シャネル「J12」/時計にまつわるお名前事典

FEATURE時計にまつわるお名前事典
2020.12.02

どんなものにも名前があり、名前にはどれも意味や名付けられた理由がある。では、有名なあの時計のあの名前には、どんな由来があるのだろうか?このコラムでは、時計にまつわる名前の秘密を探り、その逸話とともに紹介する。
今回は、2000年の誕生以降、瞬く間に人気を獲得し、今やシャネルを代表するアイコンウォッチとなった「J12」の名前の由来をひもとく。

福田 豊:取材・文 Text by Yutaka Fukuda
奥山栄一:写真 Photographs by Eiichi Okuyama,Courtesy of chanel
2019年10月19日初出

シャネル「J12」

J12

2000年に発表された初代J12のコンセプトとデザインを手掛けたデザイナー、故ジャック・エリュによるJ12開発時の最初期のデザイン画。商品化されたJ12に見られるリュウズガードや秒針のカウンターウェイトは描かれていないが、文字盤中央のレイルウェイトラックや先端をすぱりと断ち落とした時分針、トップにカボションを配したリュウズなど、現在に受け継がれるJ12の特徴が見て取れる。

 シャネルの「J12」が今年のバーゼルワールドで完全リニューアル。「何も変えずにすべてを変える」をコンセプトとしたモデルチェンジは、一見、何も変わっていないようで、実はパーツの約70%が新しくされている。これは香水の「シャネル N°5」のボトルが変わっていないように見えて時代時代で変わっているのと同じ。つまりシャネルの真骨頂であり、こうした手法も含めて、改めて「J12」の素晴らしさを実感させられたのである。

 さて、その「J12」の名前の由来だが、これが少々ややこしい。ちょっとしたミステリーなのだ。

 いくつかの記事によると、「J12」という名は世界的なヨットレースであるアメリカズカップにかつて存在した「Jクラス」に由来する、とある。

「Jクラス」は紅茶王として知られるイギリスのトーマス・リプトン卿が1930年のアメリカズカップに挑戦する際に、アメリカズカップで初となる国際ルールの適用を提唱し、そうして誕生した規格だ。また、その後に勃発した第2次世界大戦により「Jクラス」はアメリカズカップでわずか3回しか使用されなかったが、非常に優美な船であったことからその多くがレストアされ、黄金期のヨットとして富裕層に愉しまれていることでも知られている。だからそんな出自や物語がまさにシャネルに相応しいラグジュアリー感であり、その説に真実味が感じられるのだ。

 しかも今年の7月には、シャネルが「J12」のリニューアル記念としてニューヨークのシェルターアイランドに独自のヨットクラブ「J12 ヨットクラブ」を期間限定でオープンし、そこに「Jクラス」のヨットを飾ってもいる。してみると「J12」の名が「Jクラス」に由来するというのが正解なのだろうか?

 ところが、だ。

「J12」が誕生したのは2000年。シャネルのアーティスティックディレクターであったジャック・エリュのデザインで、発表時のカタログにはヨットのスケッチや写真が多用され、なるほど「J12」がヨットをモチーフに誕生したことは感じられる。だが、しかし、そのカタログのどこにも「Jクラス」という言葉は記されていないのだ。

 また、このカタログは「J1」を「1日目」とした「12日目」までのヨットの航海日誌になぞらえられており、つまり「J」とはフランス語の「Jour」=「日」の意味と受け取れる。さらにその「3日目」のページには「名船、J12(12日目)」という記述がある。

 この「名船、J12」に関しては2002年の「J12 クロノグラフ」の資料に「ヨットレースの世界で歴史に残る名艇といわれるJ12は、シャネルのスポーツウォッチの名前となって、腕を飾るエレガンスを意味するようになりました」という記述がある。そして、それを基にしたのだろう、同様のことが書かれた記事を見ることもできる。ということは、「J12」とはヨットの名前なのだろうか。

 ところがところが、である。「J12」という名のヨットが見つからないのだ。セールナンバーにも見当たらない。もちろん、筆者はヨットの専門家ではない。しかし「世界で歴史に残る名艇」ならば、容易に見つかるのではないだろうか。

 さらに混乱するのが2005年の資料だ。そこにはジャック・エリュが「J12」のインスピレーションの基にしたひとつが「bassin d'Hyèresで有名なレースのために練習が行われる12m競技の世界」と記されている。翻訳ゆえに少々おかしな日本語になっているが、これは「イエールの入り江で、有名なレースのための練習が行われる、12m級による競技の世界観」ということだろう。

 そして、この「12m級」とは第2次世界大戦終結後のアメリカズカップで「Jクラス」に代わって採用されたヨットの規格のことだろう。つまり「イエール ヨット クラブのアメリカズカップのための12m級ヨット」ということで、この文脈からいえば「J12」の名前は「12m級」に由来するということになる。

 さらにさらに、だ。イエール ヨット クラブのアメリカズカップのための12m級ヨットといえば、フランス人のジャック・エリュにとっては、マルセル・ビック男爵のヨットのことなのではないか。マルセル・ビック男爵は、あの「ビックのボールペン」で有名なフランスのビックの創始者であり、1970年、1974年、1977年、1980年の4回のアメリカズカップに挑戦し、1998年にアメリカズカップのホール・オブ・フェイムに選ばれたフランス人にとってのヒーローだ。そのため、上述のリプトン卿にちなんだ「Jクラス」という説よりも、ビック男爵にちなんだ「12m級」の説には、さらに真実味が感じられるのだ。

 ということで、はたして「J12」の名前の由来は、いったいなんなのか。「Jクラス」というのが有力という気がするが。「J」が「Jクラス」で「12」が「12m級」ということなのだろうか――? いや、もしかしたら、「J」はジャックのイニシャルなのか? そして、「12」は時計のインデックスが12まであることに由来するのか……?

 と、まぁ、今回は謎が多すぎ、真実を導き出せず、話も長くなってしまった。あるいは筆者の調査がポンコツ過ぎて真実を見失っただけなのかもしれない。

 だが、いずれにせよ、「J12」がヨットの世界最高峰であるアメリカズカップの美しいヨットに由来する、世界屈指のラグジュアリーウォッチであることは間違いない。

 なお、新しい「J12」のお披露目のために5月に配布されたニュースペーパーを模したカタログには「アメリカズカップからインスパイアされた、J12という名前を授けられました」とある。リニューアルに際してシャネルが新しく開設した「J12」の公式サイトには「アメリカズカップで疾走するヨットのシルエットにインスパイアされた」と書かれている。

 ちなみに、シャネルの創業者であるガブリエル シャネルは数字への思い入れが強く、愛していた。だから、「J12」だけでなく、香水「シャネル N°5」やハンドバッグ「2.55」など、シャネルの商品名には数字が用いられることが多いという。

J12

J12
J12誕生から20年目を迎えた2019年、全面的に刷新されたJ12の現行モデル。「何も変えることなく、すべてを変える」というコンセプト通り、基本的なデザイン要素を継承しつつも細部はより洗練され、ケニッシ製の自社開発ムーブメントを搭載することで性能もいっそう向上した。自動巻き(Cal.12.1)。28石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。高耐性ブラックセラミック(直径38mm)。C.O.S.C.認定クロノメーター。200m防水。63万2500円。


2019年に20年目を迎えて全面刷新されたJ12。そのモデルチェンジに際して、何を変え、何を変えなかったのか?

https://www.webchronos.net/features/30044/


福田 豊/ふくだ・ゆたか
ライター、編集者。『LEON』『MADURO』などで男のライフスタイル全般について執筆。webマガジン『FORZA STYLE』にて時計連載や動画出演など多数。

Contact info: シャネル(カスタマーケア)Tel.0120-525-519


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