セイコーエプソンの一角に置かれた複雑時計工房が、マイクロアーティスト工房である。2000年の創設以来、この工房は日本の時計作りの水準を大きく引き上げてきた。 1990年代末に機械式時計を作るノウハウを失っていたセイコーエプソンは、わずか数年で、独立時計師に比肩する傑作をリリースするようになる。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
SPRING DRIVE SONNERIE
〝鳴り物〟から始まったオリジナルムーブメント開発

毎正時および12時・3時・6時・9時に音を鳴らせるオリジナルモードを搭載したソヌリ。刻音のないスプリングドライブの特長を生かすべく、空気抵抗を利用したサイレントガバナーが開発された。手巻き(Cal.7R06)。88石。パワーリザーブ約48時間。18KPG(直径43.2mm)。非防水。1600万円。
時計愛好家たちのセイコーへの認識を改めたのが、2006年に発表された「クレドール スプリングドライブ ソヌリ」だ。長らく、国内市場向けのドレスウォッチブランドと見なされてきたクレドール。初の複雑時計としてリリースしたのは、毎正時に時刻を鳴らすソヌリだった。
ベースとして選ばれたのは、クォーツ並みの精度と、機械式時計並みの大トルクを持つスプリングドライブ。いわゆる脱進調速機を持たないこの機構は、刻音をまったく発しないため、理論上は音が鳴る時計には最適だ。しかし、製作したセイコーエプソンに複雑時計の開発経験はなく、それどころか、1999年の時点で、歯車のカナを磨く技術でさえも、ほぼ絶えていたのである。つまり、複雑な機械式時計を作るノウハウは、ほとんど持っていなかったのである。にもかかわらず、設計・製作を担当したマイクロアーティスト工房は、2000年の創設からわずか6年で、ソヌリという最も複雑なムーブメントを完成させた。世界中のジャーナリストが、このモデルに驚いたはずである。
またこの時計は、機構も極めてユニークだった。音を鳴らすゴングの代わりに、「おりん」状の音源を採用。寺の梵鐘にインスピレーションを得たという音源は、スイス製のソヌリとはまったく違った音を奏でる。加えてソヌリを調整するガバナーには、機械抵抗ではなく、空気抵抗を用いたサイレントガバナーが与えられた。もっとも、まったく経験がない中で製作したため、発表当時、部品の製造と加工に約半年、組み立てに1カ月以上かかったという。
スプリングドライブのメリットを最大限に生かし、日本らしさを巧みに盛り込んだクレドール スプリングドライブ ソヌリ。以降、マイクロアーティスト工房は、次々と傑作をリリースするようになる。