ヴァシュロン・コンスタンタン、265年を超えるブランドの歴史をひもとく

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2022.12.11

ヴァシュロン・コンスタンタンは、世界三大時計ブランドのひとつに数えられている。265年を超える歴史は伊達ではない。この記事では、ヴァシュロン・コンスタンタンが築き上げてきた歴史と人気の秘密をひもといていく。ヴァシュロン・コンスタンタン屈指の人気コレクションについても解説する。

1755年、当時24歳にして熟練の時計職人だったジャン=マルク・ヴァシュロンが、初めて見習い職人を雇用したことをきっかけに、ヴァシュロン・コンスタンタンは誕生した。上の写真はジャン=マルク・ヴァシュロンが最初期に手掛けた懐中時計。テンプ受けにはアラベスク装飾が精巧に施されるなど、卓越した職人技が見て取れる。


世界三大時計ブランド、ヴァシュロン・コンスタンタンとは?

ヴァシュロン・コンスタンタンの歴史と魅力。代表的なコレクションを紹介
https://www.webchronos.net/features/72587/

ヴァシュロン・コンスタンタンは、パテック フィリップやオーデマ ピゲと並ぶ世界三大時計ブランドのひとつとして数えられている。スイス時計の名門ブランドであり、長い歴史と格式の高さは、他の高級時計ブランドとは一線を画している。

この世界三大時計ブランドは、いずれも長い歴史と伝統を誇っているが、ヴァシュロン・コンスタンタンの歴史の長さは他ふたつのブランドを凌ぐ。これら三大ブランドは、多少の背伸びではまったく手の届かない存在であることから、敬意を込めて「雲上ブランド」と呼ばれている。


創業265年超え、ブランドの歴史を振り返るく

これまでの長い歴史の中でヴァシュロン・コンスタンタンはどのようにブランドを成長させてきたのだろうか? 創業から現在までの歴史を振り返ってみよう。

ブランドの始まり

1755年9月17日、スイス・ジュネーブの地にヴァシュロン・コンスタンタンは誕生した。創業者は当時24歳の熟練時計職人、ジャン=マルク・ヴァシュロン。彼が見習い職人を雇うことをきっかけにブランドは始まった。

ジャン=マルク・ヴァシュロン

1755年9月17日、24歳で時計製造工房を設立したジャン=マルク・ヴァシュロン(1731-1805)。彼は、サン・ジェルヴェ地区に会社を設立し、初めての見習い職人としてイザヤ・ジャン・フランソワ・エティエを雇用した。この時の雇用契約書は、現在に続くヴァシュロン・コンスタンタンに関わる最も古い文書として記録されている。

驚くべきことに、創業年と同じ年にジャン=マルク・ヴァシュロンが製作した懐中時計が現在も残されている(トップ画像参照)。銀製のケースに収められたムーブメント。テンプ受けには、イスラム美術の一種であるアラベスク装飾が施されており、彼の高い時計技術と優れた美的センスがうかがえる。

世界的時計ブランドとなった秘密

その後、ジャン=マルクの技術は2番目の息子であるアブラアンへと受け継がれる。息子・アブラアンは、フランス革命やジュネーブ併合による激動の中でもブランドを途切れさせることなく守り抜いた。

アブラアン・ヴァシュロン

ジャン=マルク・ヴァシュロンの2番目の息子であるアブラアン・ヴァシュロン(1760-1843)。彼は家業を継承し、フランス革命とその後のフランス総裁政府軍によるジュネーブ併合といった困難に立ち向かい、これらの大動乱を乗り越え、1780年代の終わりには初のレピーヌ・タイプの時計を製造した。

1810年には、ジャン=マルクの孫であるジャックがブランドを継承。ジャックがブランドを継いでからというもの、音楽の鳴る時計をはじめとしたさらに複雑な時計をつくりはじめた。

また、ジャックの経営者としての働きは凄まじく、時計の販路をフランスやイタリアにまで拡大させる。時計の輸出をきっかけに出会ったのが、商人のフランソワ・コンスタンタンだ。

ジャック・バルテルミー・ヴァシュロン

1810年よりメゾンの経営を継承したジャック・バルテルミー・ヴァシュロン(1787-1864)。この頃、ヴァシュロンの工房では2種類のメロディーを随意に奏でるミュージカルウォッチなど、より複雑な時計を製造するようになっていた。さらに、彼の決断によって、ヴァシュロンの時計はフランス、続いてイタリアへと輸出されるようになった。

1819年、ジャックはフランソワのビジネスセンスに惚れ込み、フランソワはもともと時計商人であり、時計に情熱を注いでいたことから、経営を共にすることとなり、現在の「ヴァシュロン・コンスタンタン」へと進化したのだ。

共同経営者となったフランソワの活躍により、輸出範囲をさらに拡大。ヴァシュロン・コンスタンタンの名は、世界中へと広がった。

フランソワ・コンスタンタン

商人の息子として生まれたフランソワ・コンスタンタンは、若い頃からアルプスとジュラ地方を旅して歩き、その優れたビジネスセンスに磨きをかけてきた。この旅の経験から、彼は有能なビジネスマンに成長し、やがてジャック・バルテルミー・ヴァシュロンと出会う。共にジュネーブ出身で、複雑で洗練された時計に情熱を傾ける両者は意気投合し、1819年、「ヴァシュロン・コンスタンタン」という会社が誕生した。

「雲上ブランド」となった現在

1906年、ローヌ川の中洲ケ・ド・リルにある本社1階にブティックを開いた。このブティックがあった建物は現在も健在である。2004年までヴァシュロン・コンスタンタンの本社が入っていたが、現在はプラン・レ・ワットに本社を移している。

ヴァシュロン・コンスタンタンの本社

プラン・レ・ワットに位置するヴァシュロン・コンスタンタンの現在の本社。

創業者であるジャン=マルク亡き後、国が激動する最中も、ブランドを継承したアブラアンやジャックは止まることなく進み続けた。また、その後もヴァシュロン一族が経営を継承し続けた結果、ヴァシュロン・コンスタンタンの歴史に空白のページが生まれることなく、現在にまで至る。

歴史をひもといていくと、雲上ブランドとよばれる所以がよく理解でき、その理由にも強く頷ける。