日本、そして世界を代表する著名なジャーナリストたちに、ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ 2026で発表された時計からベスト5を選んでもらう企画。今回は、『ロレックスが買えない』(CCCメディアハウス)、『腕時計一生もの』(光文社新書)などの著者であり、大学教授でもある並木浩一が登場。腕時計の物語性、神話性に着目しつつ、「でも、語らなくても楽しい」と言えるような腕時計を5本選出した。なお、掲載モデルに順位はない。

パテック フィリップ「オンデマンド時・分表示とオートマトン」Ref.5249R
美術的かつ文学的な名品に感動。2時位置のプッシャー操作でレトログラードの時刻表示が作動し、また元に戻るオートマトン。モチーフとなった、キツネの甘言に引っかかってカラスがくわえたチーズを落としてしまうラ・フォンテーヌの寓話詩は、フランス語の名テクストとしてつとに有名だ。

自動巻き(Cal. 31-260 PS HMD AU)。28石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KRGケース(直径43mm、厚さ11.55mm)。3気圧防水。6512万円(税込み)。(問)パテック フィリップ ジャパン・インフォメーションセンター Tel.03-3255-8109
ヴァシュロン・コンスタンタン「ヒストリーク・アメリカン 1921」Ref.1100S/000R-H115
ルーツは1921年アメリカだから、ローリング・トゥエンティーズでジャズ・エイジ。フラッパー娘らが蠢動し始めた時期なのだから直径36.5mmが好ましく、プレ・アメリカンデコなので、白色金属よりもロゼのシャンパーニュに似たピンクゴールドが気分に合う。フィッツジェラルドは、妻ゼルダにねだられなかったのか。

手巻き(Cal.4400 AS)。21石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約65時間。18KPGケース(直径36.5mm、厚さ7.41mm)。3気圧防水。572万円(税込み)。(問)ヴァシュロン・コンスタンタン Tel.0120-63-1755
ヴァンクリーフ&アーペル「ミッドナイト ジュール ニュイ ファーズ ドゥ リュンヌ ウォッチ」
ダイアルを地表と天空に見立てて表示する“ジュール ニュイ(昼夜)”に、ムーンフェイズ(ファーズ ドゥ リュンヌ)を組み込んだ。オンデマンドで作動するアニメーション機構によって、昼間に月を呼び出して満ち欠けを見ることもできる。締め切った部屋にこもって執筆を続けた作家プルーストでも、これは賞賛するだろう。

自動巻き。パワーリザーブ約36時間。18KWGケース(直径42mm)。予価2574万円(税込み)。2026年6月発売予定。(問)ヴァン クリーフ&アーペル ル デスク Tel.0120-10-1906
ロレックス「ヨットマスター Ⅱ」
ロレックス・ワールド・セーラー・オブ・ザ・イヤーも毎年注目しているが、今年は「ヨットマスター Ⅱ」のアップデートのほうがビッグニュース。ヨットレース特有のスタート用途のカウントダウンが分針・秒針ともに逆走するという離れ技を達成、しかもリコールへの対応もボタンひとつ。事実上、世界ナンバーワンのレガッタウォッチの誕生である。

自動巻き(Cal.4162)。47石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約72時間。SSケース(直径44mm)。100m防水。300万5200円(税込み)。(問)日本ロレックス Tel.0120-929-570
IWC「ビッグ・パイロット・ウォッチ・パーペチュアル・カレンダー・セラリューム」Ref.IW505801
発光セラミックスという画期的な技術は、実に刺さる。IWCはどうしてこういう奇抜な発想を、ギミックではなく超発明レベルにインテグレートできるのか。「ただベストを尽くしているだけですよ」というクルト・クラウス氏の声が聞こえてきそうだが。

自動巻き(Cal.52616)。54石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約168時間(7日間)。セラリューム®製ケース(直径46.5mm、厚さ15.9mm)。10気圧防水。世界限定250本。1105万600円(税込み)。(問)IWC Tel.0120-05-1868
総評
腕時計には物語性がある。と言うどころか、優れた腕時計には神話性すら備わっていく。いくらでも話すことができる腕時計というのはあるものだ。語られる内容が濃くて豊富だからこそ、“話題”になる。その品を持っているときだけ話すことが許される、「トーキング・ピース」を使った対話のルールに似ている。
新作はほんらい初見なのではあるが、魅力的な品は直感力を刺激するだけでなく、記憶力を瞬間的にフル起動することもある。その品の過去、ルーツ、時代、デザイン。どこかで出会ったさまざまな物事が、連なって頭の中で映像を結び、言葉を紡いでいく。初めて見たはずのその時計を見て興奮するのは、こちらの心象のなかに触手を伸ばし、忘れられていた記憶や知識や美意識のドアを片っ端からこじ開けられているからではないのか。
今年のW&WGの新作を見ていくと、やはりそうした特別な品に目が止まる。1本の時計は存在としては等価ではあるのだが、その中には戻りがついた棘のような魅力をもち、心に刺さって抜けない品が潜んでいる。膨大な腕時計を語る仕事は、数珠玉をひとつずつ繰りながら経を唱えるように、決して手を止めてはならないはずではあるが、魅惑の品がそれを許さない。しかもそれは罰ではなくて、むしろご褒美だ。
腕時計に出会うのは楽しい。語るのは楽しい。でも、語らなくても楽しい。そんな5本を選んでみた。
選者のプロフィール

並木浩一
時計ジャーナリスト、桐蔭横浜大学教授。専門分野はメディア論、表象文化論、日本語教育、行政書士法、旅行業法。1990年代より、高級時計の取材を国内外を問わず続ける。著書に『ロレックスが買えない』(CCCメディアハウス)、『腕時計一生もの』(光文社新書)等。




