タグ・ホイヤー/オウタヴィア

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.01.10

2017年に復活したオウタヴィアを、単なる復刻版と見る人は少なくない。しかしこの“復刻版”が、タグ・ホイヤーの最新自社製クロノグラフを搭載したという事実には、明確な理由がある。今も昔も、オウタヴィアという名前は、タグ・ホイヤーにとって別格なのだ。

オウタヴィア

吉江正倫:写真
広田雅将(本誌):取材・文
[連載第46回/クロノス日本版 2018年7月号初出]


レーシングシーンとの蜜月から生まれた
計測機器としてのホイヤー

今でこそ、スポーツウォッチメーカーとしての印象が強いタグ・ホイヤー。しかし1960年代に至るまで、旧ホイヤーはほぼストップウォッチの専業メーカーだった。計測機器に特化してきたホイヤーは、やがてそのノウハウを投じた「オウタヴィア」で、腕時計の世界に華々しく打って出ることとなる。

オウタヴィア・ダッシュボード クロック

オウタヴィア・ダッシュボード クロック [1933]
1933年に完成した、ホイヤー初の本格的なダッシュボード・クロック。左には懐中時計が、右には12時間積算計付きのストップウォッチが備わる。ジャック・ホイヤーが生産中止にするまで、このモデルは四半世紀近くも、ホイヤーのヒット作であり続けた。

 1960〜70年代半ばにかけて、ホイヤーに最盛期をもたらしたジャック・ホイヤー(タグ・ホイヤー元名誉会長)。往年を回顧して、彼はこう語った。「(私がホイヤーに入社した58年当時の)ホイヤーは、ストップウォッチを製作しており、今のような腕時計メーカーではありませんでした」。事実、彼が腕時計の分野を伸張させた71年の時点でさえ、ホイヤーは売り上げの3分の2をストップウォッチに頼っていたのである。彼がホイヤーを「世界最大の機械式ストップウォッチメーカー」と称したはずである。

 ではなぜホイヤーは、世界最大のストップウォッチメーカーになれたのか。最も大きな理由は、計測するジャンルに対して、さまざまなモデルを用意したためだった。中でもモータースポーツのジャンルに向けて、ホイヤーは数多くのストップウォッチを揃えていた。

 こうした〝尖った方向性〟をホイヤーにもたらしたのが、ジャック・ホイヤーの祖父に当たる、シャルル・オーギュスト・ホイヤーだった。ジャックはこう語る。「祖父はホイヤー家の大セニョールと言うべき存在であり、クルマを運転した初の人物でした。彼はベルン州で車を買った4番目の人物でしたね。1905年前後のことだったと思います」。

 自動車に魅せられた〝セニョール〟は、しかし、その不便さにもすぐに気付いた。エンジンはすぐオーバーヒートし、タイヤはパンクし、目的地にいつ着くのか分からなかったのである。そこでシャルル・オーギュストは、旅の所要時間が分かるダッシュボード・クロノグラフ「タイプ・オブ・トリップ」を完成させた。

 11年に発売されたタイプ・オブ・トリップとは、機能に特化した初のクロノグラフ、正しく言うと12時間積算計付きストップウォッチだった。視認性を高めるため、直径は11㎝。そして出発時間を記録するため、12時位置には時分針を持つリマインダーが設けられていた。

 ホイヤーのユニークさを示すのが、3時位置のモニターだった。道路状況が悪く、自動車の振動が大きかった11年当時、ダッシュボード・クロックは容易に壊れた。対してホイヤーは、3時位置のモニターで故障を知らせたのである。シャルル・オーギュストはしばしば自動車メーカーに赴き、このクロノグラフをダッシュボードに取り付けたという。

 出発時間のメモリ機能と、故障を知らせるモニターを備えたタイプ・オブ・トリップは、自動車メーカーのみならず、航空関係者にも歓迎された。ホイヤーはこのモデルを皮切りに、航空機用の計器も製作するようになったのである。

 自動車と航空機の分野に進出したホイヤーは、やがてこのふたつのジャンルをカバーできるダッシュボード・クロノグラフを作ろうと考えた。ジャック・ホイヤーはこう語る。「名称は〝オウタヴィア〟。命名者はおそらく父でした」。オートモービルとアヴィエーションからなる造語、オウタヴィア。それは新しいダッシュボード・クロックの性格を端的に言い表していた。

 33年にリリースされたオウタヴィアは、本当の意味でのプロ向けダッシュボード・クロノグラフだった。アルミプレートの左側に8日巻きのクロックが、右側には12時間積算計付きのストップウォッチが固定された。加えて、タイプ・オブ・トリップではセンターにあった12時間積算計は6時位置のサブダイアルに移され、12時位置には60分積算計と、センターには60秒積算計が備わった。秒単位を計測できるこのダッシュボード・クロノグラフは、以降ホイヤーの屋台骨を支えることとなる。

オウタヴィア Ref.2446 Mark3

オウタヴィア Ref.2446 Mark3[1966]
ジャック・ホイヤーが開発に携わった初の腕時計クロノグラフが、オウタヴィアである。ラリードライバーとしての経験から、彼は回転ベゼルと12時間積算計、そして高い視認性が不可欠と考えていた。これは66年の通称Mark 3モデルである。

 では、ダッシュボード・クロノグラフのオウタヴィアが、なぜ腕時計クロノグラフになったのか。少し長くなるが記してみたい。大学を卒業したジャック・ホイヤーに対して、父はイギリスのスポーツカー、MG Aを与えた。ホイヤー家の一員としてたちまちモータースポーツに魅せられたジャックは、このジャンルこそ、ホイヤー製のダッシュボード・クロックをアピールする最適の場と考えるようになった。彼は3つのストップウォッチが取り付けられるプレートを自製し、そこにオウタヴィアとマスタータイム、そしてもうひとつの時計を加えて、オリジナルのラリータイマーを作り上げた。後にホイヤーの代名詞となる3連のラリータイマー。作り上げたのは、大学卒業間もないジャック・ホイヤーだったのである。言うまでもなく彼はこのクロックを愛用したが、後にある事件が起こった。

「私たち(彼と友人)は、2回目のラリーに出場しました。その際友人がドライバーで、ナビゲーターは私でした。一時期順位を3位まで上げ、1位とはちょうど1分遅れでした。理由は、私が(オウタヴィアの)小さな分積算計を読み違えたからです。私はこの使えない、オウタヴィアという名前のダッシュボード・ストップウォッチに腹を立て、一時期生産中止にしたのです」

 代わりにジャック・ホイヤーは、12時間積算計と60分積算計が読み取りやすいダッシュボード・ストップウォッチを作ろうと考え、クロノグラフメーカーのデュボア・デプラにコンタクトを取った。完成したのが、60分同軸積算計と、12時間のデジタル積算計を持つ「モンテカルロ」である。1911年から生産されてきたホイヤーのダッシュボード・クロノグラフは、本作で完成を見たといってよい。ジャックはこう語る。「大きなデジタル表示の12時間積算計を持つモンテカルロは、ラリードライバーには不可欠のダッシュボード・ストップウォッチになりました」。

 怒りにまかせてカタログから落としたものの、彼はオウタヴィアという名前には価値がある、と考えていた。しかし、その名前をどう使うか考えあぐねていた。

 解決策をもたらしたのは、ホイヤー家のちょっとした〝お家騒動〟だった。叔父のフーバー・ホイヤーは、会社の株をアメリカのブローバに売却したがっていた。そこでジャックは、叔父と父が所有する株を買収し、ホイヤーの大多数の株主となったのである。弱冠28歳でホイヤーの経営権を掌握した彼は、ストップウォッチ以上に腕時計クロノグラフに未来があると考え、その開発を急がせた。「私たちは自由だ。回転ベゼルと12時間積算計を持つクロノグラフを作ろう」。61年秋、彼は製作中の新しい腕時計クロノグラフに、オウタヴィアと名付けることを決めた。ちなみに、初のクロノグラフに12時間積算計を備えるのは必須条件だったらしい。彼は、たとえ腕時計サイズに縮小されても、オウタヴィアが、ラリータイマーとして使えることを念頭に置いていたのである。

「私のデザインのテイストを決めたのは、ふたつの事柄でした。アナログ文字盤は、安全上の理由で、高い視認性を持たねばならないこと。私はこれをチューリッヒの工科大学で学びました。というのも、発電所で読み間違えると、大惨事が起きますからね。加えて、私は建築家のエーロ・サーニネンと、オスカー・ニーマイヤーのファンでした」。ラリードライバーとしての経験に加えて、工科大学で工学を学び、建築に興味を持つ彼の知見は、オウタヴィアのデザインに、機能性と洗練を与えることとなったのである。

 62年に発表されたオウタヴィアは、たちまちヒット作となった。以降ジャックは「カレラ」や「モナコ」といった数多くの傑作をリリース。ホイヤーはストップウォッチの専業メーカーから、徐々に総合的な時計メーカーへと変容していくことになる。

1960’s AUTAVIA
3-Counter Chronograph

 1962年にリリースされたのが、3カウンターのモデルである。発表当時のカタログには「新しいステンレススティールケースにより、3万5000フィートの高度、330フィートの水の中でも完璧に作動する」と記されている。なお、右上のモデルが、第一世代のRef.2446 Mark1。1965年には、防水性能を高めたスナップバック式の第二世代ケースに置き換わった。見た目の違いは、リュウズとプッシュボタン。第二世代のケースは、プッシュボタンとリュウズが大きくなったほか、ベゼルも細身になった。搭載するのは12時間積算計付きのバルジュー72。このモデルに限らず、ホイヤーはバルジューのエボーシュを好んだ。なお1962年当時、Ref.2446の販売価格は119.50ドル。

オウタヴィア

オウタヴィア

1960-70’s AUTAVIA
2-Counter Chronograph

 マーケティング上の理由から、ホイヤーはオウタヴィアに安価なモデル(Ref.3646)の「オウタヴィア 30」を加えていた。ムーブメントは12時間積算計を省いたバルジュー92。ただし60年代後半のモデルは、7730系を載せていた可能性がある。1962年当時の販売価格は、99ドル50セント。なお、左上のモデルがオウタヴィアをベースに開発された、ヨットレース用クロノグラフの「スキッパー(Ref.7764)」だ。左のRef.7763のケースを転用した派生版だが、積算計が30分から15分に変更された。

オウタヴィア

オウタヴィア

1970-80’s AUTAVIA
Chrono-matic

 オートモービルとアヴィエーションから生まれたオウタヴィア。1960年代後半には、自動巻きの「クロノマティック」を搭載し、大幅な進化を遂げた。しかし約200ドルと高価だった(予定された価格は175ドルだった)ため、1972年にはクロノマティックの廉価版であるキャリバー15搭載版(Ref.1563)も追加された。外観上の違いは、12時間積算計が省かれたほか、秒針が10時位置にある点。1962年にリリースされたオウタヴィアは、社名がタグ・ホイヤーに変わった1985年まで製造された。バリエーションの多さは、いかにもホイヤーらしい。

オウタヴィア

オウタヴィア

オウタヴィア

オウタヴィア