【IWCオタク向け】Cal.89000系/Cal.69000系。IWCのクロノグラフムーブメントを研究する

2024.06.10

現在、IWCのクロノグラフモデルに搭載される、自社製ムーブメントCal.89000系/Cal.69000系。このふたつのムーブメントを“設計”から見ると、ユニークな、そして堅実な同ブランドの開発姿勢が伝わってくる。

三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年9月号掲載記事]


Cal.89000系

 コンパクトな自動巻き機構と垂直クラッチの普及により、設計の自由度を増した機械式クロノグラフ。対して、古典的なスイングピニオン式クラッチと改良版のペラトン自動巻き機構を持ちつつも、フライバックと同軸積算計の併載に成功したクロノグラフもある。それが、IWCのCal.89000系だ。

Cal.89365

Cal.89365
アクアタイマー向けにCal.89360の同軸積算計から12時間積算計を省いたムーブメント。丸穴車と角穴車を離すという設計により、フライバック機構と同軸積算計のスペースを無理なく捻出している。改良されたペラトン自動巻き機構は不動作角が約10°しかないためデスクワークにも向く。自動巻き(直径30mm)。38石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約68時間。フリースプラングテンプ。


フライバック機構の付加

 クロノグラフ作動時にストップさせずにリセットを行うフライバック。仮にフライバックを使えるものにしたいならば、できるだけフライバック機構にスペースを割く必要がある。場所が確保できれば、リセットハンマーを含むリセット機構を強固にできるためだ。1941年に発表されたUROFAの59が、直径34㎜という当時としては大きなサイズを持った理由だ。

 今や、コンパクトな垂直クラッチと自動巻き機構のおかげで、フライバック機構を載せるのは難しくなくなった。対して、まったく違うアプローチでフライバック機構にスペースを割いたのが、IWCのCal.89000系だ。

Cal.89360のクロノグラフ機構

Cal.89360のクロノグラフ機構。古典的なクロノグラフとは異なり、輪列と同じレイヤーにクロノグラフ機構が置かれているのが見て取れる。注目すべきはレバー類。曲げが少なく、非常に頑丈に作られているのが分かる。丸穴車と香箱を遠ざけた結果、このムーブメントはクロノグラフ機構に十分なゆとりがある。そのため、ラフにフライバックを操作しても、理論上は壊れにくくなった。

 ほとんどすべての時計は、丸穴車と角穴車(香箱)が隣り合っている。そのため、クロノグラフ機構の取り回しには無理が出る。対して89000系は、このふたつを切り離し、その間を、受けの上に置いたリング状の中間車でつないでいる。結果、ムーブメントの中心には巨大なスペースが生まれた。IWCはそこに、フライバックに耐えられる、頑強なレバー類やリセットハンマーを置いたのである。また、スペースがあるため、部品の曲げは少なくなる。結果、耐久性を高められるだけでなく、製造コストも抑えられるだろう。

Cal.89360

Cal.89360の機構図。巻き真から大きく離れた香箱とゆとりあるクロノグラフ機構が見て取れる。また、現行のクロノグラフとしては珍しく、2番車が中心にある。ピンク色の部品が、秒クロノグラフ車、60分積算車、12時間積算車を帰零させるリセットハンマー。フライバックに耐えられるよう、極めて頑強に出来ているのが分かる。

 省スペース化への配慮は、クラッチ機構にも見て取れる。IWCが採用したのは、あえてのスイングピニオン。ETA7750が採用するコンパクトな水平クラッチだ。キャリングアームに比べてクラッチ機構の慣性が小さいため、フライバックには向いている。また、通常は分積算と時積算に分かれる積算計をひとつにまとめ、12時位置に置いた。垂直方向の厚みは増すが、水平方向にはコンパクトになる。結果、クロノグラフのレバー類やリセットハンマーには、いっそうスペースが取れる。IWCの設計陣は、すべての設計をフライバック機構に向けて最適化したのである。

Cal.89360のリセットハンマー

リセットハンマー
Cal.89360のリセットハンマー(右)は、中心で「く」の字型に折れる設計である。上部のレバーに見える突起が、秒クロノグラフ車のリセットハンマー、下のレバーのふたつの突起は、それぞれ60分積算車、12時間積算車のリセットハンマーである。上のレバーは下のレバーに対して強固にビスで固定されており、ラフに使ってもすべてのリセットが行える。左上は、60分と12時間積算計がリセットされた状態、左下はリセットしていない状態。

 1分間に1回転する4番車に、細いカナを当てて、それを中心にあるクロノグラフ車に接触させるスイングピニオン。省スペースだが、針飛びが起きやすく、テンプの振り角が落ちやすいという弱点がある。対してIWCは、スイングピニオンの歯形を斜めに成形し、針飛びが起きにくくした。また、設計に携わったステファン・イーネンはこう語る。「全巻き時のテンプの振り角は310度、クロノグラフを作動させても10度しか落ちない」。つまり、IWCはスイングピニオンの弱点を解消してみせたわけだ。


同軸積算計も併載

Cal.89360の同軸積算計

簡易型垂直クラッチ
Cal.89360の同軸積算計。これらの歯車で、60分と12時間の積算・リセットを行う。図右の歯車は12時間積算計のリセット用。中心上は分積算計を駆動する歯車。青い部品は、皿状に成型された簡易型の垂直クラッチ=摩擦車である。駆動時はテンションがかかるが、リセットすると滑る。左の12時間積算車にも摩擦車がある。

 面白いのは60分と12時間の同軸積算計だ。香箱に直接歯車を噛ませることで、積算計を駆動している。もっとも今のクロノグラフらしく、積算機構は文字盤側ではなくムーブメント側に置かれている。クラッチは簡易型の垂直クラッチと言うべき摩擦車式だ。クロノグラフを作動させていないときは強制的に止めるものである。クロノグラフを動かしていないときは抵抗になるが、トルクの強い香箱が動力源のため、性能には影響がないという判断だ。

 あくまでフライバックに特化した89000系。もちろん、今のフライバッククロノグラフはどれも安心して使えるものばかりだ。しかしそれを設計でも担保したという点で、このムーブメントは傑出している。あえてプッシュボタンを重くしたのも、実用性を重視したIWCらしくて好感が持てる。

ブレーキレバー

ブレーキレバー
水平クラッチを持つ89000系にはブレーキレバーが備わる。左は積算開始、右は停止状態。コラムホイールが回るとブレーキレバーの先端がコラムのくぼみに落ち込み、レバーを動かす。その先端に設けられたブレーキ部分が、60分積算車と秒クロノグラフ車を押さえてクロノグラフ針を固定する。右側に見える中を抜かれた四角い部品が、プッシュボタンとコラムホイールを連結する作動レバー。リーチが短く、かつ極めて頑強であることが分かる。

ブレーキレバー


Cal.69000系

 長らくIWCのワークホースであった自動巻きクロノグラフのCal.79000系。ETA7750をフルチューンした本機は、ブライトリングのCal.13に比肩する傑作である。その後継機が自社製のCal.69000系。工業的なムーブメントながらIWCらしい配慮が際立っている。

Cal.69355

Cal.69355
Cal.79000系を置き換えるのが、自社製のCal.69000系だ。スイングピニオンにラチェット式のマジッククリック自動巻きなど、堅実な設計を持つ。面白いのはリセットハンマーだ。ETA7750に同じく、クロノグラフをストップさせると、ブレーキレバーだけでなく、リセットハンマーがハートカムに当たる。実用的な設計だ。自動巻き(直径30mm)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約46時間。

 Cal.89000系に同じく、クラッチにスイングピニオンを採用したのが、Cal.69000系である。これはETA7750を改良したCal.79000系の後継機であり、IWCが設計したものだ。

 69000系は、6時位置にスモールセコンドを持っている。そこに水平方向に動くスイングピニオンを噛ませて、センターのクロノグラフ車を回す。同様のレイアウトを持つロレックスのCal.4130は、4番車とクロノグラフ車の間に垂直クラッチを押し込んだが、IWCはオーソドックスな手法を選んだわけだ。なお、79000系を搭載したポルトギーゼ・クロノグラフも秒針は6時位置にあったが、文字盤側のモジュールで場所を移しただけである。

Cal.69338の展開図

Cal.69338の展開図。輪列の上にクロノグラフ機構を重ね、その上に自動巻きを載せた構成を持っていることが分かる。非常に古典的な設計だが、12時間積算機構を文字盤側からムーブメント側に移植したのは近代的だ。テンワの慣性モーメントは12mg・㎠もある。

 垂直クラッチを持つクロノグラフは、基本的に2番車ではなく4番車を中心に置いている。対して69000系は、古典的なクロノグラフよろしく、2番車をセンターに持つ。そのため針合わせ時の針飛びはなく、感触も非常に滑らかだ。

 面白いのは、12時間積算計の設計である。コンパクトな垂直クラッチを持つクロノグラフは、例外なく12時間積算機構をムーブメント側に持っている。69000系は水平クラッチを持っているものの、12時間積算計はムーブメント側にある。設計に携わったステファン・イーネンは「整備性向上のため」と説明する。

スイングピニオン

スイングピニオン
Cal.89000系に同じく、Cal.69000系のクラッチは水平式のスイングピニオンである。右は、スイングピニオンが外れた状態。左は噛み合った状態である。6時位置に置かれた4番車の回転は、スイングピニオンを介して秒クロノグラフ車に伝わる。クロノグラフ機構を支えるのは、自動巻き機構を載せた1枚の大きな受けである。

 手堅い機構を採用して、生産性と整備性を向上させた69000系。これはあくまで、IWCのベーシックムーブメントだ。しかし、その設計・製造の優秀さは、リュウズやプッシュボタンの滑らかな操作感が示す通り。筆者はこのムーブメントを高く評価する。


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