薄型自動巻きムーブメントの傑作。遅咲きの大器、ロンジンCal.L990

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2022.06.27

『クロノス日本版』の広田雅将編集長が独断で選び、解説する「傑作ムーブメント列伝」。今回はロンジンが1970年代に発表した薄型自動巻きムーブメント、Cal.L990を紹介する。同作は優れた量産性とよく巻き上がる自動巻き機構を兼ね備えた名機だ。

Cal.L990

Cal.L990
1977年に発表されたロンジンのCal.L990。薄型でよく巻き上がり、量産に向いた自動巻きムーブメントの傑作だったが、登場した時代はクォーツ全盛記。のちにロンジンがヌーベル・レマニアに売却することで、運命が大きく変わることとなる。直径25.6mm、厚さ2.95mm、25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約38時間。
吉江正倫:写真
Photographs by Masanori Yoshie
広田雅将(クロノス日本版):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
2022年6月27日公開記事


ロンジンがやっと生み出した自動巻きの決定打

 名門マニュファクチュールとして知られるロンジンも、自動巻きの開発では試行錯誤を繰り返した。センターセコンド化、薄型化、そして高振動化という課題に加えて、省コストという要請は、自動巻きの開発をさらに難しいものとしたのである。ロンジンの自動巻きが設計を頻繁に変えたのは、つまり、オメガやロレックスのような決定打を持てなかったためだった。確かに、1967年の自動巻きCal.430は、3万6000振動/時という高い振動数で一世を風靡した。しかし、実のところ、これはエボーシュSAの自動巻きをロンジン仕様に改良したもので、Cal.430の後継機であるCal.432に至っては、完全にエボーシュSA製だった。

 転機が訪れたのは70年代初頭のことだった。エボーシュSAとASUAGがロンジンの株式を取得した結果、ロンジンの経営は安定するようになったのである。それを踏まえて、ロンジンは10年ぶりとなる、新しい自動巻きの開発に取り汲むこととなった。この長い不在の理由は、「電気ムーブメントに対するトラウマ」だった、とロンジンの資料は記している。おそらくロンジンは自動巻きよりも電磁テンプに未来を見出し、果たして商業的には大失敗した。ハイビートのCal.430と後継機のCal.432とは、あくまで、電磁テンプの代替でしかなかったのではないか。

 さておき、75年に完成したロンジンCal.L890は、全く新しい設計思想を持つ自動巻きだった。巻き上げはシンプルな片方向巻き上げで、加えて上下に重ねたダブルバレルを持っていた。発表時の資料はこうある。

「この“Eキャリバー”(当時の社内コード)は(中略)相互にリンクされた主ゼンマイを備えたふたつの同軸香箱が17回の高速回転をするという特徴を持っている」

 香箱のスピードを上げて、時間あたりのトルクを増やすという設計思想は、今やどのメーカーも採用するものだ。ルノー・エ・パピ(現オーデマ ピゲ ル・ロックル)製の一部ムーブメント(同工房の出身のムーブメント設計者にはこの設計思想を持つ人物が多い)、ヴァル・フルリエやカルティエの自動巻き、そしてセイコーのCal.9SA5などは、いずれも高速回転する香箱に特徴があるムーブメントだ。75年のCal.L890とは、その設計思想の先駆けだったのである。

 しかし、香箱を上下に重ねたCal.L890は、日付なしで5.2mm、日付ありで5.75mmとかなり厚いムーブメントとなった。対してロンジンの設計者たちは、76年以降、Cal.L890の薄型化に取り組んだ。完成したのが、77年のCal.L990である。Cal.L890の直径27mm、厚さ5.2(5.75)mmに対して、Cal.L990は直径25.6mm、厚さ2.95mm。しかもこの自動巻きは、量産に向く、簡潔な設計を持っていた。

Cal.L990

 ロンジンがムーブメントの厚さをほぼ半分に減らせた理由は、ふたつの香箱を重ねるのではなく、並列に置いたためだった。しかし、弱い主ゼンマイを高速回転させるという思想はCal.L890に全く同じで、主ゼンマイのトルクは350g・mm2しかなかった。長らく自動巻きの決定打を持てなかったロンジンは、最後の最後になって、ようやく、傑作と言える自動巻きをリリースしたのである。


レマニア、そしてブレゲが搭載

 しかし、スイスフランと金価格の高騰、そして日本製クォーツウォッチの普及は、自動巻きを市場から追いやってしまった。おそらく90年前後に、ロンジンはCal.L990をエボーシュメーカーのヌーベル・レマニア(現ブレゲ)に売却。同社はCal.レマニア8810と名称を改めて、自社のラインナップに加えたのである。

 レマニアがCal.L990を手に入れた理由は、同社の兄弟会社であったブレゲとエベルのためだった。薄さと弱いトルクというCal.L990の特徴は、ロンジンよりもハイエンドなメーカーに向いていたのである。90年以降、ブレゲとエベルは、こぞってCal.8810を採用。コレクションにモダンな自動巻きを加えること成功したのである。Cal.L990がその実力を発揮したのは、レマニア以降のことだ。

 そしてヌーベル・レマニアがブレゲに吸収された今なお、このムーブメントは第一線にとどまり続けている。ブレゲが一部の女性用に採用するCal.591は、シリコン製のヒゲゼンマイとフリースプラングテンプを持つCal.L990形の最終版。約38時間というパワーリザーブは現在の基準からすると短すぎるが、その薄さと弱い主ゼンマイゆえの高い巻き上げ効率は、女性用の自動巻きには最適だったのである。

 あまりにも登場が遅すぎたがゆえに、ロンジンでは無用の長物となったCal.L990。しかしその優れた設計はやがて、ブレゲを支えることになる。ロンジン最後の自社製ムーブメントとは、悲運の名機ではなく、遅咲きの大器だったのである。


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