ETA 7750は何故、多くの機械式クロノグラフに搭載されたのか? 鍵は生産性に優れた設計にあり

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2022.06.20

『クロノス日本版』の広田雅将編集長が独断で選び、解説する「傑作ムーブメント列伝」。今回は自動巻きクロノグラフムーブメントの代表作、Cal.ETA 7750だ。なぜ同ムーブメントが数多くの時計に採用されたのか、その鍵となるのは生産性に優れた設計だ。

ETA7750

Cal.ETA 7750
1973年初出の自動巻きクロノグラフ。スイングピニオン式水平クラッチやコンパクトな片方向巻き上げ自動巻き、プレスで打ち抜いた部品の多様などによって、大量生産を可能とした。設計は当時ヴァルジューに籍を置いていたエドモン・キャプト。直径30mm、厚さ7.8mm、17石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。
奥山栄一:写真
Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(クロノス日本版):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
2022年6月20日公開記事


生産性に優れた自動巻きクロノグラフCal.ETA7750

 1980年代に起こった機械式時計ブーム。牽引したのはムーンフェイズ付きのトリプルカレンダーと、それ以上に自動巻きクロノグラフだった。仮にCal.ETA7750(旧バルジュー7750)が存在しなければ、ひょっとして機械式時計のブームは定着しなかったかもしれない。

 長らく不可能に思われた自動巻き+クロノグラフの組み合わせ。しかし69年に、セイコー、ゼニス、そしてタグ・ホイヤーやブライトリングなどの連合チームが、それぞれ自動巻きクロノグラフを完成させた。続く72年に、オメガが自動巻きクロノグラフのCal.1040を発表。これは、オメガCal.861の自動巻き版と言って良い、汎用性の高いムーブメントだった。

 クロノグラフのメーカーとして高名なバルジューも、やはり自動巻きクロノグラフの開発に取り組んだ。設計者はエドモン・キャプト。彼は設計にコンピューターを使うだけでなく、プレス部品の形状を工夫することで、コストを抑えた、高性能な自動巻きクロノグラフを完成させた。それが73年のバルジュー7750、つまりCal.ETA 7750だった。

エドモン・キャプト

Cal.ETA 7750の設計を担ったエドモン・キャプト。彼はのちにフレデリック・ピゲに移籍し、自動巻きクロノグラフの傑作Cal.1185を設計したことでも知られる。

 ところで、69年まで自動巻きクロノグラフが量産できなかった理由はいくつかある。ひとつは、自動巻きが邪魔をしてクロノグラフのスペースを取れなかったこと。対してセイコーやゼニスは小さな自動巻き機構を採用し、タグ・ホイヤーやブライトリングなどはマイクロローター自動巻きを使うことで対処した。そして、これらに対してより工業的に優れた設計を持っていたのがCal.ETA7750だった。コンパクトな片方向巻き上げ自動巻きに加えて、クロノグラフ機構をプレスで抜きやすい部品のみで構成することで、大量生産に向いたムーブメントとなったのである。

 自動巻きクロノグラフを量産できなかったもうひとつの理由が、ブレーキレバーだった。この部品があると、クロノグラフをストップさせたとき、クロノグラフの針をきちんと固定できる。しかし、ただでさえスペースを食う自動巻き機構とクロノグラフ機構を併載した場合、そこにブレーキレバーを加えることは難しかった。加えて、コストを下げるためにカム式を採用すると、なおさらブレーキレバーを載せることは困難だった。

 というのも、カム式の場合はコストを下げるため、切削ではなくプレスで打ち抜かれた部品で構成されている。加工しやすくするために形をシンプルにすると、よりスペースを大きく取るのだ。つまり、カム式では手巻きですらブレーキレバーとの組み合わせは難しいのである。

 この、カム式クロノグラフにブレーキレバーが載せられないという問題に対する解決策をもたらしたのは、1968年のオメガCal.861である。これは、高級なコラムホイールではなく安価なカムを用いたものだったが、カムをコンパクトにすることで、ブレーキレバーを搭載することに成功したのである。このモデル以降、ブレーキレバーを載せたカム式のクロノグラフは標準となったのである。

 加えてプレスを工夫することで、Cal.ETA 7750は自動巻きで、しかもカム式なのにブレーキレバーを載せることに成功したのである。生産性や整備性に優れるだけでなく、性能も優れたCal.ETA 7750。当時のバルジューが、このムーブメントに社運をかけたことは間違いない。しかし、クォーツの普及に伴い、機械式クロノグラフの需要は急減した。75年、ETAはCal.ETA 7750の製造を中止し、在庫の破棄を決定した。

7750 特許資料

Cal.ETA 7750の特許資料。クロノグラフのスタート/ストップだけでなく、ブレーキレバーとリセットハンマー用にもそれぞれカムを割り当て、3層構造とすることで、それぞれの制御をカム式で可能とした。

 もっとも、すべての在庫が捨てられたわけではなかったようだ。以降も、おそらくETAから放出されたムーブメントを使って、各社は自動巻きクロノグラフを製造し続けたのである。そのひとつが、IWCとポルシェデザインのコラボレーションで生まれたポルシェデザイン by IECのRef.3700だったと言われている。


1980年代によみがえったCal. ETA7750

 一度生産中止となったCal.ETA 7750だが、機械式時計のブームが、再びこのムーブメントを表舞台に引っ張り出した。83年に、ETAは7750の再生産を決定。以降、さまざまなメーカーが、この自動巻きを使った魅力的な新製品を発表したのである。ブライトリング「クロノマット」、ジラール・ペルゴ「GP7000」、ジン「103」などは、Cal.ETA 7750の再生産がなければ、決して生まれなかったモデルだ。

クロノマット

ブライトリング「クロノマット」Ref.81950
1984年に発表されたブライトリングのアイコンモデル。ストックのCal.ETA 7750を使用した同作はイタリア市場をはじめ各国で大成功を収め、機械式クロノグラフの復興に大きく寄与した。同作の成功はCal.ETA 7750の存在なしには語れず、また、同作なしではその後の機械式クロノグラフブームはなかっただろう。

 各社は、Cal.ETA 7750に手を加えるようになった。ブライトリングは高性能なクロノメーター化を実現し、IWCやチューダーなども高度なチューニングにより、クロノメーター級の精度を出すことに成功した。安価で、壊れにくく、そして調整次第では高い精度を望めるCal.ETA 7750は、1980年代から2000年代にかけて、スイスの時計業界を支え続けたのである。

 もっとも、基本設計を1973年にさかのぼるCal.ETA 7750は、2000年代に入るとさすがに基本設計の古さを隠しきれなくなっていた。各社はCal.ETA 7750を自社製ムーブメントに置き換えるようになり、その採用はぐっと少なくなったのである。

 ではCal.ETA7750はもはや時代遅れになったのか? ここ5年を見る限り、むしろ逆だろう。ロンジンやハミルトンが採用するCal.ETA7750の改良版は、最新型のクロノグラフに肩を並べるほどのロングパワーリザーブを持つほか、一部のモデルは、シリコン製ヒゲゼンマイにより、極めて高い耐磁性さえ持つようになったのである。

Cal.L688.4

Cal.L688.4
Cal.ETA 7750は登場から半世紀近くが経った現在でも第一線のムーブメントだ。特にETAを傘下に収めるスウォッチ グループでは同ムーブメントに改良を施し、所属ブランドで使用している。代表的なのがロンジンの「ロンジン スピリット」のクロノグラフモデルが採用するCal.L688.4。カム式からコラムホイール式にクロノグラフ制御の方式を変更した上、ヒゲゼンマイもシリコン製に変更されている。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。

 機械式時計のブームを支えたCal.ETA 7750は、大改造を経て、今なお第一級のクロノグラフムーブメントであり続ける。安価で、堅牢で、高精度という美点を備えたCal.ETA 7750とは、今なお、優れたワークホースなのである。


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