月面旅行を支えた傑作、オメガ「Cal.321」〜傑作ムーブメント列伝〜

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2022.05.16

『クロノス日本版』の広田雅将編集長が独断で選び、解説する「傑作ムーブメント列伝」。今回は唯一“月に上陸”したムーブメントとして知られるオメガCal.321を題材に、設計の優れた点を説明する。

Cal.321

Cal.321
レマニアのCal.27 CHRO C12をベースにしたオメガのCal.321。小径サイズに12時間積算計を詰め込んだ同作は、唯一の“月に上陸したムーブメント”となった。直径27mm、厚さ6.7mm。17石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約36時間。
広田雅将(クロノス日本版):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
2022年5月16日公開記事


12時間積算計搭載機ながら小型だったCal.321

 1969年に月面着陸を果たしたアポロ11号のクルーたち。その腕に巻かれていたのは、オメガ「スピードマスター」だった。搭載するのは基本設計を1942年にさかのぼるクロノグラフムーブメント、Cal.321である。

 30年代半ば以降、クロノグラフ専業のエボーシュメーカーは、新世代のクロノグラフムーブメントをリリースするようになった。バルジュー、マーテル、そしてヴィーナス。共通するのは、6時位置に備わる、巨大な12時間積算計だった。30分または45分しかカウントできなかった腕時計クロノグラフは、30年代半ば以降、時間単位での計測が可能になったのである。普及の一因は、飛行機が進化し、長距離飛行が普及したためだった。

 これらのムーブメントは、13リーニュ(直径30mm)以上という巨大な直径を持ち、そのため12時間積算計を加えることは難しくなかった。しかし、この大きなムーブメントに、ねじ込み式の防水ケースを与えようとするメーカーはほぼなかった。あくまで専門家向けとは言え、直径40mmを超える時計は、決して好まれるものではなかったのである。

 では、小さなサイズに12時間積算計を盛り込んだクロノグラフは作れないのか。そこで生まれたのが、48年のオメガ321だった。ムーブメントの直径は27mm、しかも、6時位置にはきちんとした12時間積算計が備わっていたのである。

 このムーブメントの祖にあたるのが、1942年のレマニア27 CHRO C12である。設計者はレマニアを代表する設計者となったアルバート・ピゲ。オメガからの「防水ケースに収められるクロノグラフムーブメントを完成させること」という要請を受けた彼は、今までのクロノグラフよりも、はるかに小さなムーブメントを完成させた。

Cal.321

直径が27mmと小径だったため、Cal.321は耐磁ケースを内包するスピードマスターとの相性に優れていた。写真はアメリカの作家、ラルフ・エリソンが所有していたST145.012。

 可能にした理由はふたつある。ひとつは、優れたプレス技術である。オメガと密接な関係にあったレマニアは、優れた金型を製造する能力を持っていた、と言われている。金型で精密に抜かれたクロノグラフ部品は精度が高く、結果、レマニアのクロノグラフは、調整用の偏心ネジを大幅に減らすことが出来た。レマニア27 CHRO C12とその後継機であるオメガ321の見た目が、バルジューやヴィーナスよりもはるかにモダンに見える理由でもある。

 そしてもうひとつが、12時間積算計の設計を極端にシンプルにしたこと。30年代にリリースされた12時間積算計付きのクロノグラフは、積算計をコントロールするため、文字盤側に複雑なクラッチ機構を収めていた。それは各社のクロノグラフが採用した12時間積算計にスムースなコントロールをもたらしたが、半面、クロノグラフを大きく複雑(そして高価な)なものにした。

 対してアルバート・ピゲは、12時間積算計を香箱から直接動かすよう設計を改めた。クロノグラフを作動させないときは、ブレーキレバーで12時間積算計を抑えて回転を止めるのである。その設計は乱暴とも言えるほど簡潔だったが、ピゲは、クロノグラフをコンパクトにできるというメリットを優先したのだろう。この12時間積算計は非常に良く出来たものだったが、唯一弱点がある。ブレーキレバーが摩耗すると、クロノグラフを作動させていないときでも、12時間積算計が回転してしまうのである。この弱点はレマニア27 CHRO C12とその後継機であるオメガ321、そして同じ12時間積算計の仕組みを採用した、ETA7750に共通するものだ。

 さておき、製造と設計の工夫により、レマニアは新しいクロノグラフのサイズを、オメガが希望した通りの小径に納めることに成功した。1940年代以降、オメガが小振りな防水ケースのクロノグラフモデルをリリースできた理由である。

 オメガ321の恩恵を最も受けたのは、1957年に登場した「スピードマスター」だろう。これは小さなムーブメントに耐磁ケースを組み込んだ防水クロノグラフだった。そもそもオメガがユーザーとして考えていたのは、プロフェッショナルドライバーだった。ステアリングなどから伝わるショックを受けてもムーブメントがダメージを受けないよう、ムーブメントを支えるリングは極めて大きく、しかもそれは、ケースと軽く固定されているだけだった。仮にムーブメントの直径が27mmでなく30mmだったら、こういう設計を取れるのは難しかったに違いない。

Cal.321B

オメガはCal.321の再生産を2019年に発表、同年12月に「スピードマスター ムーンウォッチ 321 プラチナ」で搭載した。再生産版のCal.321Bは、ほぼオリジナルを忠実に再現しているが、香箱真を補足することで収める主ゼンマイをより長いものとし、パワーリザーブを約60時間に延ばしている。

 コンパクトなクロノグラフムーブメントを頑強なインナーケースに納め、しかもショックを伝えにくくする。この設計は、ドライバーよりも宇宙飛行士たちにとって意味のあるものだった。Cal.321を搭載したスピードマスターは、NASAの過酷なテストを経て、月面着陸という栄誉を担うに至ったのである。

 防水ケースに納めるべく、小さなサイズを与えられたレマニアとオメガのクロノグラフムーブメントは、そのメリットを生かして、時計そのものに非凡な耐久性をもたらすことになった。もし仮に、アルバート・ピゲが大きなムーブメントを設計していたら、時計の歴史はどう変わっただろうか? 偶然の積み重ねは、果たして、オメガ321を、時計史に残る傑作としたのである。


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