自分だけの1本を作る パーソナライズを選ぶ理由(後編)

FEATURE本誌記事
2023.04.26

既存モデルをカスタマイズすることで、自分だけの逸品を作るパーソナライゼーション。自動車業界では古くから取り入れられていた試みながら、時計業界で本格的な盛り上がりを見せたのは、近年のことだ。各社の取り組みを探りながら、同サービスを通じて顧客が享受できるものとは何なのかを考えたい。

インサイト・マイクロローター・スケルトン、ロジカル・ワン

三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
菅原茂、吉田拓生、細田雄人(本誌):取材・文
Text by Shigeru Sugawara, Takuo Yoshida, Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年5月号掲載記事]


Column:Bentley
100年続く、パーソナライズの規範

 何をもって極上とするかの基準は人それぞれ。だが自らの好みを反映した“一点モノ”、つまりパーソナライズを価値基準の中核に据える考え方が一般的だろう。時計の世界に広がりつつあるパーソナライズ。その原点は自動車の分野にヒントを得ているとされることが多い。イギリスの高級車ベントレーのスタンスに、パーソナライズの原点を探ってみた。

ベントレーのブティック

 オーダー、ビスポーク、オートクチュール、そしてパーソナライズ……。これらは全て「誂え」という日本語に置き換えることができるだろう。

 イギリスの首都ロンドンはオトコにとって魅力的な街だ。サヴィル・ロウのヘンリープールで採寸を終えた後は“ロンドン・ロブ”で靴を、ダンヒルでパイプを、スウェインエドニーでアタッシェを誂え、仕上げにコンデュイット・ストリートにあるベントレーで1台仕立てる。かつて世界中の王侯貴族がロンドンを訪れ、最初にやることといえば「誂え」に他ならなかった。

 時代は変わっても、「誂え」が今なおイギリスをもって究極とするという考えは変わらない。もちろんプロダクション化が究極といえるレベルまで進んだ自動車の分野でも、超がつく高級ブランドには誂えの伝統が残っているのである。

ベントレー

3連メーターはスイッチ操作ひとつで回転し、ナビモニターに切り替わる。これもベントレーらしい手の込んだオプションのひとつ。

 1919年創業のイギリスの老舗自動車ブランドであるベントレー・モーターズ。同社のショールームには内装に使われる革やウッドが、それこそ原材料レベルのサンプルとして常備されており、今日の一般的な自動車の枠を超えたオーダーが可能になっていることが理解できる。

 今日のベントレーに継承されている「誂え」の原点は、顧客のちょっとした我がままではなく、自動車の誕生そのものへと行き着く。自動車の黎明期は全てのモデルが一点モノであり、注文主の用途や趣味性が反映されていた。また原初の自動車は、エンジンと車台を製作する自動車メーカーと、ボディを仕立てるコーチビルダー(彼らは古くは荷馬車を手掛けていた)とに分かれていたという事実も興味深い。ベントレーで車台を注文した後、顧客は好みのコーチビルダーを選んで、然るべきボディを架装させていたのである。

皮革のサンプル

ショールームに用意されている皮革のサンプルは一部分にすぎないが、その鮮やかな色合いが顧客のイマジネーションを膨らませるきっかけとなる。セカンドハンドを選び、内装を2色の革で仕上げたり、パイピングやステッチの色を細かく変更したりといったパーソナライズはベントレーの全てのモデルに適用可能となっている。

 今日のベントレーの最上級仕様として用意されているマリナーデリバティブ。そのマリナーという名称は、世界最古のコーチビルダーの名前なのである。もともと別会社としてベントレーのボディを手掛けていたマリナーは職人集団としてベントレーに吸収され、世界に2台しかないエリザベス女王の愛車だったベントレー・ステート・リムジンを仕立て上げている。また2021年にわずか12台だけ製作され話題を呼んだベントレー・バカラルもマリナーが久しぶりにコーチビルドを手掛けた逸品だ。

 何ごとも究極を追求すればパーソナライズに行き着く。その公式は今なお変わらないのである。(吉田拓生)

ベントレー・ステート・リムジン、ベントレー・バカラル

左はエリザベス女王専用車として2台だけ製作されたベントレー・ステート・リムジン。右は12台が製作され、即時完売となったベントレー・バカラル。誂えの伝統を今日に伝える代表的な2台だ。

ドアの内張り等に表現されたダイヤモンドパターンの模様も、ベントレーらしいオプションメニューのひとつ。ステッチを用いることなく内装材の表面に凹凸を作り出す手法は社外秘なのだとか。



Contact info: ベントレーコール Tel.0120-97-7797


Case 2:Jacob & Co.
仕様変更に留まらないハイエンドパーソナライゼーション

 アメリカの不動産王でカーコレクターとして有名なマニー・コシュビン氏。ブガッティとエルメスがコラボした世界に1台の車を所有するこの人物が、ジェイコブに特別な時計をオーダー。ブガッティ、エルメス、ジェイコブを融合した、まさに夢のようなパーソナライゼーションを実現させた時計だ。

ブガッティ・シロン トゥールビヨン

 1986年にジュエラーとしてニューヨークに創業し、2002年から時計業界に参入したジェイコブ・アンド・コー(以下ジェイコブ)は、当初からセレブや富豪向けのオーダーメイドも得意とし、レギュラーコレクションの場合もデザインや素材のバリエーションが実に豊富で、どれもユニークピースのように見える。そんなジェイコブは、19年にブガッティとパートナーシップを結び、翌年に新ライン「ブガッティ・シロン」を発表した。

 これにさっそく注目したのがマニー・コシュビン氏。自身がブガッティに特注したシロンのワンオフモデル、「シロン・エルメス」に合わせて時計のパーソナライズをジェイコブに依頼したのだ。

エルメス仕様のブガッティ・シロン

ブガッティとエルメスを愛好してやまないマニー・コシュビン氏のスペシャルオーダーで作られたエルメス仕様のブガッティ・シロン。同車は世界で1台しか存在しない、まさに究極のパーソナライズドカーだ。

 ブガッティ・シロンのボディラインから着想を得た独特のケースデザインや、W16型のエンジンを模した構造と16のピストンが上下するアニメーションがクルマ好きに魅力的な「ブガッティ・シロン トゥールビヨン」には、チタン、18Kゴールド、チタン×ホワイトセラミックコーティングによるモデルに加え、サファイアクリスタルモデルや贅沢なジュエリーバージョンなども存在する。しかし、車との整合性を考慮して彼がベースモデルに選んだのは、チタン×ホワイトセラミックコーティングのモデルだった。

ブガッティ・シロン トゥールビヨン

「ブガッティ・シロン トゥールビヨン」の最もベーシックなブラックチタンモデル。3つのリュウズの機能は、左が時刻調整、中央は巻き上げ、右はW16エンジンの動きを模したアニメーションの作動用。手巻き(Cal.JCAM37)。51石。2万1600振動。パワーリザーブ約60時間。Ti+ブラックDLCケース(縦55×横44mm、厚さ20mm)。3気圧防水。世界限定126本。4455万円(税込み)。

 そこからデザイン決定までのジェイコブとのやりとりをコシュビン氏は動画で紹介している。まずケースのカラーは、所有車のシロン・エルメスと同じエルメスの独自色「クレ」だが、最初にジェイコブから上がってきたデザインの印象がいかにも地味なので、ブガッティらしいレッドのアクセントをリクエスト。

 次に少し華やかさが欲しいと伝えたら、外装やムーブメントにゴールドを用いたデザインが届く。しかし、ゴールドを使用していないブガッティ・シロン・エルメスとイメージがかけ離れているので却下。

ブガッティ・シロン トゥールビヨン

チタン&ホワイトセラミックコーティングの通常モデルではインデックスや針、トゥールビヨン、EBマークなどがすべてブルーだが、ブガッティのロゴと同様のレッドに統一。さらにW16エンジンを模した機構部のピストンもゴールドに変更して、アニメーションに華やかさをプラス。

ブガッティ・シロン トゥールビヨン

ケースの中で浮いた状態のムーブメントを支える4本のサスペンションのバネや30度傾斜したフライングトゥールビヨン、テールランプを思わせる3つのリュウズ(写真)にブガッティのロゴと同様のレッドをアレンジ。

 最終的には、ゴールドで彩るのはアニメーションが楽しいエンジンのピストン部のみへと落ち着いた。そして、ケースバックには車の内外装に用いられた、馬をモチーフにしたエルメスの模様をあしらった。もちろん、エルメス公認である。

 コシュビン氏の例では、基本的にベースモデルの仕様変更になるが、ジェイコブではどんな要望にも応える用意があり、ムーブメントの製作を含む白紙状態からのオーダーにも対応する。

マニー・コシュビン氏の所有するブガッティ・シロンのボディカラーのクレに合わせ、チタンをコーティングするセラミックスを入念に調合。コーティングに続いてセラミックスを窯で焼成し、研磨仕上げを施す。

ブガッティ・シロン トゥールビヨン

“UNIQUE PIECE”の文字を刻むケースバックには、車の内装と外装に用いられる馬のモチーフで構成されたヘリンボーン柄のデザインをアレンジ。繊細な意匠を通してムーブメントが垣間見える。

 創業者ジェイコブ・アラボ自身「世界が見たことのない作品を作らせる」オーダー主のような存在で、それを実現する時計職人や宝飾職人の充実もブランドの特色である。ちなみに昨年の10月にオープンした日本の銀座ブティックからのオーダーも可能だという。(菅原茂)

ジェイコブ・アンド・コーのブティック

2022年10月、銀座にオープンした日本初のジェイコブ・アンド・コーのブティック。店内には「ブガッティ・シロン トゥールビヨン」をはじめ「アストロノミア」、リオネル・メッシとのコラボによる「エピック X クロノ」など代表モデルの数々がそろう。カタログを参考にアレンジやオーダーも可能だ。

ジェイコブ・アンド・コーのブティック



Contact info: ジェイコブ・アンド・コー・ジャパン Tel.03-6281-4777