2024年に歌手デビュー40周年を迎えた荻野目洋子は、翌2025年6月、約40年間所属した事務所から独立。以降は同社と業務提携を結ぶ形で活動している。独立後はライブのセットリストから衣装、演出まで自ら決め、SNSを通じてファンと交流しながらステージを作り上げている。3人の子どもたちも独り立ちし、今まで以上に“自分らしさ”を追求する彼女が選んだ時計に注目した。

Text by Yukaco Numamoto
編集:土田貴史
Edited by Takashi Tsuchida
[2026年9月27日掲載記事]
約40年所属した事務所から独立したベテラン歌手
2024年に歌手デビュー40周年を迎えた荻野目洋子は、翌2025年6月、約40年間所属した事務所から独立。以降は同社と業務提携を結ぶ形で活動している。発表の日に選んだのは、1年で最も昼が長い夏至の6月21日。新たな門出にふさわしい日取りだった。
独立から約8カ月がたった2026年2月の取材会では、「ものすごく順調に歩んでいます」と充実した表情を見せた。事務所に所属していた頃から仕事の多くは自分で決めていたが、「ちゃんと発表して、自分で責任を取って、そして自由でいたい」という思いが独立を後押ししたそうだ。やることは増えたものの、「大変だと思わないんですよ、不思議とね」と笑い、セットリストも衣装も演出もすべて自分で決めるほうが「安心します」と語る。
なかでも本人が「今の仕事において、一番やりがいを感じている」と語るのが、ライブ活動だ。SNSでファンと交流しながら披露する曲を決めることもあり、ファンとの距離の近さを大切にしたステージを作り上げている。2025年のライブでは、自らセレクトした洋楽・邦楽のダンスミュージックをメドレーで披露したほか、ギターやウクレレの弾き語りによるアコースティックタイムも設け、ミュージシャンとしての進化を印象づけた。20代の頃に一度挫折したギターにも再挑戦。子育ての合間に始めたウクレレでは、サザンオールスターズの関口和之が率いる「1933ウクレレオールスターズ」に参加するまでになった。
テレビ出演も相次いでいる。フジテレビ「ノンストップ!」では密着取材に応じ、再び熱狂を巻き起こす「ダンシング・ヒーロー」への思いを語った。9月24日にはテレビ東京「昭和vs令和!「世代を超えて愛される最強ヒット曲100連発!第8弾」」にも出演し、時代を超えるヒット曲の歌い手として存在感を示している。
80年代からリスナーを魅了し続けるパワフルな歌声。その原動力は、アイドルになりたいというよりも、歌うことが大好きで歌手になりたかったという、ブレない思いにあるのだろう。デビュー40周年を迎えた際のインタビューでも「今だからこそ、もっと伸びしろがあるような気がしているので、精いっぱい伸びていきたい」と語っており、その前向きな姿勢は今も変わらない。
音楽以外の活動にも積極的だ。ILO(国際労働機関)で働いていた父の影響で、「どの国に生まれても人間はみんな平等」という考えに触れながら育った。2021年12月からはILOのアンバサダーも務めている。児童労働に反対するキャンペーンソングの制作などを通じてメッセージを発信するほか、年に数回は学校へ出張授業に赴き、自身が見てきたことを交えながら生徒たちに語りかけている。
小学生で芸能界入り、歌手への道をまっすぐに
荻野目洋子が芸能界に足を踏み入れたのは1978年、小学4年生のとき。テレビ番組『ちびっこ歌まねベストテン』に出演したことがきっかけでスカウトされた。中学生時代にはアニメ『みゆき』のヒロイン・若松みゆき役に抜擢され、高校1年生になったばかりの1984年、「未来航海 -Sailing-」でソロデビュー。その年の数々の新人賞レースにも名を連ねた。
デビュー2年目、7枚目のシングル「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」で初めてオリコントップ10入りを果たし、これが自身最大のヒット曲となる。その後も「六本木純情派」「コーヒー・ルンバ」などをヒットさせる一方、1988年には米音楽界の大物プロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンを迎えたアルバム『VERGE OF LOVE』を制作するなど、特定の音楽スタイルにとらわれない活動を展開。1986年から4年連続で日本レコード大賞の金賞を受賞し、NHK紅白歌合戦には5度出場している。
結婚後は3人の娘に恵まれ、育児に専念するための休業期間を経て活動を再開。デビュー30周年の節目には、世界的写真家のレスリー・キーが撮影したアルバムジャケットも話題を呼んだ。これは、レスリー・キー自身が荻野目のファンだったことから実現したコラボレーションである。
登美丘高校ダンス部との共演で、最高のかたちのリバイバルヒット
1985年にリリースされた「ダンシング・ヒーロー」の原曲は、アンジー・ゴールドの「Eat You Up」。太い声の大人の女性が歌い上げるエネルギッシュな楽曲で、当時まだ自身の声が細いと感じていた荻野目洋子は、歌いこなせるのか不安を抱いたという。それでも何度も録り直しを重ね、エンジニアが夜中まで付き合ってくれた録音を経て、以前にはなかった力強い歌い方にたどり着く。さらに「8ビートより16ビートを感じさせるように」というスタッフの注文に応えるべく、ダンスにも懸命に取り組んだ。
そんな思い入れの深い一曲が、30年以上の時を経て再び脚光を浴びる。きっかけは2017年。お笑い芸人・平野ノラの“バブリー”なネタに使われていた「ダンシング・ヒーロー」をもとにしたダンスで、大阪府立登美丘高校ダンス部が日本高校ダンス部選手権で準優勝を果たした。そのパフォーマンスを収めたYouTube動画が爆発的な再生数を記録し、曲は世代を超えてリバイバルヒット。11月に開催された御堂筋ランウェイでは、メインステージで行われたスペシャル企画で同ダンス部との共演が実現し、年末にかけてはテレビ各局の音楽特番への出演が相次いだ。同年の第59回日本レコード大賞では、登美丘高校とともに特別賞を受賞している。
今では盆踊りの曲として使われることもあるという「ダンシング・ヒーロー」。親子で一緒に踊れる、幅広い世代に親しまれるダンスチューンのひとつになっている。
荻野目洋子が選んだのは、自由を感じるアートなスウォッチ
その荻野目洋子が2026年8月にX(旧Twitter)へ投稿した写真に、ひと際、ポップな腕時計を着けた姿が写っていた。キース・ヘリングのイラストで彩られたスクエアダイアルに、ライムグリーンのストラップが鮮やかなコントラストを描く。見る者の気分まで弾ませるような一本だ。
— 荻野目洋子 (@oginome_info) August 2, 2026
この時計は、スウォッチの「BREAKS OFF(ブレイクス オフ)」。ケースはマットブラックのBIOCERAMIC製。「もしスウォッチの最初のモデルが四角だったら?」という発想から生まれたスクエアケースで、時針と分針には夜光塗料が塗布されている。裏側のマットホワイトのバッテリーカバーには、キース・ヘリングが描いたSwatchのロゴがあしらわれ、手首から外したときにも遊び心が感じられる。
伝説的なポップアーティストであるキース・ヘリングと、スウォッチとのコラボレーションの始まりは1986年にさかのぼる。その後、2021年には、ヘリングが描いたミッキーマウスをモチーフにした「MICKEY BLANC SUR NOIR」などが登場。そして2024年、「BREAK FREE(ブレイク フリー) コレクション」が発表される。デザインのもととなったのは、スウォッチの誕生から1年後の1984年、同社がニューヨークで開催したブレイクダンス選手権のために、ヘリングが手がけたポスターだ。荻野目洋子が着用している「BREAKS OFF(ブレイクス オフ)」は、このコレクションのうちの一本である。
ニューヨークの地下鉄に描いたチョークアートで一躍世界的なスターとなり、1990年にわずか31歳の若さでこの世を去ったキース・ヘリング。彼とのコラボレーションは、スウォッチの歴史におけるマイルストーンのひとつとなっている。
荻野目洋子がソロデビューを飾った1984年に、ニューヨークで開かれたダンスの選手権。そのポスターをモチーフにした時計を彼女が選んだのは、偶然なのだろうか。たとえ、たまたまだったとしても、何かとダンスに縁の深い荻野目洋子がこのデザインに惹かれたことには、感慨深いものがある。
2026年10月からは、ライブツアー「YOKO OGINOME 2026 “THIS COULD BE THE NIGHT”」がスタートする。10月23日のビルボードライブ横浜、30日のビルボードライブ大阪では、ナラダ・マイケル・ウォルデンがプロデュースした楽曲を取り入れた「大人のダンス・ミュージック」を披露。12月には「2026 Winter Story」と題した静岡・焼津市大井川文化会館(5日)、石川・北國新聞赤羽ホール(20日)での公演も控えている。「ダンシング・ヒーロー」などの代表曲はもちろん、近年力を注ぐシンガーソングライターとしての弾き語りにも期待が高まる。
自らの手で新たな道を切り拓き、いつの時代も音楽を心から楽しむ荻野目洋子。手元で軽やかに時を刻むスウォッチのように、これからも弾むようなビートで私たちを魅了し続けてくれるはずだ。

クォーツ。BIOCERAMICケース(33mm×33mm、厚さ10.5mm)。シリコンストラップ。2気圧防水。2万2000円(税込み)。



