高級時計の世界で長年続いてきたスポーツウォッチの優勢に、変化の兆しが見えている。Z世代を中心とする若い購買層の間では、ロレックスをはじめとするステンレススティール製スポーツモデルだけでなく、カルティエのようにデザインや歴史的背景を前面に出す腕時計が存在感を強めている。これは単純な人気の入れ替わりというより、高級時計に何を求めるかという価値基準の変化と捉えたほうがよいだろう。本記事では、なぜ若者たちの間でカルティエが支持を広げているのか、その背景にある価値観の変化を、『ウォッチタイム』ドイツ版のヨハネス・ベアがひもとく。

[2026年8月15日掲載記事]
カルティエを愛する新世代の台頭
長い間、高級時計の世界は明確な秩序が保たれているように見えた。成功を証明したい、あるいは節目を祝いたいと考える者は、ロレックスを購入するか、オーデマ ピゲの「ロイヤル オーク」、パテック フィリップの「ノーチラス」、あるいはヴァシュロン・コンスタンタンの「オーヴァーシーズ」を夢見ていた。高級スポーツモデルは、ソーシャルメディア、ウェイティングリスト、そしてコレクターたちの会話を等しく支配していた。
しかし、時計業界が市場価格や入手可能性についての議論に夢中になっている裏で、別の変化も進んでいたように見える。長年、ジュエリーやフランスのエレガンス、そして女性向けの時計コレクションとも強く結びつけて語られてきたカルティエが、新世代の購買層の間で存在感を高めているのである。

クォーツ。SSケース(縦29.5×横22mm、厚さ6.6mm)。日常生活防水。67万6500円(税込み)。
今日、インスタグラムをスクロールし、若手俳優の手首を眺め、ファッション界のスタイルアイコンを分析すれば、「タンク」、「サントス」、「パンテール」、そして「ベニュワール」といったモデルに頻繁に出くわす。これらは、過去20年間にわたって高級時計市場で大きな存在感を示してきたスポーツモデルとは明らかに異なる腕時計だ。回転ベゼルも、ヘリウム排出バルブも、300mの防水性能も必要としない。その代わりに重視されるのは、すっきりとしたライン、歴史的なフォルム、そして技術的優位性だけでは測れない文化的な背景である。そこでは、クォーツムーブメントさえも比較的自然に受け入れられている。
こうしたカルティエへの注目は、一過性の流行だけでは説明しきれないように思える。それは、ラグジュアリーやステータスをどのように表現するのか、そして時計を選ぶ際に何を価値とみなすのかという基準そのものが変化していることを示しているのではないだろうか。
個性の探求
過去20年間の高級時計市場を振り返れば、スポーツモデルがその中心的な存在であり続けたことは間違いない。「オイスター パーペチュアル サブマリーナー」、「オイスター パーペチュアル GMTマスターⅡ」、「ロイヤル オーク」、そして「ノーチラス」といったモデルは、その代表例である。
なお、その出自は一様ではない。サブマリーナーやGMTマスターには、ダイバーや航空関係者の実用に根差した背景がある。一方、ロイヤル オークやノーチラスは、当初からスティールを用いた高級スポーツウォッチとして生み出されたモデルだ。成り立ちは異なるものの、これらの時計はいずれもやがて広く認知されるステータスシンボルとなった。そしてソーシャルメディアの台頭は、特定の人気モデルを所有することそのものを、ある種の「トロフィー」として見せる傾向を加速させた。
しかし、その圧倒的な成功が、同時に反作用を生んだと見ることもできる。今日、高級品市場に参入しつつある世代は、インスタグラムやTikTok、そして絶え間ない視覚的コンテンツの消費とともに育ってきた。かつてないほど多くのラグジュアリー製品が可視化され、日々繰り返し目に入ってくる。
同じモデルが何度も写真に撮られ、シェアされれば、それまで特別だったものが次第に見慣れた存在になる。ファッションの世界でも見られるように、ある対象があまりに広く共有されることで、かえって稀少性や新鮮さが薄れていくことは珍しくない。
そのため、若いコレクターの一部は、もはや誰もが知る分かりやすい選択肢だけを求めてはいない。求められているのは、自分自身のスタイルや価値観を表現できるもの、そして大声で主張せずとも固有の物語を持つものだ。こうした志向は、現在のカルティエ人気を説明する理由のひとつと言えるだろう。
ラグジュアリーではあるが、主張の仕方が違う
カルティエは近年、「クワイエットラグジュアリー」という文脈で語られることが多い。ただし、「パンテール」や「クラッシュ」まで含めれば、カルティエを単純に「控えめなブランド」と括ることはできない。むしろ特徴的なのは、大型ケースや技術的なスペックによって価値を声高に説明しなくても、ひと目でそれと分かる強い造形を持っていることだろう。

クォーツ。18KYG×SSケース(縦30×横23mm、厚さ6mm)。日常生活防水。166万3200円(税込み)。
「タンク」は、たとえゴールド製であっても、その端正なプロポーションによって大型のスポーツウォッチとは異なる印象を与える。「サントス」は強いアイデンティティを持ちながら、従来のスポーツウォッチとは異なる方法で存在感を示す。「パンテール」は、古典的な腕時計というよりも、ジュエリーとしての魅力を前面に出したモデルだ。
ここで起きているのは、ステータスそのものの消滅ではなく、その示し方の変化と考えるほうが自然だろう。高価であることや稀少であることを直接的に示すだけでなく、デザインへの理解や歴史的背景、あるいは自身のスタイルとの結びつきによって、選択の理由を語る傾向が強まっているのである。カルティエは、こうした新しいステータス表現と極めて相性が良い。
「タンク」を身に着けているからといって、必ずしもムーブメントへの造詣の深さを示すわけではない。しかしその時計は、時計技術だけでなく、建築や歴史、芸術、ファッションといった幅広い文化的文脈の中で語ることができる。つまり、権力や財力を直接的に誇示する道具というより、着用者の美的なステートメントとして機能しやすいのである。
ポップカルチャーの影響力
Z世代にとって、SNSを通じて日常的に目にする俳優やミュージシャン、クリエイターのスタイルは、ファッションやラグジュアリー製品を選ぶ際の重要な参照点となっている。時計もその例外ではない。
興味深いことに、ティモシー・シャラメ、ジェイコブ・エロルディ、エイサップ・ロッキー、タイラー・ザ・クリエイターといった人物の手首には、従来の大型スポーツウォッチとは異なるエレガントなモデルがしばしば登場する。
ここで注目すべきは、メゾンそのものだけではなく、その「身に着け方」だ。これらの腕時計は、彼らのパーソナルスタイルの一部として自然に取り入れられている。ヴィンテージの服やオーダーメイドのスーツ、あるいは意図的にミニマルなアウトフィットと組み合わせ、従来の高級時計に求められてきた形式張った装いから解放してしまう。そこからは、ラグジュアリーに対する従来とは異なるイメージが生まれている。
デザインの再評価
カルティエ人気を考えるうえで欠かせないのが、デザインそのものだ。もちろん、スポーツウォッチにも優れたデザインは多く、その価値を機能性だけで説明することはできない。ただし、現在の高級スポーツウォッチの多くが、ベゼルやブレスレット、防水性など「スポーツ」を想起させる共通のデザインコードを持つのに対し、カルティエは1世紀以上にわたり、スクエア、レクタンギュラー、オーバル、あるいは左右非対称といった多彩なフォルムを追求してきた。

手巻き(Cal.430 MC)。18KYGケース(縦43.5×横31.4mm、厚さ7.3mm)。日常生活防水。818万4000円(税込み)。
タンクは、史上最も象徴的な腕時計デザインのひとつだ。そのフォルムは戦車の姿から着想を得たとされ、誕生から100年以上が経過した今でも驚くほど現代的に見える。「サントス」は、飛行中に時刻を確認したいという飛行家アルベルト・サントス=デュモンの要望に応えてルイ・カルティエが考案した腕時計を起源とする。露出したビス、スクエアを基調とするライン、そして明快なプロポーションは、現在まで続く象徴的なデザインコードとなった。「ベニュワール」や「クラッシュ」はさらに一歩踏み込み、「腕時計はこうあるべき」という固定観念そのものを揺さぶっている。
もっとも、これはデザインが突然重要になったという意味ではない。ロイヤル オークやノーチラスもまた、その独創的な造形によって高級スポーツウォッチというジャンルを象徴する存在となったモデルである。現在起きているのは「機能からデザインへの転換」というより、支持されるデザインの方向性が多様化していることなのだろう。
スペックだけでは語れない価値
高級時計の世界では、タイムピースはしばしば技術的な基準によって評価されてきた。マニュファクチュール・ムーブメント、複雑機構、仕上げ、あるいは精度について多くの議論が交わされる。もちろん、これらは今もなお時計の価値を測る重要な基準である。
その一方で、若い購買層の一部では、異なる評価軸も存在感を増している。「どんなムーブメントが搭載されているか?」だけでなく、「なぜこの時計がこの形をしているのか?」「なぜ今もこのデザインが残っているのか?」といった問いである。
つまり、時計に与えられた意匠の文化的な意味や、その背景にある歴史が、時計を選ぶ際の価値として改めて重みを増しているのである。タンクが重要視されるのは、技術的に複雑だからではない。その歴史、デザイン、そして長年にわたる文化的な存在感そのものが価値を形成している。カルティエは、こうした評価軸の広がりから大きな恩恵を受けているメゾンのひとつと言えるだろう。

高効率クォーツムーブメント。18KYGケース(縦33.4×横26.7mm、厚さ7.2mm)。日常生活防水。231万円(税込み)。
ヴィンテージとクォーツへの抵抗感の薄まり
それと並行して、購買行動にも変化が見られる。若い時計愛好家の間でも、ヴィンテージモデルへの関心が高まっているのだ。これは単に価格や入手しやすさだけの問題ではない。経年変化や使用による傷も、その時計が過ごしてきた時間の一部として受け入れられる。
また、クォーツ時計に対する抵抗感が比較的薄いことも注目に値する。長年、機械式時計の愛好家の一部からクォーツムーブメントは低く評価される傾向にあった。しかし若い購買層には、ムーブメントの方式だけで時計の価値を決めず、デザインや使いやすさを優先する人も少なくない。カルティエのように、ムーブメントとは独立して強いデザイン・アイデンティティを持つメゾンにとって、これは大きな追い風となる。

クォーツ。18KYGケース(縦36×横26mm、厚さ8.6mm)。日常生活防水。予価285万1200円(税込み)。2026年11月発売。
新たなラグジュアリーの定義を体現するメゾン
若い購買層の間でカルティエが支持を広げている背景には、複数の理由がある。同メゾンは類まれな歴史を持ちながら、過去だけに依存しているわけではない。その腕時計はひと目で分かる強い個性を備えながら、技術的なスペックだけを価値の根拠としない。さらに、ジュエリーやファッション、芸術といった時計以外の文化とも自然につながることができる。
重要なのは、カルティエの台頭がロレックスやロイヤル オーク、ノーチラスといったスポーツウォッチの魅力が失われたことを意味するわけではないという点だ。むしろ、高級時計に求められる価値がひとつの方向だけでは語れなくなり、ステータスの示し方や時計を選ぶ理由が多様化していると捉えるべきだろう。長く続いてきたスポーツウォッチ一辺倒とも言える状況が緩みつつある今、カルティエはその変化を最も分かりやすく象徴するメゾンのひとつなのである。



