ここ10年で大きく成熟した高級時計市場。牽引の担い手となったのは、2015年頃から始まったラグジュアリースポーツウォッチの一大ブームだった。質的な拡大を経て、いま目利きの時計愛好家たちは、ファッション性よりも未来に残る時計に関心をシフトさせている。ではどんな時計が未来の時計遺産たり得るのか? 著名なジャーナリストによる特別寄稿と、識者たちへの聞き取りで、過去と未来を繋ぐマスターピースの条件を浮き彫りにする。
Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
鈴木裕之:文
Text by Hiroyuki Suzuki
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan), Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年9月号掲載記事]
パルミジャーニ・フルリエに見る良質なディテールとは?
2021年にCEOとしてグイド・テレーニが着任して以降、よりミニマルなプロダクトイメージを強調するようになったパルミジャーニ・フルリエ。しかし、その方向転換によっても創業以来培われてきた同社らしさは些かも損なわれず、むしろ濃くなったようにも感じられる。ミニマル化によっても薄まることのない“らしさ”の源流とは何か? それをディテールから考えたい。
未来に残る時計とは何か? パルミジャーニ・フルリエの“らしさ”が示す解
トップが代われば時計も変わる。これは現代的な高級時計ビジネスが抱え込んだ不文律、いやジレンマのひとつだろう。特に巨大グループに属するようなブランドでは、新しいCEOを迎えるたびにブランディングが微妙に変化する。うまく事が運べばよしだが、期待した成果が得られない場合は、それを短期間で繰り返す。そして、多くの時計愛好家が大切に思っている、観念的なブランドイメージが少しずつ損なわれてゆく……。
パルミジャーニ・フルリエもまた、2021年1月に新しいCEOを迎えたばかりのブランドだが、従来的なブランドイメージをキープしたまま、大きく業績を伸ばすことに成功した稀有な例だ。グイド・テレーニの指揮の下、プロダクトイメージはミニマルな印象を強めたが、創業時から続くパルミジャーニ・フルリエらしさは些かも損なわれていないのだ。その理由を、ディテールという観点から説き明かしてみたい。


ブランドの初作「トリック」を再解釈した新作。華美ではないラグジュアリー感を目指したドレスウォッチとして新生した。手巻き専用に設計された新ムーブメントは、ゴールド製の地板と受けを持つ。手巻き(Cal.PF780)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。Ptケース(直径40.6mm、厚さ8.8mm)。
パルミジャーニ・フルリエを擁するサンド・ファミリー財団は、ウォッチメイキングに関するあらゆるパーツを製造する関連企業を傘下に置いている。ケース製造を担うレ・アルティザン・ボワティエ、ダイアルを製造するカドランス・エ・アビヤージュ、そしてムーブメントの設計と製造を手掛けるヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエの他、マイクロパーツメーカーのアトカルパ(歯車やカナ)、エルウィン(主に旋盤加工)を統合して、2005年以降はテンプや脱進機部品、ヒゲゼンマイといったキーパーツまで自社開発が可能となった。
これらの関連企業によって、2000年代初頭には、ほぼ完全なマニュファクチュール化が成し遂げられていたわけだが、グイド・テレーニが非凡だったのは、デザイン面のミニマル化を推し進めることで、こうした自社工房が誇る仕上げ技術の妙技を一層際立たせた点にある。現在のパルミジャーニ・フルリエは、シンプルであるが故に、ディテールがより引き立つのだ。


より洗練されたミニマリズムを体現するノンデイト仕様のトンダ PF。プレーンなダイアル造形に合わせて、センターセコンドを廃した2針モデルに。微妙な中間色が稲穂状のギヨシェを引き立たせる。自動巻き(Cal.PF703)。29石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。SS×Ptケース(直径40mm、厚さ7.8mm)。
まず注目すべきはダイアルだろう。パルミジャーニ・フルリエでは古くから、放射状のサテン下地や、ソレイユパターンのギヨシェといった〝一般的な仕上げ〞は敬遠される傾向にあったが、テレーニ体制となって以降は、梨地状のグレイン仕上げと、稲穂状のグレインドルジュ装飾、そしてスポーツモデルに用いられるクル・トリアンギュレール装飾にほぼ限られている。特に新作の「トリック」では、断面をΩ状に絞った〝シュヴェ〞ダイアルに、ハンドグレイン仕上げと呼ばれる新しい仕上げを施しているのだが、このニュアンスが一層緻密になっていることに驚かされる。細かく砕いた海塩と酒石英、銀などを脱塩水で溶き、ブラシで磨き上げるのだが、従来のホワイトグレイン仕上げよりも細かな質感が得られるのだという。
もうひとつ、ダイアルに関するトピックを挙げるなら、それはカラーリングに関してだ。旧来のモデル群にあったシルバーやブラックといった〝強い色〞は影を潜め、ル・コルビュジェの設定したカラーアソートメント「建築的ポリクロミー」を参考に、微妙な中間色を多用するようになっている。これは「トンダ PF」以降のレシピであるから、テレーニがもたらした変化と言って差し支えないだろう。グレー・セラドンや、ゴールデン・シエナは、どちらも実に微妙な中間色だ。テレーニは「服の色を選ばない」ことを利点に挙げるが、確かに近年のパルミジャーニ・フルリエが選ぶ色は、どれも色馴染みが素晴らしい。


Ptケース版が加わった「トンダ PF スケルトン」。複雑な面取り加工が施されたムーブメント造形に変化はないが、ダイアル側から覗くブリッジ類にはすべてミラノブルーのコーティングが施されている。自動巻き(Cal.PF777)。29石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。Ptケース(直径40mm、厚さ8.5mm)。
一方、ケース造形に目を向けてみると、ここにもパルミジャーニ・フルリエらしさが見て取れる。分かりやすいのは「トンダ PF」系のケースだろう。トンダ PFのラグは、一段のステップを介して内側と外側で仕上げが変えられている。内側が縦方向のサテン仕上げ、外側はポリッシュだ。このため正面から見ていると古典的なロングホーンに見えるのだが、実際に腕に載せてみると、現代的なショートラグであることが分かる。ケース造形におけるショートラグ化は、ブレスレットの高剛性化とともに普及した近年のトレンドでもあるから、パルミジャーニ・フルリエの時計は間違いなく現代的なプロポーションを意識していることが窺える。この点は、仕上げ面での〝仕掛け〞を廃した新作のトリックを見れば一層明確になるだろう。トリックで改めてラグが短くなったように感じるかもしれないが、ケース径とラグ長のバランスは、実のところトンダ PFと、そう大きく変わっていないのだ。
パルミジャーニ・フルリエのアイコンとして認知されるようになってきた、ベゼルのモルタージュ装飾も健在だ。創業からしばらくは、フルリエの近隣に住む老職人の手仕上げだったと聞くが、新しい工法が確立されたのだろう。現在は、その数量から推し量っても機械加工であることは間違いないが、切削に頼らず、歯車状のローラースタンプを押し当てるというプレス工程はまったく変わっていない。


2022年に発表されたプチコンプリケーション。第2時間帯を表示するラトラパンテ針は、プッシャー操作で瞬時にホームタイム位置へとジャンプする。この場合のラトラパンテは“追いつく”の意味だ。自動巻き(Cal.PF051)。31石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。SS×Ptケース(直径40mm、厚さ10.7mm)。
針自慢のブランドは他にいくらでもあるためあまり話題に上らないが、パルミジャーニ・フルリエの針も水準以上に素晴らしい。特に2本の針がぴったりと重なる「トンダ PF GMT ラトラパンテ」や「トンダPF ミニッツ ラトラパンテ」の気持ち良さは、使った者だけが知る特権だろう。
デザイン性の変化(=ミニマル化)に伴って、パルミジャーニ・フルリエの時計が持つイメージはぐんとソフィスティケートされたものに進化した。しかしその内実を支えるディテールワークに関して言えば、旧来のパルミジャーニ・フルリエらしさをそのまま踏襲していると言える。それが導き出すもののゴールは、ユーザーのみが得ることのできる非常に大きな満足感だ。他人に見せびらかすために時計を選ぶのではなく、自分自身を充足させるために時計を選ぶ。テレーニの言葉を借りれば「プライベートラグジュアリー」ということになるのだろう。未来に残る時計とは何か? その答えのひとつが、この言葉に凝縮されているような気がしてならない。







