クレドール/マイクロアーティスト工房編

FEATUREアイコニックピースの肖像
2024.06.21

セイコーエプソンの一角に置かれた複雑時計工房が、マイクロアーティスト工房である。2000年の創設以来、この工房は日本の時計作りの水準を大きく引き上げてきた。1990年代末に機械式時計を作るノウハウを失っていたセイコーエプソンは、わずか数年で、独立時計師に比肩する傑作をリリースするようになる。

星武志、三田村優:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas), Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)


SPRING DRIVE SONNERIE
〝鳴り物〟から始まったオリジナルムーブメント開発

スプリングドライブ ソヌリ GBLQ998

スプリングドライブ ソヌリ GBLQ998
毎正時および12時・3時・6時・9時に音を鳴らせるオリジナルモードを搭載したソヌリ。刻音のないスプリングドライブの特長を生かすべく、空気抵抗を利用したサイレントガバナーが開発された。手巻き(Cal.7R06)。88石。パワーリザーブ約48時間。18KPG(直径43.2mm)。非防水。1600万円。

 時計愛好家たちのセイコーへの認識を改めたのが、2006年に発表された「クレドール スプリングドライブ ソヌリ」だ。長らく、国内市場向けのドレスウォッチブランドと見なされてきたクレドール。初の複雑時計としてリリースしたのは、毎正時に時刻を鳴らすソヌリだった。

 ベースとして選ばれたのは、クォーツ並みの精度と、機械式時計並みの大トルクを持つスプリングドライブ。いわゆる脱進調速機を持たないこの機構は、刻音をまったく発しないため、理論上は音が鳴る時計には最適だ。しかし、製作したセイコーエプソンに複雑時計の開発経験はなく、それどころか、1999年の時点で、歯車のカナを磨く技術でさえも、ほぼ絶えていたのである。つまり、複雑な機械式時計を作るノウハウは、ほとんど持っていなかったのである。にもかかわらず、設計・製作を担当したマイクロアーティスト工房は、2000年の創設からわずか6年で、ソヌリという最も複雑なムーブメントを完成させた。世界中のジャーナリストが、このモデルに驚いたはずである。

 またこの時計は、機構も極めてユニークだった。音を鳴らすゴングの代わりに、「おりん」状の音源を採用。寺の梵鐘にインスピレーションを得たという音源は、スイス製のソヌリとはまったく違った音を奏でる。加えてソヌリを調整するガバナーには、機械抵抗ではなく、空気抵抗を用いたサイレントガバナーが与えられた。もっとも、まったく経験がない中で製作したため、発表当時、部品の製造と加工に約半年、組み立てに1カ月以上かかったという。

 スプリングドライブのメリットを最大限に生かし、日本らしさを巧みに盛り込んだクレドール スプリングドライブ ソヌリ。以降、マイクロアーティスト工房は、次々と傑作をリリースするようになる。

クレドール スプリングドライブ ソヌリ

(左)クレドール スプリングドライブ ソヌリには、当時の日本製の水準をはるかに超える仕上げが与えられた。ただし後のモデルのような、明確な「入り角」と「出角」は持っていない。超高級機らしく、「すり割り」が施されたネジにも注目。(右)8時位置にあるボタンを押すと、現在の時を音で知らせる「アワーリピーター機能」を搭載する。不用意に鳴り始めたときにも、8時位置のボタンを半押ししている間は鐘を打たない鳴り止めも備わる。

クレドール スプリングドライブ ソヌリ

ケースサイド。7Rをカバーするように「おりん」を備え付けるため、ケース厚は16.3mmと薄くない。しかし重心が低く、全長が51mmしかないため、取り回しは良好である。

クレドール スプリングドライブ ソヌリ

(左)ムーブメント全体をおりんが覆うため、裏蓋はソリッドバックである。なお、おりんは、富山県高岡市の仏具店が製作したもの。設計を担当した茂木正俊曰く「納品されるおりんは完璧ですが、穴開け加工などをすると、歩留まりは半分程度に下がってしまいます」とのこと。(右)ソヌリをコントロールするガバナーは、分割された受けの下に内蔵される。空気の粘性を利用するため、収めるスペースは縦0.9mm(翼の動作スペースは縦0.3mm)しかない。なお、LIGAで成形した精密なバネは、長期の使用でもバネ力を失わず、安定した調速をもたらす。


マイクロアーティスト工房の黎明から最新コンプリケーションへと至る軌跡

2000年に発足したマイクロアーティスト工房は、以降、数多くの傑作をリリースしてきた。とりわけ06年発表のソヌリは、優れた仕上げとユニークな機構で、同工房の名を世界に轟かせた。その20年に及ぶ歩みを、当事者たちに振り返ってもらうことにしよう。

 今や日本でというよりも、アジアで最高峰の時計を製造するに至ったセイコーエプソンのマイクロアーティスト工房。その起こりは実にささやかなものだった。

「当時セイコーエプソンの社長だった安川の薄型時計が壊れた際、修理に膨大な時間と労力を要しました。弊社は1999年にキネティック クロノグラフとスプリングドライブを発表しましたが、複雑な時計を触れる技能者がいなくなりつつあったのですね。では、職人の技能を残そうということで、塩原研治がひとりで始めました」。そう語るのは、同工房でムーブメントの設計に携わる茂木正俊だ。

 最初に目指したのは機械式時計の再興で、取り組んだのはロードマーベルの再現だった。当初はささやかな試みだったが、徐々にメンバーが増えていき、2000年にはマイクロアーティスト工房が正式に設立された。理念ができたのは03年のこと。手作業で良い時計を作る、という方針が定まって、その方向性は明確になったのである。また優れた仕上げを施し、高い定価を付けた7Rと9T搭載モデルのヒットも、良い時計を作れば売れる、という自信を与えることになった。

クレドール スプリングドライブ 彫金モデル GBLJ999
クレドール スプリングドライブ 彫金モデル GBLJ999
クレドール スプリングドライブ 彫金モデル GBLJ999[2004]
マイクロアーティスト工房によるファーストコレクション。手巻きの7Rをベースに飾り板を加え、照井清が彫金を施している。また一部の受けには面取りが施された。手巻き。Pt。限定10本。他にも漆仕上げ(限定1本)がある。当時価格560万円。

 まず同工房が手掛けたのが、スプリングドライブの7Rをベースにしたスケルトンモデルの製作だった。といってもノウハウはどこにもない。現在マイクロアーティスト工房の責任者を務める廣瀬信行は「東京・銀座のシェルマンでフィリップ・デュフォーのシンプリシティを見て、受けの磨きなどを研究しましたよ」と語る。操作感や仕上げなどを改良した3つのスケルトンモデルは即完売。自信をつけたメンバーたちは「クレドール ノードムーンフェイズ」の製作に取り掛かった。このモデルには、受けの面取りで新しい試みが行われ、初めて「コーナーR」が設けられた。

スプリングドライブ 機械彫りモデル GBLJ997
スプリングドライブ 機械彫りモデル GBLJ997
クレドール スプリングドライブ 機械彫りモデル GBLJ997[2004]
右モデルの仕上げを、手作業ではなくダイヤカットに改めたモデル。面取りなども彫金モデルに比べて簡素化されている。試行錯誤の時期にあったが、受けのジュネーブ仕上げなどには、手作業も加えられている。手巻き。18KWG。参考商品。

 今やマイクロアーティスト工房のお家芸となった、手作業による仕上げ。改善に取り組んだのは2002年からと早くはないが、幸いにも、ふたりの偉大な時計師が、極東の時計師たちに手を差し伸べた。ひとりはロナルド・デ・カール。彼は仕上げの基本を教えただけでなく、シェラックストーンなどの使い方を伝授した。そしてもうひとりが、フィリップ・デュフォー本人である。彼はこう回顧する。

「もう10年以上前のことだったと思います(編集部注:2006年)。バーゼルワールドに日本人の時計師が訪ねてきました。時計師には国境というものがなく、出会うと自然に時計作りの話になります。彼らと話が弾んできて、私のアトリエを見学したいということになり、ジュウ渓谷の工房を訪ねてきました。アトリエで面取り加工をはじめ、仕上げ・装飾の技巧などを見せたところ、時計師のひとりからその作業机の上にあるものは何ですかと聞かれました。ジャンシャンのことでした。それをどう使うかを説明してあげたところ、少し分けてもらえないかと言われたので差し上げました」。ふたりの時計師に仕上げを教わって以降、マイクロアーティスト工房の仕上げは、控えめに言っても世界的なレベルに成長を遂げた。

ノード スプリングドライブ ムーンフェイズ GBLK999
ノード スプリングドライブ ムーンフェイズ GBLK999
クレドール ノード スプリングドライブ ムーンフェイズ GBLK999[2005]
2005年に発表されたノード限定モデル。量産モデルと異なり、手巻きムーブメントが採用されたほか、手作業による面取りなどが施された。手巻き(Cal.7R89)。30石。パワーリザーブ約48時間。18KWG(直径40.0mm)。限定10本。当時価格280万円。

 併せて、マイクロアーティスト工房は、仕上げの改善だけでなく、オリジナルのムーブメント製作に取り掛かった。茂木は語る。「マイクロアーティスト工房で手掛けようと思ったのは、音の鳴る時計でした。98年の冬に『世界の腕時計』で見て以降気になっていましたが、どうやって作ればいいか分からなかった」。茂木は、WOSTEPの教科書を読み、セイコーミュージアムの図書館に通い、そして名著『Guide to Complicated Watch』を翻訳しながら、アイデアをまとめていった。

「最初作りたかったのはリピーターです。しかしゴングには日本の時計らしく、おりんを使いたかった。であれば、ソヌリの方がふさわしい、と思いました」。

組み立て中のクレドール スプリングドライブ ソヌリ。担当する中澤義房曰く「マイクロアーティスト工房は手探りの中で、良い時計とは何かを模索してきました。複雑ですが、信頼性のあることが特徴と言えるでしょう」。

 マイクロアーティスト工房が、初のオリジナルムーブメントに選んだのは、最も複雑といわれるソヌリだった。しかも、ソヌリを調速するガバナーは、標準的な機械式ではなく、空気抵抗で制御するという、極めて凝ったものだった。「7Rのプロトタイプを製作した際、歯車と地板の間隔を詰めすぎたのです。結果、空気抵抗が増えて、歯車の回転速度は下がってしまった。では、それをガバナーに転用すればいい」。茂木はこともなげに語るが、第1作でエアガバナー付きのソヌリを作ってしまったのには恐れ入る。2006年に発表された「クレドール スプリングドライブ ソヌリ」は、その傑出した仕上げと機構で、マイクロアーティスト工房の名前を世界に轟かせた。

 ソヌリを作り上げたメンバーたちは、彼らに影響を与えたシンプリシティのような時計を手掛けようと考えた。ベースムーブメントに茂木が開発・設計に携った7Rを使用し、可能な限りの手仕上げを盛り込んだのが、08年の「クレドール ノード 叡智」である。

クレドール ノード 叡智

2008年にリリースされたクレドール ノード 叡智には、マイクロアーティスト工房が施せる仕上げのすべてが投じられた。ただし、仕上げの作業手順が定まっていなかったため、担当者ごとに若干の差があった。

 ムーブメントの受けにはメッキを施さないジャーマンシルバーを採用。あえてメッキを施さなかった理由は、決して退色しないノリタケ製の磁器文字盤との対比を強調するためである。またすべての面には面取りが施されたほか、面取りでは「入り角」と「出角」が強調された。フィリップ・デュフォーは叡智を称賛する。「プラチナ製のケースに白磁の文字盤を備えた叡智は素晴らしいですね。この文字盤は、2時と4時、7時のインデックスが微妙に透けて見えるようになっていて、本当に感動しましたよ」。

 叡智で、理想とする仕上げを盛り込んだマイクロアーティスト工房のメンバーたちは、続いて新たな複雑時計の開発に取り掛かった。茂木は回顧する。「叡智を発表したあと、何を作ろうか考えました。その折、カリ・ヴティライネンがデシマル式のミニッツリピーターを作ったのを知り、デシマルリピーターはいいなと思いました。それに、そもそも作りたかったのはリピーターでしたからね」。

(左)組み立てを担当する中澤義房。ソヌリには寸法公差を記した最終図面がないため、中澤ともうひとりの時計師が、部品を削りながら“現合”で追い込んでいく。(中)マイクロアーティスト工房の責任者を務める廣瀬信行。創立した塩原研治とともに、同工房の発展を見守ってきた。歴代モデルの仕上げに関わってきた人物である。(右)ムーブメントの設計に携わる茂木正俊。7Rスプリングドライブの完成後、マイクロアーティスト工房に移籍。ソヌリやリピーター、トルクリターンシステムを開発した。

 ソヌリに比べれば簡単に思えそうだが、茂木はリピーターの設計を一新した。「ソヌリは裏蓋側におりんを備えたのでムーブメントが見られなかった。今回は、裏にハンマーとゴングを載せてムーブメントを見せたかった」。ムーブメントの外周に耐磁板があるスプリングドライブは、ムーブメントの外周にゴングを設けるのが難しい。対して茂木は、耐磁ケースを貫通する2本の突起を設け、それが耐磁ケース外周にあるゴングを叩く、というメカニズムを開発した。加えて音の作り込みは一層困難だった。「私たちは音に関するノウハウを持っていませんでした。そこで、エプソンでプリンター用のファンなどを設計するチームに話を聞き、音響工学を学びました」。

 続いて発表されたのがシンプルな「クレドール 叡智Ⅱ」である。開発のきっかけは、クレドール ノード 叡智が生産中止になったため。磁器製文字盤はノリタケから供給されていたが、同社が製造中止にしたため、叡智自体もディスコンになったのである。しかし、マイクロアーティスト工房は、2013年に磁器製文字盤の内製化に成功。完成した叡智Ⅱは、より研ぎ澄まされたモデルとなった。

スプリングドライブ ミニッツリピーター GBLS998

スプリングドライブ ミニッツリピーター GBLS998[2011]
2011年に発表されたデシマルリピーター。ゴングは明珍製。素材は鍛造された鉄材である。時計用の動力源と、リピーター用のゼンマイを兼ねるというユニークな設計を持つ。手巻き(Cal.7R11)。112石。パワーリザーブ約72時間。18KPG(直径42.8mm)。3500万円。

耐磁ケースの外周にゴングを持つ7R11。ムーブメントの設計は、前作のソヌリとはまったく別物である。2つの大きなスチール製のハンマーに注目。極めて大きいうえ、完全な鏡面仕上げが与えられている。今のマイクロアーティスト工房のレベルを示すポイントだ。

 06年のノード ソヌリ以降、世界的な時計工房となったマイクロアーティスト工房。しかし、ひとつだけ残念なことがある。理由を、フィリップ・デュフォーに語ってもらうことにしよう。「もったいないと思うのは、こういったクレドールの時計がほぼ海外で販売されないことです。世界で認められる作品なのに、なぜ日本でしか買えないのでしょうか?」。
(文中敬称略)


SPRING DRIVE “EICHI”
手仕上げのレベルを上げた究極のシンプリシティ

ノード スプリング ドライブ 叡智 GBLR999
マイクロアーティスト工房の実力を知らしめたのが、2008年発表の本作である。優れた仕上げに加えて、ゼンマイのほどける力で香箱を巻き上げるトルクリターンシステムを採用する。手巻き(Cal.7R08)。44石。パワーリザーブ約60時間。Pt(直径35mm)。日常生活防水。参考商品。

 ソヌリを完成させたマイクロアーティスト工房は、フィリップ・デュフォーなどから学んだ仕上げを投じた、究極のシンプル時計を作ろうと考えた。完成したのが2008年の「クレドール ノード スプリングドライブ 叡智」である。ムーブメントのベースに選ばれたのは、茂木が開発に携わった7R。そこに、余剰トルクでゼンマイを巻き上げるトルクリターンシステムを追加して、パワーリザーブを約60時間に延長したほか、受けも洋銀に変更され、手仕上げが施された。

 廣瀬曰く「ケースに合ったムーブメントサイズにするため、あえてムーブメント外周の耐磁リングを省いた代わりに文字盤枠に耐磁性を持たせ、手を入れられるところはすべて磨いた」とのこと。受けの素材に使う洋銀は、あえてメッキ無し。面取りも、ヤスリで形状を出した後、紙ヤスリでエッジを丸め、ヤスリでバニッシングを付けて目を潰し、木材に付けたダイヤモンドペーストで磨いた後、再びバニッシングをかけ、最後にジャンシャンとダイヤモンドペーストで磨くという凝りようだ。

 またこのモデルを特別なものにするため、マイクロアーティスト工房の姿勢は、このモデルに2度組みを採用した。しかも、普通の2度組みと異なり、注油して1度組み立て、10日間動かした後、分解掃除して、再び組み上げたのである。廣瀬曰く「こうすることによって、初期摩耗を出し切れる」とのこと。加えて、昔の機械式時計のような巻き感を与えるべく、コハゼなども変更された。確かにその巻き感は、昔の懐中時計を思わせる。

 もっとも、この極めて凝ったモデルは、ノリタケが文字盤製造を中止したことにより、わずか数年で生産中止となってしまった。対してセイコーは、14年にその後継機を発表した。それが、より洗練された仕上げを持つ「叡智Ⅱ」である。

(左)叡智を含むマイクロアーティスト工房製の時計は、単結晶ルビーを採用する。これは、スイスのベルジョンが製作したもの。ミグラスではないが、油溜まりを大きく取った高級品である。普通、穴石は裏側から入れるが、穴石の外周の仕上げを変形させないよう、表から圧入する。(右)叡智には、ノリタケ製の磁器製文字盤が採用された。エナメルと異なり、裏に金属の基材を持たない磁器は文字盤に向かないとされる。しかし、厚さを0.7mmに増し、外周のリングで固定することで、金属文字盤に遜色のない耐久性を得た。なお、インデックスやロゴはすべて手書きである。

直径35mmの小ぶりなケース。あえてこのサイズに留めた理由は「マーベルに対するリスペクトのため」(茂木)。リュウズの先端には磁器製のプレートが埋め込まれる。

(左)搭載するCal.7R08。基本設計は量産品の7Rに同じだが、パワーリザーブを延ばすべくトルクリターンシステムが加わった。また、歯車の仕上げなどもまったく異なる。ムーブメントの素材はメッキを施さない洋銀だ。(右)叡智を特徴付けるのが、スイスの高級時計に見られる、面取りの「入り角」と「出角」である。もっとも、作業手順が決まっていなかったこともあって、エッジの仕上げには若干の個体差がある。


SPRING DRIVE “EICHI II”
叡智誕生10周年を祝うPGケースバージョン

スプリングドライブ 叡智Ⅱ GBLT998
日本製腕時計の最高峰。2018年からは18KPGケースが追加されたほか、ケース製法に鍛造が併用された。写真が示す通り、内外装の仕上げは圧巻だ。価格は安くないが、それだけの価値はある。手巻きスプリングドライブ(Cal.7R14)。41石。パワーリザーブ約60時間。18KPG(直径39mm)。30m防水。430万円。

 惜しまれつつも生産中止となった叡智。最も大きな理由は、磁器製文字盤を製造するノリタケが、その製造をやめたためだった。しかし、幸いなことに、マイクロアーティスト工房で仕上げを担当する小口哲夫は、ノリタケの絵付け教室に通い、絵付けのノウハウを得ていた。彼は3年をかけて、ひと通りの技術を習得。その中で、文字盤のベースとなる磁器のプレートも、たまたま長野県で見つけたという。2013年、マイクロアーティスト工房は新しい磁器製文字盤を社内で試作。翌14年には、叡智の後継機である「クレドール スプリングドライブ 叡智Ⅱ」のリリースにこぎつけた。目指したのは、よりシンプルな時計、である。

 このモデルは、基本的に08年の叡智を継承している。トルクリターンシステムを踏襲することで約60時間のパワーリザーブを維持したうえ、ムーブメントの仕上げはさらに改良された。初代叡智のような分かりやすさはなくなったものの、面取りは一層深く広くなり、受けの上に施す筋目もいっそう均一になった。控えめに言っても、面取りの完成度は、現行品でもトップクラスである。

 加えてセイコーは、ケースの製法も改めた。14年のモデルはケースが切削仕上げだったが、18年の18KPGモデル追加に伴い、冷間鍛造が加わるようになった。理由は、素材の組成密度を高め、キメを整えるため。その上からザラツ研磨を施すことで、ケースの面は、従来の叡智に比べて一層整うようになった。

 わずか20年足らずで、第一級の時計を作り上げたマイクロアーティスト工房。残念ながら年産は多くないが、どのモデルも、手にするだけの価値を持っている。とりわけ、非凡な完成度を誇る叡智Ⅱは、日本の時計好きならば、一度は手にすべきではないか。これほどの時計が日本から生まれたことを、筆者は素直に言祝ぎたい。

(左)叡智Ⅱで惜しいのが、一部穴石の形状である。あくまで筆者の私見だが、油溜まりを大きく取った前作の穴石のほうがいっそう魅力的だ。もっとも単結晶のため、発色は良好だ。(右)マイクロアーティスト工房内で製作される文字盤。叡智同様、インデックスとロゴは完全に手書きである。小口が、白鳳堂による特注の筆を使って、色を載せていく。なお色も彼が調合したものだ。彩色が終わったら、工房内の窯で焼き上げて色を定着させる。

ケースサイド。造形は叡智に準じるが、冷間鍛造を併用することで、面の歪みは小さくなっている。ケースはやや厚くなったが、それでも10.3mmしかない。

(左)搭載するCal.7R14は、前作が採用した、Cal.7R08の改良版。受けの割り方が変わったため別物に見えるが、基本的には、パワーリザーブ針を文字盤側から、ムーブメント側に移植しただけである。しかしコハゼや、リュウズから角穴車までの巻き上げ比を変更したことにより、巻き感は前作より少しソフトになった。(右)叡智との大きな違いが、極めて深い面取りだ。受けに施す筋目を浅くすることで、面取りがいっそう残るようになった。その深さは独立時計師に比肩する。なお、前作と異なり、受けに使われる洋銀にはメッキが施されたほか、エングレービングへの色差しも金から青に変更された。



Contact info: セイコーウオッチお客様相談室 Tel.0120-061-012


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