注目時計の〝中身〟を問う。新型ムーブメント深掘り鑑定術④パテック フィリップのワールドタイム「Cal.240 HU C」

2026.06.29

「パテック フィリップ・ウォッチアート・グランド・エキシビション(東京 2023)」で発表された日本限定モデルが「ワールドタイム 5330」だ。これは既存モデルの色違いではなく、日付表示付きで、しかも時針に連動して動くものだった。2024年に、パテック フィリップはこのモデルをレギュラーモデルとして発表した。改めて、その機構を深掘りしてみることにしたい。

ワールドタイム 5330

2023年6月開催の「パテック フィリップ・ウォッチアート・グランド・エキシビション(東京 2023)」で発表された日本限定モデルを2024年にレギュラー化して発表された「ワールドタイム 5330」。日本限定モデルの印象的なパープルダイアルから、カーボンパターンのブルーグレー・オパーリンダイアルに変更された。ポインターデイト針が透明なガラス製のため、文字盤の緻密なワールドタイム表示の視認性も損なわない。

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奥山栄一:写真
Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌)、鈴木幸也(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Text & Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年1月号掲載記事]


日付表示こそレギュラー化された新生ワールドタイムの醍醐味

 今や多くの時計メーカーが採用するのが、ルイ・コティエ式のワールドタイマーだ。これは文字盤外周に都市名を記し、回転する24時間表示のリングでその場所の時間を読み取るというものである。

Cal.240 HU C

Cal.240 HU C
傑作Cal.240にワールドタイム機構を加えたCal.240HU。さらにポインターデイトを加えたのが2023年発表のCal.240 HU C。基本設計は古いが、精度は極めて良い。セラミックボールベアリングを使っているが、ローターのノイズもよく抑えられている。日付表示を追加したにもかかわらず、直径は3mm増しの30.5mm、厚さは0.7mm増しの4.58mmに留められた。

 コティエがこの機構を1931年に開発すると、パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタン、アガシやブレゲといった一流メーカーがこぞってこの機構を取り入れるようになった。しかしメカニズムとして見ると、最も進んだワールドタイムを作っているのはパテック フィリップだろう。2000年に発表された「ワールドタイム 5100」は、10時位置のプッシュボタンを押すと、時針だけでなく、文字盤外周の都市ディスクも動くというもの。これにより、例えば日本からアメリカに移動しても、ボタンを押すだけで現地の時間を簡単にセットできるようになった。乱暴な例えになるが、リュウズの操作だけで時針を早送り逆戻しできるロレックスのGMT機構をワールドタイマーに組み合わせ、しかも都市表示と連動させたのが、パテック フィリップのワールドタイムだったのである。市場にあるワールドタイムの中で、これほど使いやすいものは他にないだろう。

ワールドタイム Ref.5330

パテック フィリップ「ワールドタイム」Ref.5330
新たに日付表示を加えたワールドタイム 5330。既存の5230に比べて直径は2.5mm、厚さも約1.5mm増したが、十分実用的である。加えて、透明なガラス製の日付表示針を採用することで、文字盤の視認性を邪魔しない。自動巻き(Cal.240 HU C)。37石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KWGケース(直径40mm、厚さ11.57mm)。3気圧防水。

 しかし2023年にパテック フィリップは、この傑出したワールドタイムに日付表示を組み合わせ、そして翌2024年にはこれをレギュラーモデルの「ワールドタイム 5330」としてリリースした。開発したのは、2000年のワールドタイムに同じく、R&D部門の責任者であるフィリップ・バラである。一見、これは既存のワールドタイムに日付表示を加えただけに見えるが、実現は決して容易ではなかった。

 すでに述べた通り、パテック フィリップのワールドタイムは、10時位置のプッシュボタンを押すと時針と都市ディスクが1時間と1タイムゾーン進むという特徴を持っている。しかし、そこに日付表示を付けるだけでは、使いものにならない。というのも、先に進む時針と都市ディスクに日付表示を連動させると、日付も先に進んでしまうのである。つまりボタンを押し続けると、日付だけがどんどん変わってしまうのだ。

Cal.240 HU C

非常に弱いトルクで動くCal.240。しかし、パテック フィリップはコンプリケーションのベースに多用している。その大きな理由は、シリンバー製のSpiromax®ヒゲゼンマイ。「Spiromax®は等時性が高いため、(複雑機構を載せてテンプの振り角が落ちても)時計の精度に影響を及ぼさない」とR&D部門責任者のフィリップ・バラは説明する。

 バラは開発に際しての課題をふたつ挙げた。「既存のワールドタイム機構の限られたスペースに収まる、可能な限りスリムな機構を見つけること。そして日付変更線を深夜に通過すると、日付が同じままという問題を解決すること」。

 時計の針が進み、深夜12時を越えると日付表示針は1日分進む。同様に、10時位置のプッシュボタンを押して時針を先に進めても、日付表示針は1日分進む。問題は日付変更線を超えるような場合だ。例えば6月10日の夜9時55分の便に乗って羽田からハワイに向かうとする。到着するのは、日本時間では翌11日の朝4時55分、ハワイの現地時間では10日の朝9時55分だ。日付変更線を超えるため、日付は1日戻って、10日になる。対して10時位置のボタンを押して12時位置の都市表示をハワイに合わせると、時針も動いて時計は9時55分を表示するようになる。しかし、日付変更線を超えても、今までのワールドタイムと同じ機構ならば日付までは戻せない。

 パテック フィリップは、日付変更線を超えると日付が戻るという解決策を盛り込んだ。都市表示リングを見ると、文字盤の都市ディスク(オークランドとミッドウェーの間)には赤い点があり、これが経度180度の経線、つまり日付変更線である。

Cal.240 HU C

時針と都市ディスク、そして日付表示針の関係を表現した透過図。10時位置のプッシュボタンを押すと、左上の巨大なレバーが都市ディスクと時針を同時に動かす。日付変更線を超える場合は、都市ディスクに連動して動く3時半位置のレバーが、中心の差動歯車に噛み合って、日付を1日戻す。

 プッシュボタンを押すと時針は1時間ごとに進み、それに合わせて日付も進むが、都市ディスクも12時位置で日付変更線を超えると、日付が戻るのである。針が日付を進め、都市ディスクが日付を戻す。かつてないアイデアを可能にしたのが、ムーブメントの中心に置かれた差動歯車(しかも極めてコンパクトなもの)である。

 プッシュボタンを押すとレバーを介して差動歯車が1歯分動く。その結果、時針と都市ディスクは1時間と1タイムゾーン進み、夜の12時を越えると日付も先に進む。しかし都市ディスクがさらに回って日付変更線を超えると、都市ディスクに連動したレバーが、差動歯車を逆方向に押して、日付表示針を1日分戻すのである。それ以外の状態では、1歯動かす力と1歯戻す力が相殺され、日付表示針は動かない。

 ちなみに、2000年のワールドタイムを作るにあたって、バラが腐心したのは都市ディスクの二重ジャンプを回避することだったという。確かに重い都市ディスクを瞬時に動かし、それをきちんと止めるのは極めて難しい。「開発は困難を極め、商業リリースは1年遅れたが、結果としてパテック フィリップのワールドタイムは、非常に信頼性の高いものとなった」と彼は説明する。では、そこに日付機構を加えた新しいワールドタイムはどうなのか? しかも図が示す通り、日付表示を動かすための差動歯車はかなりコンパクトだ。バラに、差動歯車の耐久性はどうなのか尋ねたところ「全く問題はない」との答えが返ってきた。

Cal.240 HU C

差動歯車の図版。下レバーが日付を戻す役目を、上レバーが進める役割を果たす。通常は、上下のレバーが同時に差動歯車を押して日付を切り替えない。

 日付表示に加え、それを司る差動歯車も動かすようになった結果、プッシュボタンは重くならないのだろうか?「プッシュボタンを押す力は約9N(約0.92Kgf)。オン/オフ機能によりコントロールレバーで作動する3つの表示(時針、24時間ディスク、都市ディスク)が同時にジャンプするが、他のワールドタイムと同じ力だ。しかし、日付変更線をまたぐオークランドとミッドウェーの間では押す力は約14N(約1.43Kgf)に増加する」。ちなみに、パテック フィリップが「CUBITUS」のために開発したラージデイト付きのカレンダームーブメントは瞬時切り替え式だ。これを動かす力が2Kgf(約19.6N)と考えれば、ワールドタイムのプッシュボタンは案外軽いと言えるのではないか。

 フィリップ・バラが指摘したもうひとつの課題が針である。視認性を高めるため、パテック フィリップはポインターデイト針の素材に真鍮や金ではなく、ガラスを選んだ。透明な素材ならばサファイアクリスタルの方が一層ふさわしいように思えるが、針の側面の磨きがうまくできないため、普通のガラスに落ち着いたとのこと。また「組み立てと塗装も難しい」とバラは述べる。確かに、真鍮や金、あるいは鋼と違って、ガラスには粘りがない。普通に圧入すると針の袴は割れてしまうだろう。かといってゆるく取り付けると、日付が変わるときのショックに耐えられないはずだ。どう解決したのかは分からないが、パテック フィリップならではのノウハウがあるに違いない。

 うがった見方をすると、日付表示を加えた新しいワールドタイムは、他社への牽制と言えなくもない。2000年に発表されたワールドタイムの特許は、25年には切れてしまう。となると、他社はパテック フィリップ式の使い勝手に優れたワールドタイムを出すだろう。であれば、そこに日付表示を加えてさらなる差別化を図るのは賢明だ。もっとも理由は何であれ、きちんと使えるものとしたのは今のパテック フィリップらしい。新しいワールドタイムは、金銭的な余裕があるならば、手にする価値のある腕時計だ。使い勝手が良く、操作感に優れ、しかも精度もずば抜けているのだ。



Contact info:パテック フィリップ ジャパン・インフォメーションセンター Tel.03-3255-8109


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