世界のウォッチパーソン紳士録 2018

FEATURE本誌記事
2018.07.25

Georges KERN ジョージ・カーン  ブライトリング/CEO

1965年1月25日/ドイツ、デュッセルドルフ生まれ。①大手消費財企業でキャリアを積み、2000年、リシュモン グループ入社。02年、当時最年少の36歳でIWCのCEOに就任。17年よりブライトリングのCEOに就任し、株主のひとりともなる。②ユーザーターゲットの幅を広げ、広告キャンペーン、新しいコンセプトのブティックや販売店を通して、新たなブランドイメージを確立。中国市場の強化。より質の高い全世界的なディストリビューション網を構築するとともに、製品展開を包括的に再構築した。③父がデュッセルドルフのジュエラーだったため、時計に触れる機会が多く、若くしてさまざまなブランドの時計を身に着けていた。④魅力的な商品を提供することと絶対的なクォリティを保つこと。我々が売っているものは夢や情熱であり、それらは製品に強く結びついているものです。本質的なことは、ブランドの業績や歴史、伝統を築き、力強い本物のブランドイメージを確立していくことです。

Masahiro KIKUNO 菊野昌宏 独立時計師

1983年2月8日/北海道深川市生まれ。①自衛官を経て、ヒコ・みづのウォッチ&ジュエリーカレッジで時計修理を学ぶ。その後、独学で時計製作に取り組み、2012年に自身のブランドを立ち上げる。13年、独立時計師協会(AHCI)の正会員になる。②代表作は「不定時法時計」「折鶴」「和時計改」「朔望」。③オリス「BC3 クロノグラフ」。④正直であること。

Kurt KLAUS クルト・クラウス 
IWC/IWCアドバイザリー顧問(元開発設計責任者、時計師)

1934年10月26日/スイス、セント・ガレン生まれ。①ゾロトゥーン時計学校を卒業後、1957年にIWC入社。70年まで修理部門および試作品の製作を担う。その後、新型ムーブメントの開発に取り組み、86~99年、研究開発責任者に就任。現在は、ムーブメントの開発に携わりながら、世界中で技術的な講演を行う。②最も重要な開発は、80年代のパーペチュアルカレンダー。2100年まで修正を必要とせず、しばらく時計を身に着けていなかった場合でも、簡単なリュウズ操作で調整をすることが可能。さらに、カレンダーモジュールは工業化することで、非常に効率的な製造を実現した。③12歳の時の非常にシンプルで安価な時計。④技術的な完成と品質、極めて優れたケースと文字盤のデザインです。

Christian KNOOP クリスチャン・クヌープ IWC/クリエイティブセンター所長

1970年5月16日/ドイツ、ハルターン生まれ。①ドイツのデュースブルク・エッセン大学を卒業後、デザイナーとしてキャリアを積み、2009年、IWCに入社。入社時からクリエイティブセンターの副所長を務めた後、14年より現職。リシュモン グループのボーム&メルシエ、ロジェ・デュブイ、ダンヒルなどのコンサルタントも務める。②IWCが持つ6つのファミリーラインの再生に取り組む。最大の成果は、ポートフィノの再設計であり、IWCの製品ライン中で最も成功した製品のひとつへと導いた。③8歳の時に初めて時計をもらったが、どのブランドか覚えていません。④デザインに関しては、過去と未来の間のバランスをうまくとることが最も重要です。一方で、ブランドの伝統遺産と典型的なデザインも尊重しなければなりません。さらには、プロダクトの新しいストーリーやデザイン要素、技術的解決方法、そしてディテールで顧客を驚かせ続ける必要があるでしょう。

Christian LATTMANN クリスチャン・ラトマン ジャケ・ドロー/CEO

1969年10月20日/スイス、ビエンヌ生まれ。①1989年、ロンジンに入社。95年、オメガに入社。プロダクトマネージャーなどを務める。2002年、プロダクトマネージャーならびに取締役会メンバーとしてブレゲに入社。06年、ブレゲ副社長兼プロダクトマネジメント部門のトップに就任。09年にはブレゲでの役職に加えて、ジャケ・ドロー運営委員会のメンバーも兼任する。12年、ジャケ・ドローの上席副社長に就任。16年よりブレゲの役職を辞任し、ジャケ・ドローCEOに就任。②創造性を高めるため、部門間の壁を取り除き、社内を取りまとめる。「グラン・セコンド ムーン」「グラン・セコンド スケルトン」「トロピカル・バード・リピーター」を製品化。
③ロンジン「リンドバーグ」。④ブランドの価値、歴史、創造性、製品の品質、職人の技術、稀少性、そして顧客を大事にすること。

Franz LINDER フランツ・リンダー ミドー/プレジデント

1967年/スイス、ベルン生まれ。①金融企業でキャリアをスタートし、1995年、ミドーに入社。2002年より現職。②CEOに就任後、ビジネスの規模を15倍に拡大する。高品質な機構とタイムレスなデザインを組み合わせた機械式時計を、適正な価格で提供することで、10万〜30万円の価格帯で確固たる地位を確立。③エドックスのクォーツ時計。④ブランド価値を尊重することです。結果として顧客は腕時計に満足し、誇りに思うでしょう。喜んでくれる顧客は私たちの最も重要なアンバサダーであり、それはミドーが信頼に足るブランドだということを証明すると考えています。イノベーション、品質、価格以上の価値など、ミドーの価値を見れば、それは単にマーケティング用語ではなく、真実です。

Eric A. LOTH エリック・A・ロト グラハム/経営者

1958年12月29日/スイス、ビエンヌ生まれ。①ヌーシャテル大学大学院で金属物理学を、ローザンヌのIMDビジネススクールで経営学を修める。1980年、デザイン部門開発エンジニアとしてラドーに入社。86年、スウォッチ グループ製品開発部門のジェネラルマネージャーに就任。94年にザ・ブリティッシュ・マスターズ社とP2Mコンサルティング社を設立。②1995年、時計製作の専門家から協力を得て、レ・モン社を設立。2001年8月に社名をザ・ブリティッシュ・マスターズ社と改め、クロノグラフを発明した時計師ジョージ・グラハムの名を受け継ぐ時計コレクションの創作をスタートさせた。③ティソ。④デザインを維持し、質の高いムーブメントを使用して“スイス製”であることを保証すること。そして、極めて重要なのは素材と技術革新です。グラハムで鍵となるのは、製品だけでなく企業姿勢も差別化し、独自性を持たせることです。

Jean-Marc MANSVELT ジャン=マルク・マンスヴェルト ショーメ/CEO

①パリのHECを卒業。1988年、ロレアル パリに入社し、キャリアをスタート。2004年、ルイ・ヴィトンに入社。アクセサリー部門やレザーグッズ部門でディレクターを務める。14年、ロロ・ピアーナに入社。2015年1月より現職。② ――
③ ―― ④ ――

Yuichi MASUDA 増田裕一 カシオ計算機/取締役 専務執行役員、開発本部長(兼)事業戦略本部 BU長 時計事業担当

1954年7月20日/神奈川県生まれ。①1978年、カシオ計算機入社。03年、開発本部時計統轄部長就任。09年、取締役時計事業部長に就任。18年より現職。②2003年の時計統轄部長就任後、デジタルが中心だった開発方針を転換し、アナログモデルの開発に注力。04年、OCEANUSを立ち上げる。17年には、スマートフォンを介してタイムサーバーに接続することで世界中どこでも正確な時刻情報を受信する「Connected エンジン」を発表するなど、独創的な商品を送り出すべく開発陣を牽引している。③中学校入学時に父から譲り受けたオメガ。④カシオへの信頼は、時計そのものに対する信頼とブランドに対する信頼でもあります。そのために、安心して時計を使っていただけるモジュールの開発、そしてG-SHOCKやOCEANUSといったカシオブランドのファンの方々の期待を、常に超える時計を開発し続けることが重要だと考えます。

Edouard MEYLAN エドゥアルド・メイラン H.モーザー/CEO

1976年11月27日/スイス、ジュウ渓谷生まれ。①スイス連邦工科大学で機械工学を学んだ後、フィラデルフィアのウォートンスクールでMBAを取得。経営コンサルティングを経験し、その後、H.モーザーに携わる。②CEOに就任後、「ベンチャー」「パイオニア」「スイス アルプ ウォッチ」「ヘリテージ」の4つのコレクションを、ラインナップに追加。H.モーザーの再建に努める。若い世代に向けて、革新的でエレガントながら、従来のクラシックウォッチのスタイルとは異なる、退屈しない時計という認知を確立。5年前に比べて3倍の生産量と利益を達成した。③7歳の時に父からもらったステンレススティール製、ブルーダイアルのレマニアの時計。④生産数を限定し、顧客が予期していない、想像もできない、驚きを与える革新的な時計を作り続けることです。常にユニークでありながらも、ブランドと顧客のつながりを欠いてはならないでしょう。

Richard MILLE リシャール・ミル リシャール・ミル/CEO

1951年2月13日/フランス、ドラギニアン生まれ。①1974~94年、セイコーグループのコマーシャルディレクター、マトラグループのウォッチ専門エキスパートディレクターを務める。94~98年まで、モーブッサン ウォッチグループのCEO兼会長を務め、2001年、50歳の時に、リシャール・ミルを設立。現代建築や歴史にも深い関心を寄せ、現在は家族とともにブルタ-ニュ地方の18世紀のシャトーで暮らす。②耐久性、前衛的なデザイン、超高額、高級時計の概念を覆す時計を打ち立て、ブランドの創業と発展に尽力。代表作はRM 001、RM 009、RM 012、RM 027、RM 59-01、RM 056。③自分で時計を購入したことがありません(笑)。④自分の哲学を信じ、表現していくこと。創業当初から変わらず、ブランドの核となっていることです。その結果は生み出される時計そのものが語っており、何かを変える必要はないと考えていますし、継続するためにたゆまぬ努力を続けています。

Sascha MOERI サーシャ・モウリ  カール F. ブヘラ/CEO

1972年12月6日/スイス、ビエンヌ生まれ。①MBAを取得後、スウォッチ グループの財務部門で経理を担当。ミシェル・ジョルディのディレクターとしてジョルディ氏の補佐を務める。マイラス本社副社長に就任後、マイラスヨーロッパGmbHのCEOに就任。2010年より現職。②年間生産本数を6000本から2万5000本に増やし、ブランドポジションの確立と利益率の向上に注力。加えて、ブランドのグローバル展開を推し進めた。③ラドー。④伝統、情熱、そして優れた品質という価値のすべてが重要だと思います。すべての高級時計メーカーにとって、伝統的な技術を高い水準で維持することは不可欠であり、一方で新しいことを求めることも重要です。このふたつを追い求める姿勢は、私たちのDNAに深く刻み込まれています。なぜなら、カール F. ブヘラの名前は創業の1888年から品質、革新、そして情熱を表してきたからです。

Thomas Andreas MORF トーマス・モルフ ファーブル・ルーバ/CEO

1964年11月11日/スイス、エルマツィンゲン生まれ。①機械工学と経営学を学んだ後、デジタル機器のセールスとマーケティングを経験する。その後、デスコのリージョナルディレクターとして、モーリス・ラクロアを担当。カール F. ブヘラのCEO、ハンハルトのCEOを経て、現職。②競争の激しい高級時計市場におけるファーブル・ルーバの戦略立案と実行。③祖母からもらったUranusの手巻き時計。④一貫していて、かつ持続可能な戦略です。ブランドとは友のようなものです。そのため、戦略はすべてのパートナーが信頼できるものでなければならないと思います。このことは、高級時計に限らず、ブランドの看板を掲げるすべての製品に言えるのではないでしょうか。

Franck MULLER フランク・ミュラー フランク ミュラー ウォッチランド/創立者

1958年7月11日/スイス、ラ・ショー・ド・フォン生まれ。①ジュネーブ時計学校を卒業後、世界中の著名なコレクターから複雑時計の修復を任される。1986年のバーゼル・フェアにて「フリー オシレーション トゥールビヨン」を発表。91年にヴァルタン・シルマケスと出会い、テクノウォッチ社を設立。92年にブランドとしてユニークピース以外で初のコレクションを発表し、98年に社名をフランク ミュラー ウォッチランドに改め、独自の展示会WPHHを開催。②フランク ミュラー ブランドとして、24種類以上の「世界初」と50種類以上の特許を取得。③7~8歳頃に、父から「インカブロック(アンチショック)だから壊れない」と教わった時計。④美しい時計を着けている人は、「時」というものを大切にしているのだと感じます。美しく高品質な製品は、常にそれ自体が顧客を見つけるでしょう。

Peter NIKOLAUS ペーター・ニコラウス ツァイトヴィンケル/創立者、CEO

1959年/ドイツ生まれ。①電子工学と医療機器および時計産業で20年以上、熱心に活動を続ける。②ツァイトヴィンケルを創設。企業の支援やマーケティング予算を投入せずに、マニュファクチュールブランドを築き上げた。③1985年に購入したシチズン「アビエーター クロノグラフ」。④私たちにとって重要な鍵となっているのは、優れた品質と独自性を有し、製品に対して金額に見合った価値を与えることです。ツァイトヴィンケルの時計は、他社のベースムーブメントを使用せず、独自のムーブメントを自社のアトリエで製作しています。短期的なトレンドに左右されない、本質的な価値を持つクラシックな時計製造を目指し、その姿勢は非常に長い間、顧客からも喜ばれています。

Chabi NOURI シャビー・ ノウリ  ピアジェ インターナショナル/CEO

①カルティエのスイス支社で10年間、グローバル本社にて8年間キャリアを積む。2014年、ピアジェにインターナショナル・マーケティング&セールスマネージャーとして参画。2017年より、リシュモン グループの時計部門初となる女性CEOとしてピアジェのCEOに就任。②創造的革新と伝統価値のバランスを維持しつつ、ブランドの新たな位置付け、ジュエリービジネスの再発展において大きな効果をもたらす。③ ―― ④ ――

Giulio PAPI ジュリオ・パピ オーデマ ピゲ・ルノー エ パピ/ディレクター

1965年5月22日/スイス、ラ・ショー・ド・フォン生まれ。①1984年、ラ・ショー・ド・フォン時計学校を卒業後、オーデマ ピゲに入社。複雑機構の開発に携わる。86年、ルノー・エ・パピを設立。②主にオーデマ ピゲ用として、さまざまな複雑機構を発表。③子供の頃、最初にもらった時計はフランス製のオジバル。10代の頃はコルムで、大人になってからはIWCです。④これは難しい問題で、いくつも答えがあるでしょう。私はひとつだけ答えようと思います。私は純粋主義者で、未来への願望は複雑機構に取り組み続けることです。時計産業で仕事をすることは、高度な技術を求められるので、大きな満足感を与えてくれます。私は時計学よりも、技術に情熱を感じるのです。私のラグジュアリーに対するビジョンは、ひときわ優れたものを身に着けるという喜びに結びついています。

Michel PARMIGIANI ミシェル・パルミジャーニ パルミジャーニ・フルリエ/創業者、プレジデント

1950年12月2日/スイス、クヴェ生まれ。①時計師、修復師。②1996年、「オリエンタル・フラワー」を発表。98年、パルミジャーニ・フルリエ初の自社製ムーブメント「Cal.PF110」を製作。2004年、「トンダ トゥールビヨン」、05年、「ブガッティ タイプ370」を発表。11年、「ヒジュラカレンダー」、17年に「ブガッティ タイプ390」を発表した。③フルリエの小さな時計ブランドのオルマ。④かけがえのない職人の手による技術、機械ではなく手作業での仕上げの価値を、世の中に伝えていくべきだと考えています。職人の手で仕上げ、装飾を施されること、それこそが“高級”であり、ひとつひとつのクリエイションを唯一無二の作品にするものです。

Patrick PRUNIAUX パトリック・プルニエ ユリス・ナルダン/CEO

1972年6月12日生まれ。①2005年、タグ・ホイヤーにインターナショナル・エキスパート・ディレクターとして入社。09年にヨーロッパ、中東・アフリカのセールス責任者を務める。10年、グローバル・セールス&リテールの統括責任者に就任、ブランドのエグゼクティブ・コミッティの一員となる。14年、アップル社の特別プロジェクトに参画し、アップルウォッチの発表に携わる。17年8月より現職。②2017年、ジュネーブウォッチグランプリでスポーツウォッチ賞を受賞。新しい広告キャンペーンの立ち上げを行う。③6歳の時に父から贈られたミッキーマウスの時計。④私は、ブランドが真の価値を持ち、同時に革新的であることが重要だと感じています。ユリス・ナルダンでは、自分自身に忠実であり続け、毎年一貫して同じストーリーの新しい章に、異なる方法で私たちの時計製造の才能を表現し続けることで、既存と新規の顧客に喜びや幸福、充足感を提供します。

Pascal RAFFY パスカル・ラフィ  ボヴェ1822/オーナー

1963年7月20日/レバノン生まれ。①パリの大学で国際関係法の学士号を取得。2000年に投資家を探す多くの企業の中から、ボヴェを発見。02年にボヴェの唯一のオーナーとなる。②2006年、ディミエ1738マニュファクチュールおよびディミエ1738マニュファクチュール・ド・オートオルロジュリ・アルティザナル社、そしてシャート・ド・モティエを傘下に収める。以降、複雑機構を自社一貫製造するようになる。10年にアマデオ®システムを生み出す。③祖父からもらった1930年製のクロノグラフウォッチ。④私は、祖父が、贅沢は明確な独自性があること、少量であること、手作りであることである、と私に説明したのを覚えています。この3つのポイントに応えられないものは、贅沢とは言えません。数量は本質であり、マーケティングはツールです。それを実現するために、独立は私にとって必要不可欠なのです。

Carlos A. ROSILLO カルロス・A・ロシロ ベル&ロス/共同設立者兼CEO

1965年4月10日/フランス、パリ生まれ。①フランスのHEC経営大学院卒業。ブリュッセル・ランベール銀行、コンサルティング会社に勤めた後、1992年、学生時代からの友人であるブルーノ・ベラミッシュとともにベル&ロスを立ち上げる。一貫してミリタリーウォッチにまつわるコレクションを発表。②20年間でブランドを世界的な規模に成長させた。2012年、その功績によりフランス政府からレジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)を受章。③10歳の時、最初の聖餐式の際にもらったKeltonの時計。④ラグジュアリーは絶えず変わるもの。今の挑戦とは、常に大胆であること。その証明として、最もハイエンドな時計を特別にオンラインだけで販売すると決めました。ベル&ロスは常にデジタルにおいてパイオニアで、技術的な製造に対して真摯であると同時にリスクを恐れないことも成功への鍵だと思います。こうして私たちはインストゥルメント・ウォッチにおける指標となってきたのです。

Christelle ROSNOBLET クリステル・ロスノブレ スピーク・マリン/CEO

フランス、フレンチ北アルプス生まれ。①若い頃から、熱心な時計ファン、コレクターであり、2012年にピーター・スピークマリン氏と出会ったことがきっかけで、スピーク・マリンへ投資するチャンスを得る。現在はスピーク・マリンのCEOを務める。②新コレクション「Jクラス」「ワン アンド ツー」を発表。2015年から、ブランドを強化するため、設計・組み立てを自社内で行えるムーブメント開発戦略を推し進める。③子供の頃に購入したスウォッチ。④私の視点からすると、高級時計を売るために最も重要なことは、クラフツマンシップと独創性、革新性、そして美しさです。私たちは、高級時計を通じて、人々に夢を売っているのです。

Dani ROYER ダニ・ロワイエ ペキニエ/社長

1981年1月8日/フランス生まれ。①2004年、ヴァル フルリエに入社し、ムーブメント開発に従事。07年、執行役員およびアフターサービス部門のトップに就任。10~12年、アーノルド&サンの執行委員およびプロジェクトリーダーに就任。12~14年、カール F. ブヘラのR&D部門のトップに就任。17年より現職。②新製品を短期間で製造可能であることを示し、顧客ネットワークを活性化。社内機能の最適化・合理化を推し進め、製造効率を高めた。③14歳の誕生日に贈られたポケットウォッチ。④比類なき高い品質と本物であるストーリー、そしてその証しである製品を具体的に消費者に提供することです。だからこそ、我々の時計はすべてフランス、モルトーにあるペキニエの工房でのみ組み立てられています。

Jörg SCHAUER ヨルク・シャウアー ウォッチビルダー&デザイナー、ストーヴァ/CEO

1968年1月2日/ドイツ、アルテンシュタイク生まれ。①フォルツハイムの学校で金細工師としての専門教育を受けた後、1989~90年、スペインの時計宝飾店で金細工師およびマネージャーとして経験を積む。90年、デザイナー、時計職人として独立。95年、自らの名を冠したブランド、シャウアーを立ち上げる。96年、ストーヴァを買収する。②2004年、「アンテア」を発表。06年、ストーヴァのオンラインショップをスタート。09年、新社屋を建設し、移転。ストーヴァのミュージアムを併設する。13年、ロゴマークを刷新。同年「フリーガー テスタフ TO1」を発表。16年、「フリーガー プロフェッショナル DIN」を発表。③1977年に購入したセイコーのデジタルウォッチ。④そのルーツにある伝統や歴史を忘れないこと。そこから次のステップに行くこと。未来を恐れず、レトロトラップに陥らないこと。すべての進歩は今までしなかったことをすることである。