2018年の7月10日に発表された、オメガ「スピードマスター "ウルトラマン"リミテッド エディション」。詳細はオメガのウェブサイトをご覧いただくとして、このモデルについて、少しばかり情報を加えたい。僕はこのモデルについて、多少ばかり書く資格を持っている。
オメガ博物館の館長であるペトロス氏は親日家であり、松本零士のファンであり、特撮マニアである。以前来日した際、彼は特撮の魅力を語り、その後、スピードマスター「ウルトラマン」の話をしてくれた。なんだそれという筆者に対して、彼はスマートフォンを取り出し、「帰ってきたウルトラマン」の動画を見せてくれた。なんと画面いっぱいにスピードマスターが出ているではないか。しかし、針はオレンジだし、偽物っぽくないですか?
ぺトロス氏はこう語った。「私もフェイクだと思ったんだ。専門のウェブサイトでもそういう扱いをされてきたしね。しかし、アメリカにも日本にも、このモデルが出荷されていることが判明した。つまり、ウルトラマンモデルはオメガのオリジナルだったんだよ」
オメガ博物館の館長、つまり専門家中の専門家が断言するぐらいだから、間違いないだろう。
「帰ってきたウルトラマンのスピードマスターについて調べたが、情報がない。ただ推測するに、円谷さんの私物だったんじゃないか」(ペトロス氏)。仮に円谷監督の私物だったとして、これを選ぶセンスは非凡だ。
その後、オメガは円谷プロに連絡を取り、スピードマスターが、どのようにしてウルトラマンで使われたかが明らかになった。当時のウルトラマンの制作チームには3人のキーマンがおり、その1人がスピードマスターの愛用者だったらしい。初の採用は、シリーズ3弾の「ウルトラセブン」。その際は、グレーの制服を着たウルトラ警備隊が、第三世代のスピードマスター(1966年以降のモデル)を着けたそうだ。しかし、時計が1本しかないため、隊員全員の装備品のように見せるため使い回したという。そしてオレンジ針の通称「ウルトラマン」が採用されたのは、71年の「帰ってきたウルトラマン」である。
アンティークディーラーの某氏に会った際、たまたまペトロス氏と、彼のウルトラマンの話になった。彼はそりゃ面白いネタだといい、僕もウルトラマンを探してみます、と語った。見つかるはずがないと思っていたが、彼はさっさと見つけ出し、後にペトロス氏に見せたそうだ。「ウルトラマンは少なくとも日本とアメリカに出荷されたようだ」とペトロス氏が語った通り、彼が見つけた個体も、日本向けだったに違いない。
そこからが面白い。某氏のウルトラマンは紆余曲折を経て、オメガ博物館に引き取られた。ちなみに某氏は、セイコーミュージアムやエプソンミュージアムにも時計を収めるぐらいの目利きだから、ウルトラマンもちゃんとしている。筆者も実物を見て、よほど買いたいと思ったが、金はないので諦めた。
ちなみにペトロス氏はすでに私物としてウルトラマンを持っているから、この個体は、博物館の収蔵品になるのだろう。また筆者はこうも思った。ひょっとして、オメガはこのウルトラマンを復刻するつもりなのもしれない、と。ペトロス氏はオメガ博物館の館長だが、あまりに詳しいので、ヘリテージマネージャーという立場も兼ねるようになった。つまり、製品にも口を突っ込めるようになったわけだ。円谷マニア、特撮マニアの彼なら、ウルトラマンのリプロダクションをやるんじゃないか。
結果、生まれたのが本作、と言えなくもない。このプロジェクトの中心にいたのは、親日家にして円谷マニアのペトロス氏。コラボモデルとしか思えないほどウルトラマンが強調されているのは、ペトロス氏の愛が炸裂すればこそ。そして、オフィシャルサイトに掲載されているオリジナルの「ウルトラマン」は、日本からの出物だ。いわば、オメガと日本の奇妙な縁が生み出した「スピードマスター"ウルトラマン"」。日本のスピードマスターファンなら買っとけ、と言いたいところだけど、即完売とのこと。うーん実に残念だ。(広田雅将)