エルメスが2026年のテーマとして掲げた「神秘のメカニズム」。その表現手法として選ばれたのは、伝統的なウォッチメイキングの技法でもあるスケルトナイズだ。対照的な表情を見せる「スリム ドゥ エルメス スケレット リュンヌ」と「エルメスH08 スケレット」の2本は、エルメス独自の「時を表現する視点」に、新たな可能性をもたらした。

Photographs by Eiichi Okuyama
鈴木裕之:文
Text by Hiroyuki Suzuki
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2026年11月号掲載記事]
機械的手法で描き出された、時の深淵を覗くような没入体験
今年「神秘のメカニズム」をテーマに掲げ、3本のスケルトンウォッチを発表したエルメス。これまでタンシュスポンデュに象徴されるような、独自の手法で「時の表現」を試みてきた同社だが、今回はいわば正攻法のウォッチメイキングだ。特に「スリム ドゥ エルメス スケレット リュンヌ」(以下スリム)と、「エルメスH08 スケレット」(以下H08)の2本は極めて完成度が高い。
少し話が脱線するが、この特集を始めるにあたって、編集部内でディスカッションを行った。本来は同義語であるはずの「スケルトン」と「オープンワーク」を意図的に呼び分けようとしているが、その線引きをどこに設けるか、というものだ。編集長の広田がイメージする定義はこうである。歯車や香箱などの内部機構を見せるために地板や受けを抜く手法がスケルトン。抜いた地板や受けそのものをフレームとして見せる手法がオープンワークだと言う。これは前者を「トラディショナルな手法」、後者を「モダンな手法」と言い換えても成立するだろう。エルメスが新たに世に問うた2本のスケルトンが、共にモダンにカテゴライズされているのはこうした理由からである。
とはいえ「スリム」が見せた造形美は、かなり忠実に古典の文法をなぞっている。ベースの輪列に沿って残されたフレームワークは細く、中には有機的なカーブも存在する。これをモダンに見せているのは色のマジックだ。大きく覗くマイクロローターの裏側や、日の裏輪列を黒染めで仕上げ、ブラックのインデックススケールやムーンフェイズの枠と統一感を持たせている。ケース自体もブラックコーティングされたチタン製だ。さらに言えば、普通のアンスラサイトに見えるダイアル(実際にはスケルトナイズが施された地板)に、薄らとシーグリーンが乗せられているのも興味深い。これにはブルーのバリエーションカラーも存在する。

ブラックを基調とした装いで2021年に発表されたモデルのカラーチェンジバージョン。インデックスや日の裏輪列などに黒を残しつつ、ダイアル代わりとなる地板に、薄いシーグリーンをコーティングする。アリゲーターストラップはマット調のグリ・エタン。自動巻き(Cal.H1953)。29石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。Tiケース(直径39.5mm、厚さ9.21mm)。3気圧防水。345万4000円(税込み)。
一方、「H08」のアプローチは極めて現代的だ。ムーブメントの構造自体が「キネティック・スカルプチャー(動く彫刻)」であるというエルメス独自の視点を表現するために採られた手法は、ムーブメントそのものを新造すること。ヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエと共同開発された「H1978S」は、地板や受けまでがチタン製で、これはケースとの質感を揃えるだけでなく、強度や軽さまで考慮されたものだ。フレーム上に見える通常の受け石は、テンプを支える耐衝撃装置付きの1点のみ。ツインバレルや他の輪列は、フローティングしているか、例えばサファイアクリスタルなどの透明材で支えられているようにも見える。これは従来のスケルトンキャリバーには見られない、極めて新しい設計手法だ。

2026年に発表された新しいスケルトンムーブメント。X状に組まれた地板の造形は、モダンな印象を強調しつつ、スポーツウォッチに求められる耐衝撃性にも配慮されたもの。地板や受けをPVDコーティングされたチタンで仕上げ、軽さも両立させた。自動巻き(Cal.H1978S)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。Tiケース(縦42×横39mm、厚さ11.69mm)。10気圧防水。370万7000円(税込み)。
このように、まったく異なったアプローチで2本のスケルトンウォッチを完成させたエルメス。エルメス・オルロジェのクリエイティブ・ディレクターを務めるフィリップ・デロタルはこう語る。
「私はスケルトンムーブメントを小さな芸術品だと考えます。ムーブメントを露わにすることで、普段は目にすることのできない秘められた世界を開き、身に着ける人にとっては、時計の内側に潜むもうひとつの世界を覗く窓、さらには時間そのものを覗く窓になります。これはファインウォッチメイキングの奥深い神秘へと分け入る没入体験でもあるのです」
スケルトンの試みは今後も継続されるに違いない。しかし次作では、まったく別の物語が描かれるはずだ。



