時計愛好家の生活 dragonfire_ jpさん「私のコレクションはどちらかと言うと“実用主義”です」

2026.10.06

2024年に定年を迎えたdragonfire_jpさん。「今はすっかり上がり状態ですが、ビハインドストーリーがあり、かつ条件が合えば蒐集は続けるかも知れません」。笑いながらこう語るが、そのコレクションは、彼がここ10年にわたって自身の成熟した価値観に基づいて築いてきた、非常に厚みのある独創的なものに仕上がっている。

dragonfire_ jpさん
関西の旧家の出身。旧家にして名家ゆえに、祖父のオメガのコンステレーションをはじめ、幼い頃から無意識のうちに、身の回りにある審美眼を陶冶する品々に触れてきた。大学進学を機に上京し、在学中にかつての祖父の腕時計を思い出すように、ヴィンテージウォッチを糸口に、時計趣味に足を踏み入れる。
奥田高文:写真
Photographs by Takafumi Okuda
鈴木幸也(クロノス日本版):取材・文
Text by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan), Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年3月号掲載記事]


「この10年は資金があっても得られない“背景”のある時計を探し求めています」

「この10年は、資金があっても得られない時計を探し求めるようになっています。どんなに素晴らしい個体でも、仮に資金があって得られるのであれば、購入意欲が出なくなっているためか、この10年で目立つような蒐集はほとんどありません」。dragonfire_jpさんがこう語るのは、それ以前に、すでにオオモノを手に入れていたからかもしれない。時計趣味が成熟し始めた頃から、もっぱら天文台クロノメーターを中心に蒐集し、その個体が持つビハインドストーリーを追求することに情熱を傾けてきたからだ。

ユリス・ナルダンの懐中時計

dragonfire_jpさんが天文台コンクールの懐中時計にハマるきっかけとなったユリス・ナルダンの懐中時計。2000年頃にeBayで落札したものを自身のインスタグラムに載せたところ、海外のコレクターからヌーシャテル天文台コンクールに入賞したモデルだと教えてもらい、そこから天文台コンクールについて調べ始め、ビハインドストーリーを持つ時計を求めるようになった契機となった想い出深いタイムピース。

ユリス・ナルダンの懐中時計

中蓋には、1892年の天文台クロノメーターコンクールの受賞の証しとムーブメントナンバー「No.6433」が刻まれる。

「私のコレクションについては、どちらかと言うと“実用主義”ですので、シンプルなタイプが多いです」と謙遜するゆえんだ。だが、そのビハインドストーリーを探求し、その結果として蓄積してきた知識は、並大抵のものではないことは、dragonfire_jpさんが、自身のインスタグラムにアップしているその“戦果”を見れば一目瞭然だ。

 今でこそ、凡人には到底たどり着けない高みにまで到達したdragonfire_jpさんだが、時計とのそもそもの出会いは、おじい様が所有していた1950年代のオメガのコンステレーションだったと振り返る。

「子供の頃から、祖父が持っていたコンステレーションをじっくりと見てきましたから、いつしか時計に興味を持ち始め、時計が好きになっていました」

 関西の旧家に生まれたdragonfire_jpさんは、高校までを地元で過ごし、大学進学を機に上京した。時計への興味を持ち続けていた彼は、大学4年生だった22歳のとき、いよいよ本格的にヴィンテージウォッチの世界へと足を踏み入れる。

dragonfire_jpさんが22歳の大学4年生の頃、横須賀の太安堂本店の栗﨑賢一氏をはじめ、当時の名だたるアンティークウォッチショップに通い詰めて、ヴィンテージウォッチについて学びながら、知識とともに蒐集していった“定番”の傑作たち。上から時計回りに、“上がり”として入手したパテック フィリップのカラトラバRef.570。ロレックスのゼファーCal.1570搭載モデル。同じくロレックスのゼファーCal.1030搭載モデル。IWCのCal.89搭載モデル。オメガの30mmキャリバー搭載モデル。ロレックスの手巻きのセンチュリー。オーデマ ピゲのCal.VZSSC搭載モデル。

「時計のコレクションは、よくあるパターンで腕時計から入りました。横須賀の太安堂本店の店主、栗﨑賢一さんからヴィンテージウォッチについて学び、当時からあった森下のケアーズさん、原宿のワンミニッツギャラリーさん、シェルマンさんへとよく足を運びました」

 彼らから知識を得たdragonfire_jpさんは、いよいよヴィンテージウォッチをコツコツとだが、蒐集し始める。ヴィンテージの定番と言うべき、名機と呼ばれるムーブメントを搭載したモデルが中心だ。オメガの30mmキャリバー、IWCのCal.89、ロレックスのCal.1030を搭載したゼファー、同じくロレックスのCal.1570、オーデマ ピゲのCal.VZSSCなどである。“上がり”として、パテック フィリップのカラトラバRef. 570も手に入れたという。

「IWCのCal.89やオメガの30mmキャリバーなど、定番が一通りそろうと、買うペースが落ちてきて、自然と懐中時計に手を出すようになりました」

 ここは、関西の旧家に生まれたdragonfire_jpさんの出自と個性によるものだろうか。本人いわく、あくまでも「自然」に懐中時計に興味を持つに至ったというのだ。さらに、懐中時計の機械を知ると、今度は婦人用懐中時計を腕に着けられるようにした初期の腕時計にも興味を持つようになったという。この興味の“変遷”と“進化”こそ、dragonfire_jpさんが非凡な時計愛好家である何よりの証しだろう。普通は、なかなかそこへはたどり着かないからだ。

天文台コンクールにまつわる懐中時計

dragonfire_jpさんが、2000年以降に集め始めた天文台コンクールにまつわる懐中時計。左から時計回りに、1926年のヌーシャテル天文台コンクール「Poche 1re classe」部門において「1er Prix」を受賞した懐中時計。1931年のジュネーブ天文台コンクールにおいて「1er Prix」賞を受賞したオメガの懐中時計。マサズパスタイムでリケースしたもの。1926年のヌーシャテル天文台コンクールに出展された懐中時計。2023年に入手したブザンソン天文台に出展されたルロワの懐中時計。

天文台コンクールにまつわる懐中時計

上の懐中時計のムーブメント。左から時計回りに、1926年にヌーシャテル天文台コンクールに出品された懐中時計はエレクタのエボーシュを使用。オメガはアルフレッド・ジャカードによって調整され、1931年のジュネーブ天文台コンクールで全6カテゴリーにおいて1位を獲得した際に出展された個体のひとつ。1926年のヌーシャテル天文台卒業製作時計のムーブメントにはラ・ショー・ド・フォンの刻印入り。ルロワは2代目レオン・ルロワが本人のコレクションに加えた際のメモ付き。エボーシュはチャールズ・ピゲ。

「このあたりから、海外のオークションや海外のコレクター仲間からの蒐集がメインになりました」

 こう語るように、この頃から、海外とのやり取りや情報交換が盛んになり、今やdragonfire_jpさんのコレクションの核心でもある天文台クロノメーターと運命的な出会いをすることになる。そのきっかけが、56ページのメインカットで紹介しているユリス・ナルダンの懐中時計である。これは2000年頃、eBayで落札したものだ。

「当時は、天文台クロノメーターについてほとんど知りませんでした。インスタグラムにこのユリス・ナルダンの懐中時計の画像をアップしたところ、海外のコレクターが、『これはヌーシャテル天文台のものだ』と教えてくれたのです」

 だが、皮肉なことに2000年以降、本業で管理職に昇進し、それまでよりも多忙になってしまったため、しばらく時計趣味に集中することができなくなってしまったという。

「結局、10年以上のブランクができてしまい、管理職に慣れた頃に、時計趣味を再開しました。そのときには、それまでに蒐集したコレクションを維持していたものの、ブランクの間に時計以外のいろいろな分野、例えば、古いカメラでの撮影や陶磁器、絵画、古拙な文化に触れる旅行など、趣味の範囲を広げていました」

(左上)オメガの初期のCal.30をベースとした、ヌーシャテル、ジュネーブ、キューの3つの天文台で受賞したコンクール専用時計。(右)1910年、ル・ロックル時計学校の学生時代にマルセル・ペラトンが製作したスクールウォッチ。(左下)スイスのプレミアムウォッチブランドであるコルテベルトがヌーシャテル天文台コンペティションのためにチューニングしたプゾー260。

(左上)オメガのCal.30の初期ムーブメント。1940年のキュー天文台コンクールから、1967年のヌーシャテル天文台コンクールまで活躍した。(右)マルセル・ペラトン製作のスクールウォッチはヌーシャテル天文台コンクール(1re classe)で「2me Prix」を獲得、後年に再出展し、優勝(First place)。(左下)プゾー260は3300個生産され、そのうち約189個がヌーシャテル天文台のテストに合格した。

 この経験を踏まえ、dragonfire_jpさんの“ビハインドストーリー探求の旅”が始まる。冒頭で述べたように、ここから本格的に「資金があっても得られない個体、ビハインドストーリー(背景)がある時計」を求めるようになったという。

「具体的には、万博などのイベントで上位に入賞した時計、プロトタイプの時計、あるモデルで最初に作られた時計、歴史に名を残した偉人が使っていた時計などです。とはいえ、これはさすがになかなか市場に出ないうえ、たとえ出たとしてもオークションハウスレベルですから、少々範囲を広げて……天文台コンクールで上位に入賞した時計、天文台検定用としてのプロトタイプの時計、歴史に名を残した調整師が手掛けた時計などです」

 こうしたさまざまな背景を持つ時計に惹かれ始めたdragonfire_jpさんだが、その中心は、天文台コンクールに関連する個体に絞られていった。

ヌーシャテル天文台コンクールのクラスCのためにチューニングされた懐中時計

ヌーシャテル天文台コンクールのクラスCのためにチューニングされた懐中時計。これは1891年の同クラスCのトライアルにおいて合格した個体で、ヌーシャテル天文台の証明書付き。シャルル・エドゥアール・ラルデットがこの懐中時計を製作し、彼は翌1892年のヌーシャテル天文台コンクールのクラスCで4位を獲得したムーブメントと同型のエボーシュムーブメントを採用した。天文台コンクールに出品するために、シャルル・エドゥアール・ラルデットにこのエボーシュムーブメントを供給したのは、マリウス・ルクルトと言われている。

「ですが、その天文台コンクールも1950年代後半からは市販モデルとはかけ離れた存在となり、私の“実用主義”を前提としたポリシーに合わなくなっているため、実際は、市販モデルに近かった1940年代の初期腕時計のカテゴリーに出展された個体をメインで蒐集しています」

 こう語るように、dragonfire_jpさんの蒐集のテーマは、本人の成熟とともに、進化と変遷を遂げているが、冒頭でも述べた通り、彼のポリシーである“実用主義”はまったく揺らいでいない。

「海外の天文台クロノメーターのコレクターと私の大きく違うところは、私は実際に使えるかどうかという観点で天文台クロノメーターを選んで、使えるムーブメントを腕時計化して愛用している点です」

オメガの初期のCal.30ベースの天文台クロノメーター

オメガの初期のCal.30ベースの天文台クロノメーター。驚くべきことに、1940年の英国のキュー天文台を皮切りに、スイスのジュネーブとヌーシャテルの天文台を加えた3つの天文台コンクールにおいて賞を獲得した高精度の傑作機だ。写真は、最後のコンクールとなった1967年のヌーシャテル天文台コンクールにおいて受賞した際に発行されたヌーシャテル天文台のサーティフィケーション(証明書)。

ギュブランのトラベルクロック

ムーブメントに手巻きのアンジェラス230を搭載したギュブランのトラベルクロック。6時位置の上に「8」とプリントされているように、8日巻きの機械式時計。“ 実用主義”を前提としたポリシーを持つdragonfire_jpさんらしく、実際に使えるトラベルクロックをコレクションし、愛用している。

 すなわち、天文台クロノメーターのムーブメントを腕時計に仕立て直して実際に使用しているのだ。

「精度追求のため、いろいろ改造されたところが多いムーブメントの中から、実用できる個体を見つけ、コンクール出展時のオリジナルの状態を保ったまま、当時の時代を再現するようなケースをあてがって楽しんでいるところもあります」

dragonfire_jpさんは定番ヴィンテージウォッチを一通り蒐集した後、懐中時計に興味を持ち、懐中時計を理解するようになると、今度は婦人用の懐中時計にストラップを付けて腕に着けられるようにした初期の腕時計にも関心を持つに至った。写真のボックス上段の左から3本は、レディースのポケットウォッチを腕時計にした初期の腕時計。左から、ティファニー、ウオルサム、Bigelow Kennard & Co.。いずれも当時、アメリカで販売されたものだ。残りのロンジンとオメガの5本の腕時計は、dragonfire_jpさんが手に入れた天文台クロノメーターのムーブメントを腕時計に換装したものだ。

 2024年に納品された時計を見ても、ロンジンのヌーシャテル天文台クロノメータームーブメント15.68Zと、キュー天文台に出展された同じくロンジンの30Zが、いずれも腕時計に換装されてdragonfire_jpさんのコレクションに加わっている。

 定年を迎え、地元に帰った今でも、国内外のコレクターたちとコミュニケーションを取っているという。そして、20歳の頃の好みと一致したものを交渉して入手しているというから、まだまだ時計趣味は現役続行中だ。

上で紹介している天文台クロノメーターを腕時計に換装したロンジンとオメガの裏側。クロノメータームーブメントを見られるように、すべてシースルーバック仕様に変更。左から、1947年にヌーシャテル天文台コンクールで3等賞を獲得したオメガの直径34mmのCal.35.5。1942年のヌーシャテル天文台コンクールに出展されたオメガのCal.26.5。1958年のジュネーブ天文台コンクールにおいて、新記録となるシリーズ賞(企業賞)1位を獲得したCal.30。1948年にヌーシャテル天文台コンクールに出展されたロンジンのCal.15.68Z。1951年に英国のキュー天文台コンクールに出展されたロンジンのCal.30Z。


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