日本の時計産業が至った究極、グランドセイコー 「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」

FEATUREその他
2020.09.03

2020年9月3日、セイコーウオッチは、グランドセイコーのプロトタイプムーブメント「T0(ティー・ゼロ) コンスタントフォース・トゥールビヨン」を発表した。名称が示す通り、これはトゥールビヨンに、主ゼンマイのトルクを均一にするコンスタントフォースを搭載したものである。同様の試みはすでに存在するが、本作が他と違うのは、コンスタントフォースをトゥールビヨンのキャリッジと完全な同軸に置いた点にある。たかがそれだけというなかれ、これは世界で初めての試みなのだ。その詳細はグランドセイコーの特設サイトをご覧いただくとして、ここではコンスタントフォースの意義と、グランドセイコー「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」開発にまつわるエピソードをご紹介する。

広田雅将(クロノス日本版):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)

T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン


コンスタントフォースとは

 時計に詳しい人ならご存じの通り、機械式時計を動かす動力源の主ゼンマイは、巻ききった状態と、ほどけきる直前ではトルクが大きく変わってしまう。テンプを持つ機械式時計は理論上、トルクの強弱にかかわらず、つまりテンプの振り角にかかわらず、一定した精度を持つはずだ。しかし、理論と実際は異なるのは世の常で、機械式時計の精度は、ゼンマイがほどけるにしたがって変わってしまう。では、主ゼンマイの力を別のバネにためて、そのエネルギーでテンプを動かせば機械式時計は正確になるのではないか。そこで生まれたのが定力装置、つまりはコンスタントフォースだった。

T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン

2020年9月3日、セイコーウオッチが発表したグランドセイコーのプロトタイプムーブメント「T0(ティー・ゼロ) コンスタントフォース・トゥールビヨン」の表と裏。ムーブメントの裏側を見ると、地板には「16TH NOTE FEEL」の文字が刻まれている。

 ちなみにコンスタントフォースには2種類あり、主ゼンマイを収める香箱に近いものをルモントワール、テンプに近いものをコンスタントフォースという。テンプを載せたトゥールビヨンのキャリッジを、コンスタントフォースと一体化したグランドセイコーの「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」はルモントワールに分類される、とセイコーは考えているようだが、その中では最も一定したトルクを実現しているものと言える。なお、セイコーがルモントワールという名称を使わなかったのは、フランス語圏以外では一般的でないため。セイコーの表記にしたがって、T0が搭載した定力装置を『クロノス日本版』ではコンスタントフォースと呼ぶことにする。

 かつて『クロノス日本版』では、「ルモントワールとコンスタントフォース概論」と称して、ルモントワールとコンスタントフォースに関する記事を掲載した。執筆者はふたりの独立時計師、菊池悠介氏とフランソワ-ポール・ジュルヌ氏である。この記事の中で、菊池氏は次のように述べている。

「ルモントワールの変遷とは、17世紀に主ゼンマイ近くに置かれていたものが、18世紀に調速機に近づき、やがてコンスタントフォースに進化したといえる。しかしクロック用の重力脱進機を除いて芳しい結果を出せなかったため、その後は3番車や4番車あたりに、〝出戻る〞こととなった。ルモントワールは時代によって主ゼンマイと調速機の間を転々とし、その居場所を模索してきたといえるだろう」

スイスレバー脱進機を備えた通常の時計、コンスタントフォースを搭載した時計、ルモントワールを組み込んだ時計の3種類について、調速機であるテンプに伝達されるトルクの変化を比較したグラフ。縦軸がトルク、横軸は経過時間を示す。グラフからは、コンスタントフォースが最も安定したトルクをテンプに供給していることが見てとれる。


グランドセイコー 「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」

 トゥールビヨンのキャリッジとコンスタントフォースを同軸に重ねた試みには、独立時計師のアンドレアス・ストレーラーが手掛けた「トランス・アクシャル・トゥールビヨン」がある。しかし、これが完全な一体型にならなかった理由は、おそらく、セイコーインスツル(現セイコーウオッチ)が同軸かつ一体化されたトゥールビヨンで特許を取得していたためではないか。もちろん、これはあくまで推測だ。

「コンスタントフォースとテンプを近づけると性能は上がります。ですが、近すぎてもダメです。そこでこのふたつを同軸でユニット化することを考え、特許を取りました。同軸に重ねると、摩擦箇所が少なくて、トルクが安定しますね」。「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」を開発したセイコーウオッチの川内谷卓磨氏はこう語る。その基本構造が固まったのは、彼がセイコーインスツル(当時)に入社してわずか2年後の2012年のことだった。翌13年には、ブロック試作機の設計と試作が行われ、性能の検証が行われた。

川内谷卓磨

グランドセイコーのプロトタイプムーブメント「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」を開発したセイコーウオッチの川内谷卓磨氏。2010年、セイコーインスツル(現セイコーウオッチ)に入社して以来、現在に至るまで一貫して「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」の開発に携わる。

 コンスタントフォース(菊池氏のテキストではルモントワールと書かれている)には、3つの種類があると川内谷氏は語る。ひとつはF.P.ジュルヌの採用した板バネを使うもの。ただしこれは、トルクの変動が比較的大きい。そしてもうひとつが、ルーローカムを用いたガフナー式のコンスタントフォース。川内谷氏は「(コンスタントフォース用のガンギ車である)ストップ車と(コンスタントフォース用のアンクルである)ストッパーの摺動(摩擦)などによって定トルクになりにくい上、安全性を確保するのが難しい、と述べる。結果、彼が採用したのは、アンドレアス・ストレーラーも採用している遊星歯車式だった。川内谷氏曰く、理由は、コンスタントフォースレバー(ルモントワールレバー)の誤動作が構造上起こらず、ストッパーの摩擦の影響も少ないため。

 菊池氏が「もっとも優れた方式」と称した遊星歯車式のルモントワールを、川内谷氏はいっそう洗練させた。「ストップ車とストッパーの噛み合う部分の法線上に、キャリッジの軸を置いています。これが一番トルク変動が少ないのですね。ですが、ストップ車とストッパーの摩擦係数を考慮して、法線と軸はわずかにずらす必要があります。ここが定トルクの肝になるので、摩擦係数をより正確に求めるため、プロトタイプを作りました」。

試作段階の「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」の香箱からトゥールビヨンキャリッジまでの輪列。トゥールビヨンキャリッジとコンスタントフォースが同軸上にあり、かつ一体化されているのが分かる。

 コンスタントフォースの鍵を握るストップ車はセラミックス製。ニッケルで試作したところ、すぐに摩耗したという。そこでミクロン単位の寸法精度を持つセラミックス製のストップ車に置き換えた。「振り角の変動を見て、そこから正しい摩擦係数を出し、その数値に基づいて、ストップ車とストッパーの噛み合う角度を調整しました。結果は、50時間の間、テンプの振り角はまったく同じになりました」。パワーリザーブは理論上72時間。コンスタントフォースは50時間にわたって効くという。

 コンスタントフォースの鍵を握るもうひとつのパーツがストップ車に噛み合うストッパーである。川内谷氏は、そのストッパーをキャリッジに直接取り付けて可能な限り抵抗を減らしただけでなく、ストップ車との噛み合いが外れるタイミングを調整できる機能を加えたのである。

「T0のコンスタントフォースは、8振動で1回、ストップ車とストッパーの噛み合いが外れて、定力ばねをチャージします。ですが、1振動あたりのストッパーの移動距離が非常に小さいため、通常の公差で部品を作ると7振動で外れてしまうこともある。そのために部品の寸法を追い込み、さらにストッパーの位置を調整できるようにしました。100分の1mmから100分の2mm変わる程度の調整を加えることで、コンスタントフォースの刻音は、正確な16ビートになるのです」

 ムーブメントの構成はオーソドックスである。9S65の主ゼンマイをふたつ繋いで大きなトルク(700g×2、とはいえエル・プルメロより弱い)を稼ぎ、コンスタントフォースを載せた重いキャリッジを動かす。外部にコンスタントフォースを置かなかった理由は、コンスタントフォースの抵抗をギリギリまで減らすためだ。弱い主ゼンマイを好むグランドセイコーとしては珍しい思想だが、本作の目的が、コンスタントフォースの最適化と考えれば合点もいく。なお、コンスタントフォースとキャリッジを重ねたにもかかわらず、T0の姿勢差誤差はほとんどない。理由は「できるだけキャリッジの高さを抑えたため」(川内谷氏)。設計と製造の最適化は、T0に際だった精度をもたらしたのである。

「T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン」試作機のトゥールビヨンキャリッジとコンスタントフォースを構成するパーツ。セラミックス製のストップ車が見て取れる。

 ムーブメントの地板に刻まれた「16TH NOTE FEEL」の文字。これはもっとも正確なコンスタントフォースを創り上げたセイコーウオッチの自信の表れであり、その極めて正確な刻音は、精度を追求した先人たちに捧げる荘厳なオーケストラに聞こえてならない。

「ルモントワールとコンスタントフォース概論」の締めくくりで、菊池氏は「チャールズ・フロッドシャムがかつて述べた〝時計師の賢者の石〞が完成する日は、案外近いのかもしれない」と述べた。その通り。不安定なトルクという機械式ムーブメントの課題に対して、グランドセイコーは現時点で、世界の誰も及ばない解をついに提示したのである。その意義は、いくら語っても、語りすぎることはないだろう。

グランドセイコー T0 コンスタントフォース・トゥールビヨン特設サイト
https://www.grand-seiko.com/jp-ja/special/T0-story/



傑作クォーツGMTを搭載するグランドセイコー「スポーツコレクション 伊勢丹新宿店限定モデル」

https://www.webchronos.net/news/51289
セイコー腕時計の魅力とは。主なブランドや選び方のポイント

https://www.webchronos.net/features/35360/
2020年 グランドセイコーの新作時計 5モデルを紹介

https://www.webchronos.net/2020-new-watches/45416/