ポケットから腕上へ進化する軍用時計(前編)

2019.11.26

今をさかのぼること約100年。1914年に勃発した第1次世界大戦。
戦場の兵士たちの切実さが時計の世界をも変えていき、新世界を導き出していった。

第一次大戦中、塹壕で待機する英国軍の兵士たち。

時計を変えた戦場の兵士たちの無言の抵抗

 時は1815年6月。ブリュッセルから南に20㎞ほど離れたところにあった〝ラ・ベル・アリアンス(美しき同盟)〞と呼ばれる農場で、ふたりの冷徹な将帥が緊張を隠しきれずにいる。ひとりはナポレオン・ボナパルト。流刑地から帰還し、隊を率いてフランス帝国軍司令のグルーシー元帥を待ち望んでいる。もうひとりは、英蘭連合軍元帥のウェリントン公爵。宿営地ワーテルローで、プロイセン軍司令官のブリュッヘル元帥にまみえることを願っていた。ふたりの将帥は、それぞれ緊張しつつもしきりにおのおのの懐中時計の蓋を撥ね開けて、文字盤に目を走らせている。

第一次世界大戦の時代に作られた黎明期の腕時計。当時はまだフルハンターのものもあった。

 儀式めいたこの行為は、恐らく彼ら両者を結び付ける唯一の事柄だったであろう。いつのことだったか不確かではあるが、ナポレオンは、サボネットの懐中時計の外蓋を開けるためにわざわざいじるのにも飽いた様子であったという。時間をすぐに読み取りたいものの、撥ね上げ蓋というガードが付いた時計の利点を考えると、外蓋がないものは諦めるほかなかった。そこで、その蓋にひとつの小さな穴を躊躇することなく開けてしまった人がいた。すると文字盤と針は蓋に邪魔されずに見ることができる。これがハーフハンターケースのサボネット懐中時計の誕生であった。

 時計が武器や各種証明書、方向測定器類などと並び、戦争をスムーズに遂行するために欠かせない道具であったというのは明らかである。例えば、攻撃開始や防御を統率するとき、時計は今もって必要だ。それに関して、19世紀を通して優勢だったのは懐中時計であった。当時の懐中時計は〝正確さ〞の代名詞とも言うべきもので、それに対して腕時計は、実用品というよりもむしろ、お洒落に敏感な女性たちのアクセサリーという存在だったのだ。

 初期の腕時計が歴史的に一歩前進したのは1879年であった。ベルリンで開催された国際見本市で、ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がドイツ海軍の将校たちにジラール・ペルゴ製の任務用の時計を贈ったのだが、その時計はチェーンブレスレット付きの着用仕様だった。それらのムーブメントには、なぜか10リーニュのものと12リーニュのものが存在し、ジラール・ペルゴのミュージアムでも真正品が何度か陳列されている。

1916年のコンパスウォッチの広告。完全装備を売りにしていた。

 軍用の装備品として、腕時計の機能が真価を発揮する試金石となったのは、1899年から1902年までの第2次ボーア戦争である。1904年発行のライプツィヒ時計師新聞には、オメガ時計販売組合の広告が、戦局を報じる記事のごとく、かなりの大きさで載っている。そこに出ているのは、アフリカのフランス植民地で〝特殊任務〞の砲兵中隊を指揮したフランス陸軍中佐ウルダンの手紙だ。

「活動的な軍隊において、一致した時間を把握することは重要である。欧州大陸軍の報告により、私はカナダへの移動時に備えて1ダースのオメガの腕時計を携帯し、その中から、カプシュタットへ向かう隊の軍曹にも分け与えた。騎馬兵団が、幾月にも及ぶ長い任務の間に有意義に使うとなると、それは難しい試みには違いない。ことに隊の行進を停止せざるを得ないような強い暑さや寒さ、ならびに激しい雨や砂嵐には考慮せねばならない。この時計によって、ほとんど全員の将校と兵団の隊員が任務と移動を良好に行い、どこにおいても満足のいく結果を出すという成果を挙げた。ケース内の湿気は外側を錆びさせたが、それによってムーブメントが錆を帯びることはなかった。私が行進の全体を通して着けていた1本の腕時計は、まだきれいな状態を保っている。現在は砲兵隊のために常に着用しており、野戦の装備品として欠かせないものと感じている」

第二次ボーア戦争後の1904年、ライプツィヒ時計師新聞に掲載されたオメガの広告。

ジラール・ペルゴの初期の腕時計。同社は1880年からドイツ海軍に腕時計を納品していた。

 この肯定的な見解は、一定の効力があったようだ。1914年開戦の第1次世界大戦の頃、腕時計は特に兵士の間で急速に受け入れられていった。1916年に出版された『戦争の知識ー将校用前線ハンドブック』という書籍をめくると、次のような記述が見られる。

「英国王立スコットランド国境部隊の大尉B・C・レイクは、将校が欠かさざるべき装備をリストアップした。前線における将校用の一式は、目下のところ以下のものとする。夜光数字と破損防止性のあるガラス付きの腕時計、リボルバー、双眼鏡、潜望鏡、方位磁石(後略)」

 壊れないガラスに対する研究は、彼の父親の代からの発想だったと思われる。実際に破損防止性のある製品は、1920年代から1930年代にかけて、アメリカ企業であるジャーマナウ・シモン社が初めて世に送り出している。その風防はセルロイド製だった。しかし、セルロイドは可燃性のため、火には弱く、黄ばみがちで、きつい日光を浴びると収縮してしまうというものだった。ドイツのダルムシュタットにある人工素材の専門メーカーであるレーム社が、格段に品質のよいアクリルもしくはプレキシガラスを製品化したのは、1934年のことである。

(左)第一次世界大戦頃のフード付きのポーセリンダイアルを備えた腕時計。風防を保護しつつも、開口部から時刻を読み取ることができる。(中央)ブラックポーセリンダイヤルを備えたインターナショナルウォッチカンパニーの腕時計。1910年代後半製。(下)6時位置に赤十字が印字されたロンジンの腕時計。衛生兵に支給されたものだろうか?
ここで紹介する時計はいずれもワイヤーラグを持つ。時計がポケットから腕上へと場所を移した時期の特徴である。いずれも個人所蔵。


後編を読む
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