銀座中古時計専門店強盗事件の「悲しみ」。カネ欲しさに「あの時計」を狙った少年たち

FEATURE役に立つ!? 時計業界雑談通信
2023.06.10

今回は番外編。時計ジャーナリストであると同時に、大学で「犯罪の少ない社会の実現のための政策を考える学問」である刑事政策学を学んだ者として、あの銀座で起きた少年たちの「あの時計」強盗の背景について、その考察をお伝えしたい。それにしても、時計好きにとって、これほどうんざりする事件はない。

渋谷ヤスヒト:写真・文 Photographs & Text by Yasuhito Shibuya
(2023年6月10日掲載記事)


「カネになる時計」を狙った、悲しくて稚拙な犯行

  2023年5月8日午後6時18分ごろ、3人組が銀座8丁目の、ある時計の中古販売店に押し入り、店員にナイフを示して「伏せろ、殺すぞ」と脅迫。バールのようなものでショーケースをたたき割って、「あの時計」を含む腕時計など74点(販売価格計3億860万円相当)を次々に強奪した。

 だが、高校生を含む彼らは犯罪のシロウトであり、犯行の方法から逃走計画まで、すべてがあまりにも稚拙な犯行だった。その結果、すぐに逮捕された。その背後に「闇バイト」を仕掛ける黒幕があったかどうか、現時点では捜査中だ。

 白昼堂々の犯行だったこと。犯人が高校生を含む少年だったこと。そして伝えられた“被害金額”が数億円と巨額だったこと。メディアはこの3点に注目してこの事件を大々的に報道した。

世界で最も気の毒な時計

 だが、筆者がもっと注目してほしいこと。それは「なぜ彼らが、あの時計の中古販売店を狙ったのか?」ということだ。

 なお、ここではあえて、ブランド名を出さず「あの時計」とする。なぜなら、時計ブランドには何の罪もない。被害者とも言うべき立場だからだ。以前、このコラムでも書いたように、筆者はあの時計が「世界で最も気の毒な時計」だと思っている。これ以上こんな「どうしようもない犯罪」がらみで名前が出るのは忍びない。

 そして、こんな事件が起きて、どんな時計よりも真面目に作られて良心的な価格で販売されている、そのブランドイメージを悪用して、これまで「良からぬ人たちにさんざんに利用されている」あの時計に、さらに気の毒なイメージが付いてしまったことが本当に悲しい。

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少年たちを動かした「あの時計」のブランドイメージ

  少年たちはなぜ「あの時計」の中古専門店を狙ったのか? それはあの時計の中古品に「転売すれば高額で売れる“儲かる時計”」というイメージを抱いていたからだろう。だから彼らはわざわざ、あの時計の、しかも中古品専門のあの店を狙ったのだ。

 では、なぜそんなイメージが作られた、というかできてしまったのか? それはあの時計ブランドのせいだろうか?

 それは違う。彼らはただただ真面目に時計作りをして、定価で販売しているだけだ。生産数が少ない? いや、年間生産数は推定でも数十万本。数十万といっても、かなり多い方の数十万本だ。決して少なくはない。

 年間数十万本も作られていることを考えると、中古時計店に並んでいるモデルは、決して稀少モデルではない。ごく普通の製品だ。

 しかも、あの時計ブランドは改善を怠らない超良心的な時計作りをモットーにしているので、あの時計は日々進化している。つまり名車「ポルシェ911」のように「最新のモデルが最良のモデル」なのである。

異常なバブル価格

 だから、はっきりと断言しておきたい。あの時計の中古時計市場での取引価格は、実体価値とはかけ離れた「異常なバブル価格」だ。

 もちろん、生産数がごくわずかだったり、特別な機構を備えていたり、著名人が愛用していたなど、特別な付加価値のある稀少な時計の市場取引価格がとんでもなく高いことは当然だ。異常ではない。

 ところが、数年落ちの普通の中古品に、現行品の新品の定価よりも高額な値段が付いている。これはとにかく、とにかく異常な、あってはならないことなのだ。

 では誰があのブランドの中古時計をこんな異常な価格にしたのか? そして、あの少年たちがその中古時計専門店に強盗に入る動機、犯行の理由と思われる「転売すれば高額で売れる、儲かる時計」というイメージを付加したのか?

 それは「中古品の方が新品より価値がある。中古を転売すれば“儲かる時計”」という、おかしな話を信じてしまった人々。また、あの店のように、そんな人々のイメージを利用して、実は稀少性があまりないのに希少性があるように宣伝してビジネスを続けてきた中古時計販売店である。

メディアにも一端の責任が

 彼らがそんなイメージを抱いてしまったことには、襲われた中古時計販売店のようなビジネスをしている人たちや、その店のビジネスを紹介してそのイメージを拡散したメディアにも、一端の責任があると思う。

 また、あの立地のこともぜひ考えてほしい。そもそもあのような一等地に店を構えて維持するためには、巨額の利益を上げなければならない。あの場所で売られているあの時計ブランドの中古品には、そのためのコストがたっぷり計上されている。そして、その上にさらに利益が上乗せされているはずだ。

 さらにこの種のビジネスがどのようなもので、どんな人の手で行われるのが通例なのか、自身でビジネスをやった経験のある人なら分かるはずだ。

 今回の事件は、そんな人たちが、自分たちが作った「中古品の方が新品より価値がある。転売すれば儲かる時計」というイメージを真に受けた少年たちに襲われたのだ。なんとも皮肉な話である。


「中古品の方が価値がある、儲かる時計」という共同幻想

 読者の中には「実際に高値で売買されているし、自分も儲かっている。その何が悪い」とおっしゃる方も少なからずいるだろう。

 だが、冷静に考えてみてほしい。年間数十万本、その一部のモデルでも数万本も製造・販売されるモデルが稀少であるわけがないし「新品より中古品の方が価値がある」わけがない。それが一時の共同幻想であることは明白だ。

 ただ共同幻想というものは、「信者」が多く、その数が拡大している限りは、信者にその幻想を「事実」としていったんは信じさせることができる。しかし、それにはやがて限界がやってくる。筆者は1990年代前半に、一度それを目撃している。

認定中古

 また、あの時計ブランドは今、こうした状況に対して画期的な取り組みを開始している。それがCPO(Certified Pre-Owned=認定中古)時計プログラムだ。

 なぜ彼らは、このタイミングで中古時計市場に自ら乗り出したのか? それは長年、自分たちでは関与できない中古時計市場に蔓延したことで生まれたこの共同幻想と、それに基づく残念過ぎるイメージから起きているさまざまな誤解、そして誹謗中傷、それを根本的に「何とかしたい」からだろう。

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 彼らはこのプログラムの導入を通じて、中古品の品質と価値を自らコントロールできる環境をつくる。そして「異常な市場価格」を是正して、中古品が製造当時と同等の品質、適切な価格で再び流通することを目指している。そして時計の世界でも、適切なリサイクル、リユースの環境を実現することも目指している。

 あの時計はそもそも実用時計だ。だから、アンティーク(100年以上経過したもの)やヴィンテージ(製造から100年以内)の特別なものでなければ、新品以上の値付けがされてしまうことが異常であることを指摘しておきたい。

 そして、この中古品の異常な流通体制が、ブランドの価値を損なうと同時に、時計のリサイクル、リユースの最大の妨げになっている。このことも、社会貢献活動に熱心なあの時計ブランドが、自ら中古品市場のビジネスに乗り出した理由だろう。

 あの時計が欲しいというあなたには、あの時計に関するこの異常な共同幻想についてぜひ知ってほしい。次に「なぜ自分は本当にあの時計がほしいのか」を考えてほしい。あの時計が、別の目的のための単なる手段ではないのか? それとも本当に手に入れて使いたいのか? そして、あなたの「あの時計との付き合い方」を再考してほしい。

 あの犯人の少年たちが起こした、このあまりにも稚拙で悲しい事件。そして、あの時計ブランドが自ら認定中古品のビジネスに乗り出したこと。このふたつの出来事を大きなきっかけにして――。


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