腕時計用のアラーム機構。その歴史と代表的モデル

FEATURE時計機構論
2019.09.06

ヴァルカン

 決定的な解決策をもたらしたのはヴァルカンだ。同社がアラームウォッチの研究開発に着手したのは1942年だった。同社の技術者ロベール・ディディシャイムはチームを編制し、時計職人だけでなく、物理学や冶金学、音響学の専門家たちをも総動員して開発に当たった。そして5年後の47年、ついに実用に足るアラームムーブメント「クリケット・キャリバー」が完成した。

 ヴァルカン独自の機構はアラームの設定時刻になると、まずハンマーが中蓋に取り付けられたピンを叩き、それによって中蓋が振動して音が発生し、さらにその音を裏蓋によって増幅するというもの。つまりケース裏蓋側の空間に音響室を設けた二重蓋構造である。また、大音量だけでなく、アラーム音を25秒間も長く響かせるために、時計用ゼンマイとは別にアラーム専用のゼンマイも備わっていた。

フィフティーズ プレジデンツ・ウォッチ ヘリテージ ローターバッハ・スペシャルエディション

ヴァルカン「フィフティーズ プレジデンツ・ウォッチ ヘリテージ ローターバッハ・スペシャルエディション」
(左)ブランドのアンバサダーを務めるドイツの俳優ハイナー・ローターバッハがセレクトした過去のモデルを参考に作られた特別モデル。1947年のオリジナルと50年代のスタイルが反映され、2015年に世界限定95本が発売された。SS×18KPG(直径42mm)。マザー・オブ・パール・ダイアル。
(右)搭載される自社開発ムーブメントCal.V-10は、オリジナルの手巻きムーブメントCal.120の流れをくむ設計で、ツインバレル、25石、1万8000振動/時。大きなハンマーが裏蓋に立てられたピンを叩き、アラーム音が約20秒鳴り続ける。

 ところで「クリケット」とは、コオロギを意味する。アラームの音色がコオロギを連想させることから名付けられたという説が一般的だが、同社の資料には、こんな興味深いエピソードも紹介されている。ロベール・ディディシャイムが開発に取り組み始めた頃、物理学者のポール・ランジュバンから、コオロギのような小さな生き物が30m以上も離れた場所からも聞こえるほど大きな音を出せる以上、複雑な機構を収めた小さな時計のケースでもほぼ同じことができるはずだと助言され、勇気づけられたというのだ。

「クリケット」は、1947年の12月、世界に先駆けてニューヨークで発表された。当時のアメリカはスイス時計産業の最大の輸出先だった。メディアによってクリスマス直前に大々的に宣伝された結果、「クリケット」を買い求める客が時計宝飾店に殺到し、品切れ状態になったという。

 目覚まし機能に限らず、多様な用途に使えるこの実用性豊かなアラームウォッチは、まずアメリカで大成功を収め、一般市民のみならず、アメリカ合衆国の大統領も愛用するようになった。ヴァルカンが歴代のアメリカ合衆国大統領に贈った「クリケット」が評判になったことがアラームウォッチ人気に拍車をかけたという伝説もあり、それも一因なのかもしれないが、実際に1950〜60年代は、スイスの時計メーカーから続々とアラームウォッチが発表されるまでになった。

ジャガー・ルクルト

メモボックス

ジャガー・ルクルト「メモボックス」
1950年に発表された最初のモデル。三角のマーカーを配したアラーム時刻の設定ディスクが以降の「メモボックス」共通の特徴となる。18KPGケースに搭載されたジャガー・ルクルト製の手巻きムーブメントCal.489のアラーム機構は、ハンマーがケースバックのピンを叩く方式だが、「マスター・レベイユ」(1994年)のCal.918や、復刻版「メモボックス」(1997年)のCal.914では、特殊なワイヤー状のゴングを叩く方式に変わり、澄んだ音を響かせる。

 その中で、ヴァルカン「クリケット」と双璧を成す古典的なモデルがジャガー・ルクルトの「メモボックス」だ。「Cricket=コオロギ」に対して、こちらの名称は「memo=備忘」と「vox=音声」を合成したもの。1950年に手巻きムーブメントを搭載して発表された初号機に続いて、56年には自動巻きキャリバー815を搭載した画期的なモデルが登場する。「メモボックス」は、アラームの時刻設定に回転ディスクを用いた独特のダイアルデザインに特徴があり、さまざまなバリエーションが作られた。

 また日本のアラームウォッチでは、1959年にシチズンから発売された「シチズン アラーム」が有名だ。同社が“国産初のベルが鳴る”と称すこの腕時計は、本中3針の手巻きムーブメントに時刻用とアラーム用の各香箱が備わり、ハンマーが裏蓋を叩いて音を発する仕組みになっている。「クリケット」の機構や「メモボックス」のデザインに通じる非常に興味深いモデルだ。

メモボックス・ポラリス

ジャガー・ルクルト「メモボックス・ポラリス」
「メモボックス」の派生モデルで最も有名なのが、ダイバーズの「ポラリス」。同社資料によれば、1962年に試作され、1965年から1970年までに1714本が製造された。ディテール違いのバリエーションが多く存在する中で、この1968年のモデルが、2008年の復刻や2018年の新しい「ジャガー・ルクルト ポラリス」コレクションのベースになった。デイト表示を加えたジャガー・ルクルト製Cal.825は、ハーフローター自動巻き。17石。1万8000振動/時。
ジャガー・ルクルト ポラリス・メモボックス

ジャガー・ルクルト「ジャガー・ルクルト ポラリス・メモボックス」
左の1968年「ポラリス」から着想を得た2018年の最新モデルは、ディテールに微妙な相違点があるが、オリジナルのヴィンテージ感をよく伝えるデザイン。外観は似ていても、ムーブメントはまったく異なる。自社製Cal.956は、全回転の自動巻きで、アラーム機構は90年代のCal.918やCal.914と同様に、ハンマーがワイヤー状のゴングを叩く方式。23石。2万8800振動/時。SS(直径42mm)。20気圧防水。世界限定1000本。142万5000円。㉄ジャガー・ルクルト TEL:0120-79-1833