今、セイコー アストロンを選ぶ理由

FEATUREその他
2021.01.19
PR:Seiko

奥山栄一:写真 Photographs by Eiichi Okuyama
髙井智世:取材・文 Text by Tomoyo Takai


常に時代の一歩先を行くセイコーの最進化形
―― ALWAYS ONE STEP AHEAD OF THE REST ――

1969年12月25日、世界初のクォーツウォッチ、初代「クオーツ アストロン35SQ」を発売することで、時計業界に“第一の革命”を起こし、世界の時計産業を大きく変えたセイコー。2012年には世界初のGPSソーラーウォッチ「セイコー アストロン」を発表し、再び時計業界を大きく変革する“第二の革命”をもたらした。この進取の気象は、いずれもセイコー創業者の服部金太郎の理念「常に時代の一歩先を行く」にさかのぼることができる。高精度を超えた超高精度の革新性を当たり前のものにする使命を担った“新生アストロン”は、奇しくも初代と同じ軽薄短小の進化の過程を歩み、そして今、新たなスタンダードとして十分たる成熟を遂げた。

1860/1881

服部金太郎

セイコー創業者の服部金太郎(1860~1934年)。日本の時計産業の近代化を牽引し、後に「東洋の時計王」の異名を取った。
セイコー アストロン 服部金太郎 生誕160周年記念限定モデル

セイコー アストロン 服部金太郎 生誕160周年記念限定モデル
SBXC073

2020年、服部金太郎の誕生日(旧暦)である10月9日に発売された記念モデル。「アストロン史上最高性能」という謳い文句とともにキャリバー5X系を搭載。ブラックとゴールドカラーの重厚なチタンケースには従来より約1.5倍の実用硬度があるセイコー独自の最新の硬化技術「スーパー ブラック ダイヤシールド」を採用。屈強なジルコニアセラミックス製ベゼルには16面カットが施され、その輝きで創業者の偉業を寿ぐ。GPSソーラー(Cal.5X53)。セラミックベゼル×チタンケース(直径42.8mm、厚さ15.6mm)。20気圧防水。チタンブレスレット。世界限定2500本。40万円(税別)。

創業者、服部金太郎の理念を受け継ぐ最先端モデル

 欧米にならい、日本で定時法の時刻制度が定められたのは1873年(明治6年)のこと。この大きな時代の変革期のただ中で未来を見通し、“精巧”な時計作りを固く決意したのが、1860年生まれの若き日の服部金太郎だ。かくして1881年に「服部時計店」(現セイコーウオッチ)を創立した金太郎は、携行時計といえば懐中時計が主流の時代に腕時計の到来を確信し、日本でいち早く腕時計の開発に取り組んだ。そして1913年に完成したのが国産初の機械式腕時計、直径わずか26.65mmという小型の「ローレル」だ。この衝撃的な成果に以降の国産時計業界は刺激を受け、製造力を底上げし、多くの追随者を生むに至った。

 創業者、服部金太郎の生誕160周年という節目を祝う記念モデルの機種に、同社が最先端テクノロジーの結晶である「セイコー アストロン」を選んだのもむべなるかな。はるか上空を巡るGPS衛星とつながり、世界のどこでも圧倒的高精度で時刻を指し示すGPSソーラームーブメント搭載機。この実現も、金太郎が掲げた「常に時代の一歩先を行く」という理念の下、その後継者たちが一歩一歩進んだ先に成し得たものである。


1900

(左)「服部金太郎 生誕160周年記念限定モデル」の裏蓋中央部には、1900年に服部金太郎が登録した商標である「丸角Sマーク」が鍛造加工で立体的にかたどられた。周囲には「常に時代の一歩先を行く」の英訳“ONE STEP AHEAD OF THE REST”と“KINTARO HATTORI”の文字がマーキングされている。「服部金太郎 生誕160周年記念限定モデル」のスペシャルボックス(中)。「丸角Sマーク」の特製ゴールデンピンバッジ(右)に加え、服部金太郎を曾祖父とする現在のセイコーウオッチ代表取締役会長兼CEOの服部真二氏からのメッセージカードと付け替え用のクロコダイルストラップが同梱された特別仕様である。

1900年に登録された商標「丸角Sマーク」に込められた意義

「服部金太郎 生誕160周年記念限定モデル」の裏蓋には、服部金太郎が1900年に商標登録した、セイコーの前身である服部時計店の「丸角Sマーク」があしらわれている。商標登録するとはつまり、自社商品の信用をさらに広く獲得していく意志の表れだ。このマークに当時の金太郎の大志をうかがい知ることができる。

 商標登録より5年の時をさかのぼった1895年、金太郎は初めて自社の掛け時計をアジアへ輸出し、また初の自社製懐中時計「タイムキーパー」の製造を成功させている。さらなる品質の向上と大量生産方式を目指し、4年後の1899年には欧米の時計メーカーを歴訪、視察した。帰国するや世界レベルの新式工作機械を自社に導入している。1900年とは、堅実な漸進主義に徹してきた金太郎が、いよいよその視野の先に世界という大舞台を捉えた年でもあったのだ。


1969

時計業界に“第一の革命”を巻き起こした「クオーツ アストロン 35SQ」。世界で初めて実用化された量産型クォーツ式腕時計であり、アナログクォーツ腕時計の祖である。それまで高精度とされる機械式腕時計でも日差数秒から数十秒が当たり前であった時代に、日差±0.2秒、月差±5秒という飛躍的な精度の向上を実現した。このファーストモデルは金無垢ケースを採用し、45万円と当時の自動車と同価格帯であった。

初代「クオーツ アストロン」が世界に与えた衝撃

 服部金太郎の没後より30年ほど経った1960年代、セイコーは次世代型の高精度腕時計開発を目指してスイスやアメリカといった時計生産先進国のメーカーとの開発競争に乗り出していた。そこで取り組んだのが、機械式時計の調速機であるテンプに替えて水晶振動子を採用することで、従来より約100倍の精度を持つクォーツ式腕時計の開発だ。1958年時点でセイコーが製造可能なクォーツ時計は、大型ロッカー並みの大きさのものであり、体積にして約30万分の1となる腕時計サイズへの小型化は想像を絶する挑戦であった。しかしセイコーは、これを将来の本命技術と定めて全力を注ぎ、東京オリンピックで公式計時を担当した1964年までには卓上サイズにまで小型化し、とうとう1969年、量産可能で実用的な腕時計として結実させた。世界の時計史に燦然と輝くこととなるこの腕時計に、セイコーは古代ギリシャ語で「星」を意味する名前を与え、同年12月25日、世界初の量産型クォーツ式腕時計「クオーツ アストロン 35SQ」として発売するに至った。

 セイコーはこれ以降、従来の機械式時計の自動組み立てラインをクォーツウォッチに転用し、アナログクォーツウォッチの量産とコストダウンを推進する。従来よりはるかに高精度な腕時計を万人が手にできるようになり、人々のニーズに伴って腕時計の主流は機械式からクォーツ式へと切り替わった。こうして当時の時計市場、そして世界の人々のライフスタイルは瞬時に一変したのだ。これがセイコーの巻き起こした“第一の革命”、すなわち“クォーツレボリューション”である。