機械式時計において、三大複雑機構と称される「永久カレンダー」「ミニッツリピーター」、そして「トゥールビヨン」。今回は、トゥールビヨンの派生型であり、文字盤側のブリッジをなくしてトゥールビヨンの機構が浮かんでいるかのように見える「フライングトゥールビヨン」に注目する。そのコンセプトを説明しつつ、注目すべき搭載モデルを紹介してゆこう。
Text by Shin-ichi Sato
[2025年10月14日公開記事]
フライングトゥールビヨンとは?
最初にトゥールビヨン、そしてフライングトゥールビヨンとはどのような機構であるかを、解説する。
精度向上を目的のひとつに考案されたトゥールビヨン
機械式時計は一般的に、ブリッジからヒゲゼンマイでつなげられたテンプに一定周期の往復運動をさせることで、時を刻んでいる。この時、すべての部品に重力が働くため、ムーブメントの姿勢によって力の向きが変わり、作動の様子がわずかに変わる。この姿勢による精度変化が出ないように各ブランドは調整を施すわけであるが、これはまた別のお話。
姿勢変化の影響を抑制することを目的のひとつとして考案されたのがトゥールビヨンである。重力の影響を受けやすいヒゲゼンマイやテンプと、それに付随するアンクル、ガンギ車などをキャリッジと呼ばれるパーツ内にまとめ、1分に1回の周期で回転させ、重力の影響を均一化するものである。発明者はアブラアン-ルイ・ブレゲ。1801年に特許化されている。構造の複雑さから、長らく、製造可能な時計師は数えるほどしか居ないとまで言われたが、機械加工をはじめとした各種技術向上により、現代では採用事例、特に各ブランドの特別なモデルへの搭載が増えている。
フライングトゥールビヨンの魅力
各ブランドが特別なモデルへトゥールビヨンを採用する場合に、そこに特色を加えようとするのは自然な流れだ。デザインは多様で、機構面に独自性を加えたものも多い。その中でも知名度の高い“派生形”がフライングトゥールビヨンだ。
フライングトゥールビヨンは、キャリッジが浮かんでいるように見せることがコンセプトであり、文字盤側のブリッジを廃した機構を持つ。これにより、繊細な小さな部品で構成されたキャリッジが正確かつダイナミックに作動する様を、隔てるものなく鑑賞できるようになる。
さて、スマートウォッチが人気の現代において、わざわざ機械式時計を選ぶ理由はいくつかあるであろう。その中のひとつは、小さな部品が集まって機能を実現する様子に楽しさを見出すことではなかろうか。この観点から、“鑑賞の楽しさ”にフォーカスしたフライングトゥールビヨンの需要は高く、それに応じるべく各社が注力しているというのが筆者の見解だ。
ブレゲ「クラシック トゥールビヨン シデラル 7255」

手巻き(Cal.187M1)。23石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約50時間。18Kブレゲゴールドケース(直径38mm、厚さ10.2mm)。3気圧防水。世界限定50本。3196万6000円(税込み)。(問)ブレゲ ブティック銀座 Tel.03-6254-7211
先に述べた通り、時計師のアブラアン-ルイ・ブレゲがトゥールビヨンを発明した後、実用に足るレベルの製品が量産されるには至っていなかったが、これを1983年に実現するのが時計ブランドとしてのブレゲであった。このような歴史に敬意を表し、ブレゲの「クラシック トゥールビヨン シデラル 7255」を最初に紹介しよう。
2025年は、アブラアン-ルイ・ブレゲがフランスのシテ島に工房を開いた1775年から250周年にあたる。これを祝う記念モデルが多く発表されており、クラシック トゥールビヨン シデラル 7255はそのひとつだ。本作の最大の特徴は「ミステリー」と呼ばれるコンセプトで設計されており、トゥールビヨンのキャリッジが完全に浮かんでいるかのように見える構造を持つ点だ。
多くのフライングトゥールビヨンは、文字盤側のブリッジを廃し、ケースバック側から目立たないように支えている。一方、本作では、トゥールビヨンを支えるブリッジや基部を軸で支えるパーツが、無反射加工のサファイアクリスタルで製作されており、輪列とキャリッジをつなぐ接点も6時位置の開口部より外側に置かれていることで隠されている。これにより、トゥールビヨン機構が宙に浮かび、ひとりでに回転しているかのように見えるのだ。また、文字盤には宇宙空間を思わせるアベンチュリンを用いており、フライングトゥールビヨンの浮遊感をさらに高める演出となっている。
IWC「ポルトギーゼ・ トゥールビヨン・レトログラード・ クロノグラフ」

自動巻き(Cal.89900)。42石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約68時間。18K Armor Gold®ケース(直径43.5mm、厚さ15.9mm)。3気圧防水。世界限定100本。2309万4500円(税込み)。(問)IWC Tel.0120-05-1868
次に取り上げるのはIWCの「ポルトギーゼ・ トゥールビヨン・レトログラード・ クロノグラフ」である。ケースに、従来の18Kゴールドに比べて硬度の高い18K Armor Gold®を用いており、華やかな色調をブラックの文字盤で引き締めたデザインが印象的である。
センターの時分針、文字盤中央から9時方向に広がるレトログラード式日付表示に加え、センターのクロノグラフ秒針と、12時位置の同軸の60分および12時間積算計によるクロノグラフ機能、そして今回の注目であるフライングトゥールビヨンを6時位置に備える。
本作のフライングトゥールビヨンは、時刻修正時のトゥールビヨン停止機構が組み込まれている。トゥールビヨンが秒針に代わる役割を果たすことから、この機構は秒針停止機能に相当するものとなり、正確な時刻調整を可能としている。一般的な秒針停止と異なる点は、テンワやガンギ車だけでなく、キャリッジ全体を停止させ、ユーザー操作によって直ちに再起動させる必要があることで、停止に関わる機構の安定性と、トゥールビヨン全体の作動効率の高さが必要となる。
本作では、アンクルとガンギ車はシリコン製となっており、IWC独自のダイヤモンド・シェル(Diamond Shell®)テクノロジーを応用したコーティングが施され、摩擦低減が図られている。これにより作動効率が向上し、停止と再起動をスムーズに実現しているほか、約68時間というパワーリザーブも実現している。
H.モーザー「エンデバー・トゥールビヨン コンセプト ベンタブラック®」

自動巻き(Cal.HMC 804)。28石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約72時間。18KRGケース(直径40.0mm、厚さ10.7mm)。日常生活防水。1444万3000円(税込み)。(問)エグゼス Tel.03-6274-6120
続いて紹介するのは、時計技術の伝統の上にありながら、前衛的でアーティスティックなデザインに挑戦するH.モーザーの「エンデバー・トゥールビヨン コンセプト ベンタブラック®」である。本作は、H.モーザーのラインナップの中でもかなりチャレンジングだ。
本作の文字盤には、H.モーザーが文字盤に採用したことが大きな話題となったベンタブラックが用いられている。これは、カーボンナノチューブで構成された物質、およびそれを用いた塗料であり、99.965%という、入射したほぼすべての光を吸収する特性を持つ。人は、物体に当たって反射した光を視覚することで形状を認識しているため、物体にベンタブラックを施すとそれを認識することができなくなる。このようなベンタブラックを前にした時、“CGで黒く塗りつぶされたような空間を錯覚する”と言われるほどで、その吸収力の強さは驚くばかりだ。
ベンタブラックを施した本作の文字盤にはインデックスがなく、時分針とフライングトゥールビヨンのみを備えるデザインだ。文字盤開口部は黒い空間に開いた穴のようで、そこにケースバック側で支えられたケージが収められているため、浮遊感が強調されている。その異様さとともに、トゥールビヨンの機構にフォーカスしたデザインであることを強く感じさせる仕上がりである。
ルイ・ヴィトン「タンブール タイコ スピン・タイム エアー フライングトゥールビヨン」

自動巻き(Cal.LFT ST05.01)。40石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KWGケース(直径42.5mm、厚12.45mm)。50m防水。要価格問い合わせ。(問)ルイ・ヴィトン クライアントサービス Tel.0120-00-1854
次は、今年刷新されたルイ・ヴィトンの「スピン・タイム」をピックアップしよう。ルイ・ヴィトン独自の時刻表示形式であるスピン・タイムとは、文字盤外周にインデックスに相当する12個のキューブが並んでおり、時刻に応じてそのひとつが反転する仕組みである。
今般の刷新にあたって、ベースムーブメントはルイ・ヴィトンによる自社設計となり、6つのバリエーションが発表された。そして、そのうちのひとつが「タンブール タイコ スピン・タイム エアー フライングトゥールビヨン」である。
文字盤外周部は大胆にスケルトナイズされており、中央の円盤に12個のキューブが刺さったデザインがインパクトを生み出している。文字盤中央部には、今回の特集の主役であるフライングトゥールビヨンが配されて秒針として働き、また、このキャリッジを囲むサークルには分針が設けられている。
多くのフライングトゥールビヨンでは、キャリッジの作動を見せつつ、そこに動力を伝達する機構を周囲に隠して配置している。一方、本作では、その場所にはスピン・タイムを作動させる機構が収められているため、スペースの制約が非常に厳しくなっている。そこで、コンパクトな自社設計ムーブメントを用いて、ふたつの機構を両立させているのだ。
ユリス・ナルダン「ブラスト フリーホイール マイユショール」

手巻き(Cal.UN-176)。23石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約7日間。18KWGケース(直径45mm、厚さ12.4mm)。30m防水。世界限定50本。要価格問い合わせ。(問)ユリス・ナルダン/ソーウインド ジャパン Tel.03-5211-1791
最後に、フライングトゥールビヨンをさまざまな角度から鑑賞できるユリス・ナルダン「ブラスト フリーホイール マイユショール」を紹介しよう。本作は文字盤を銅、亜鉛、ニッケルの合金である「マイユショール」で製作した「ブラスト フリーホイール」のバリエーションである。温かみのあるシルバーがかった色合いと、独特のきめのある質感が魅力であり、時とともに風合いが増してゆく楽しみのある金属だ。
ブラスト フリーホイール最大の特徴は、輪列をはじめとした各部品が、文字盤から高さ方向に空間を開けて立体的に配置されている点だ。特に6時位置のフライングトゥールビヨンは、そこへつながる輪列が見えず、動力の伝達がなくても宙に浮いて回転を続けているかのように錯覚するほどである。
この構造を隅々まで堪能できるように、ケース構造にも趣向が凝らされている。受け皿状のケースにドーム状の風防が組み合わされているのだ。これにより、極めて立体的な機構の配置を側面からも鑑賞可能となっている。その光景は、腕時計というよりもむしろクロックに近いと筆者は感じるほどである。
このほか、フライングトゥールビヨンにもひと工夫がされている。本作には、ユリス・ナルダン独自の「ユリス・アンカー・コンスタント・エスケープメント」が搭載されており、主ゼンマイの巻き上がり量変化による出力エネルギーの変動が生じても、テンプにかかる衝撃を均一にし、作動の安定性や等時性が高められている。その構造とは、アンクルを固定した円形フレームがふたつの板バネによって宙に浮くように支えるもので、板バネが力を受けることで曲がりつつ、安定した状態に維持するように働いている。