™ムーブメントはそのままに、文字盤の受光方法を改善することで受光性能を大きく向上させたソーラービート™の第2世代モデル。また駆動時間も約5カ月から24カ月と大きく延びた。ソーラービート™光発電ムーブメント。SSケース(縦29.5×横22mm、厚さ6.6mm)。3気圧防水。ほかにLMサイズ(縦33.7×横25.5mm、厚さ6.6mm)もある。
改善した切り札が新しい文字盤である。前作はインデックスに穴を開けて受光していたが、第2世代では文字盤全体に細かな穴を開けるようになった。素材はおそらく真鍮ではなく金属素材あるいは金属メッキ。文字盤の仕上げは大きく変わりそうだが、受光用の穴が極めてマット仕上げにしか見えない。この仕上げならば、シルバーだけでなく、メッキやPVDで施せる色ならば何でも実現できるだろう。
以前カルティエは、ソーラービート™ムーブメントがタンク以外のモデルにも採用されるだろうと説明した。もし第2世代のソーラービート™が期待通りの性能を発揮するならば、女性用腕時計の未来は大きく変わるに違いない。



