ジン特殊時計会社という社名にふさわしく、プロフェッショナル向けのツールウォッチを作り続けてきたジン。しかし同社がニッチにとどまらない名声を得た理由は、時計作りにおける非凡なバランス感にある。過剰な道具感を抑え、普段使いが可能なパッケージにまとめ上げる手腕は、他のメーカーとは一線を画すもの。そんな同社の力量を示すのが、新時代のベーシックである「544」と、狩猟に特化した「308ハンティングウォッチ」だ。

「544」には2種類のモデルが用意された。こちらは「244」や「144」を思わせる、赤秒針のRS(Rote Sekunde)。ラグを省いた短いケースは軽快な取り回しをもたらす。自動巻き(Cal.SW200-2)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径38.5mm、厚さ10mm)。20気圧防水。47万9600円(シリコンストラップ仕様)。
Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yousuke Ohashi (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2026年9月号掲載記事]
ヘリテージは進化し、専用機は深化する
専門家御用達メーカーといった印象のあるジンだが、実はベーシックなコレクションも充実している。「556」や「104」、そして耐磁性能を大きく高めた「836」や「856」など、サイズはもちろん、機能や価格でも選べるラインナップは、いわゆる総合メーカーに肩を並べるほどだ。そんなジンが、2026年に追加したのが、ベーシックな3針自動巻きの「544」である。

こちらは「544」の標準版。「244」のデザインコードを引き継ぎつつも、ベーシックモデルとしての基礎体力を大きく高めた。ハイブリッド・セラミックによる暗所での視認性は圧倒的だ。自動巻き(Cal.SW200-2)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径38.5mm、厚さ10mm)。20気圧防水。51万7000円(ブレスレット仕様)。
1994年にジンの経営権を引き継いだローター・シュミットは、同年にまったく新しいコンセプトを持つ3針モデルの「244Ti」を発表した。総チタン製のケースは200m防水を備え、さらには8万A/mもの高耐磁性能と、COSC認定クロノメーターをパスする高精度に加え、ムーブメントを複数のラバーで支える構造は、本作に極めて高い耐衝撃性をもたらした。3針自動巻きという地味な構成に、可能な限りのスペックを詰め込んだこのモデルは、ジンの方向性を指し示す野心作だったが、商業的な成功にはつながらなかった。その生産本数は、1994年から2006年までの12年間で、わずか1200本ほど。ジンの狙いとは裏腹に、244Tiはベーシックというよりも、あくまでもニッチなツールウォッチとして認識されてしまった。なお、そのデザインは、1974年に発表された「144」から転用されたものである。後にこのモデルはコンパクトで機能的なクロノグラフとして、とりわけ日本市場で大きな人気を得ることとなった。

20気圧防水のチタンケースに、高精度、高耐磁、高耐衝撃性を盛り込んだハイスペックモデル。1994年から2006年までの生産本数は約1200本。自動巻き(ETA Cal.2892A2)。21石。2万8800振動/ 時。パワーリザーブ約42時間。Tiケース(直径36mm、厚さ10.5mm)。参考商品。

「244」の原型が、1974年が初出とされる「144」だ。これは最新作の「144.ST.SA」。プロユースらしく、文字盤外周にはタキメーターとパルスメーターを備える。自動巻き(Concepto Cal.C99001)。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約48時間。SSケース(直径41mm、厚さ14.2mm)。20気圧防水。87万4500円(新ブレスレット仕様)。
そんな244/144系のデザインを継承し、新しく仕立て直したのが2026年の「544」だ。500番台という名称が示す通り、本作はジンのいわば入門機。事実、ジンCOOのシモーネ・リヒターは本作の意図を「薄くてシンプルで手が届きやすい価格の時計を作りたかった」と説明する。そのため、ケース素材はチタンからステンレススティールに置き換えられ、耐磁性能も標準的な4800A/mとなり、COSC認定クロノメーターも省かれた。

では、単なるコストダウン版と思いきや、そこはジン。2026年のベーシックにふさわしく、細部に手が加えられている。インデックスにハイブリッド・セラミックを使うことで暗所での判読性が改善されたほか、独自の防水システムD3により、ケースの気密性は高まった。加えて、ムーブメントの駆動時間は244と比較して約1.5倍の約60時間になり、ジンならではのブラスト仕上げも、244に比べて明らかに目が細かくなった。その仕上がりは、高級とは言えないものの十分上質なものだ。
筆者の考える544の大きな魅力は、244譲りの高い視認性である。黒地に白い時分針とインデックスは従来に同じ。しかしケースサイズを38.5mmに拡大し、併せて文字盤外周のフランジを浅くすることで、文字盤はどんな角度からでもいっそう見やすくなった。

さらに暗所での視認性を高めているのが、インデックスに採用された蓄光性のハイブリッド・セラミックだ。現在の蓄光塗料はアルミニウム系の素材がベースである。これを半固形にしてインデックスへと充填するのが一般的だ。光を溜めて発光するため、蓄光塗料は面積が大きくなるほど発光量が増え、残光時間も長くなる。ツールウォッチ(例えばダイバーズウォッチ)に大きなインデックスを与えたがる理由だ。しかし、大きなインデックスは文字盤への固定が難しいうえ、ショックで剥がれやすい。これに対しジンは、高濃度の蓄光塗料を練り込んだ固形のセラミックス製インデックスを、直接文字盤に貼り付ける手法を採用した。パーツごと固形化することで剥がれにくく、かつ蓄光素材の体積も最大限に稼ぐことができる。「U1 SL」や「903.St.HB」といった限定機や高級機に使われていたこの技術を、ジンは惜しげもなく入門機である544へ投入した。

もうひとつのポイントが、独自の防水システムであるD3。現在のほぼすべての防水システムは、リュウズ部分の防水をねじ込み式のチューブに依存している。加えて1960年代以降は、さらにOリングを追加して防水性能を高めてきた。対してD3はリュウズを支えるねじ込み式のチューブを持たず、防水自体は巻き真に固定された2枚のOリングのみに依存している。その構成は既存の防水システムより簡素だが、リュウズをぶつけても防水性能が低下しにくく、パッキンが劣化しない限り、高い気密性を維持しやすい。


ジンはこのD3をハイエンドモデルのみで用いていたが、今回はベーシックな544に転用した。その理由は、いっそう高い気密性を得るだけではなく、初心者にありがちな、リュウズの締め込み不足による防水性能の低下を考慮したためではないだろうか。
さておき、ごく一部のモデルにのみ使われてきたハイブリッド・セラミックやD3の採用が示すのは、ジンが544を新時代のベーシックと見なしている証しだろう。確かにその完成度は入門機という枠を超えて、極め付きに高い。

本作は、同じくムーンライト表示を搭載し、グリーンの色味のクロノグラフモデル「3006」を3針化したモデルと言える。自動巻き(Cal.SW382-1)。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約50時間。SSケース(直径40mm、厚さ12mm)。20気圧防水。78万6500円(テキスタイルストラップ仕様)。
航空救急サービス従事者向けの「EZM12」や、極寒での使用を前提とした「アークティス」シリーズなど、専門家向けのニッチな腕時計を作らせたら、ジンは世界随一のメーカーだろう。そんな同社が手掛けた、さらに尖った腕時計が「308ハンティングウォッチ」だ。
イノシシの狩猟頭数でヨーロッパ最大を誇るドイツでは、毎年数十万頭ものイノシシが狩られている。ドイツの狩猟ルールは極めて厳格だが、連邦狩猟法第19条では、イノシシは例外的に夜間の狩猟が認められている。しかし、照明器具の使用は基本的に認められていない。ゆえに、夜間のイノシシ猟では、月明かりが十分に得られる満月前後の7日間、通称 “ザウエンゾンネ” が重視されてきた。
こうした狩猟事情を背景に、308ハンティングウォッチは、満月の3日前から3日後までの7日間を読み取れる月齢表示を備える。ジンがムーンライト表示と呼ぶ機構だ。また、暗所での判読性を高めるため、インデックスと月齢表示の月には、「544」と同じく、極めて明るいハイブリッド・セラミックが用いられた。

ドイツのハンターは伝統的にグリーンを好む。文字盤とストラップにこの色が選ばれたのもそのためである。さらに、同じくムーンライト表示を備えたクロノグラフ「3006」よりケースを3.5mm薄くすることで、狩猟ジャケットの袖にも引っかかりにくくした。
これはあくまでドイツの狩猟家に向けた腕時計だ。だが、落ち着いた色味や高い視認性は、ツールウォッチの新たな選択肢になるだろう。ニッチだが、決してニッチにとどまらない。本作は、今のジンの手腕をうかがわせる快作だ。



