特別インタビュー! 「クレドール ロコモティブ」劇的復活。ジェラルド・ジェンタとセイコーの絆

2024.06.06

日本の時計好きにとって、この名前はひときわ格別な響きを持つ。「クレドール ロコモティブ」。かのジェラルド・ジェンタがデザインを手掛けた本作とは、当時世界をリードしていたセイコーの威信をかけたモデルだった。今年は、初代クレドールが発表されて50周年に当たる。この記念すべき年を寿ぐべく、クレドール ロコモティブを復活させたのである。しかも、ジェラルド・ジェンタ夫人であるイヴリン・ジェンタの協力を得て、だ。

クレドール50周年記念 ロコモティブ 限定モデル

クレドール50周年記念 ロコモティブ 限定モデル
クレドール50周年を記念した限定モデル。オリジナルスケッチに描かれた造形を忠実に再現したほか、ケースとブレスレットには軽くて頑強なブライトチタンを採用する。その軽快な装着感は、腕上のジュエリーを目指したジェンタの哲学を反映している。自動巻き(Cal.CR01)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。直径38.8mm、厚さ8.9mm。10気圧防水。世界限定300本(うち国内200本)。176万円(税込み)。
三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2024年7月号掲載記事]


ジェラルド・ジェンタとセイコー
“金石の交わり”の証人

セイコー クレドール・ロコモティブ KEH018

セイコー クレドール・ロコモティブ KEH018
ジェラルド・ジェンタがデザインを手掛けたブレスレットウォッチ。1979年リリース。「LOCOMOTIVE(=蒸気機関車)」の名は、クレドールコレクションを牽引してほしいというジェンタの願いから。デザイン画の説明には「セイコーのオーナーの要望によりジェンタは何度も日本を訪れ、セイコーのデザインチームと話し合った」とある。クォーツ。SS。10気圧防水。

 セイコーとジェラルド・ジェンタに、強い絆があったことはあまり知られていない。ジェンタ夫人にして、駐英モナコ大使を務めるイヴリン・ジェンタが証す。彼女は、1980年にジェラルド・ジェンタのビジネスに参画。以降、公私ともに彼を支えてきた。

「1972年に(セイコーの)服部禮次郎氏が招待状を送ってきたのです。デザインチームへスタイルについてトレーニングをしてほしいと。ジェラルドは服部氏に感銘を受け、服部氏も彼の才能に魅せられた。ジェラルドは日本には優れた質のものがあるから、それを時計に使うべきだと言っていましたね。日本の最高のものを輸出すべきだと」。実は「ジェラルド・ジェンタ」ブランドが興るきっかけも日本、そして服部家が関係している。

ジェラルド・ジェンタ

ジェラルド・ジェンタ
「時計界のピカソ」と称されたデザイナー。1931年、スイス生まれ。宝飾学校を卒業後、ジュエリーデザイナーとなる。61年、時計デザイナーに転向。69年に自身の名を冠したデザイン事務所を創設する。後にセイコーなどの助力を得て、時計メーカーに改組。2011年の死去まで、歴史的モデルを数多くデザインしたほか、複雑時計の開発にも大きな功績があった。

「ジェラルドは6本の特別な時計を製作しました。確か、永久カレンダーウォッチです。ロゴなしのね。それを展示したのが(セイコーの関連会社である)銀座の和光でした。その際、和光は著名な時計を手掛けたデザイナーによる時計と謳ったのです」。対して、あるスイスメーカーから自社の名前を使うべきではないという指摘を受けた。

「服部氏が、であれば、自分の名前で時計を作るべきと言ったのです。そこで6本の時計にジェンタの名前を入れて後に販売しました。会社設立に当たっては、セイコーを含め、いくつかの会社が手助けしてくれました」。72年に始まったジェラルド・ジェンタとセイコーのつながり。「服部禮次郎氏は箱根に彼を呼んで、5人のデザイナーに会わせ、そこで時計のデザインについて、いろいろ話し合いました。1978年のことだと思います」。ジェンタは忌憚なく語ったようだが、それが服部氏にいたく喜ばれたらしい。

クレドール50周年記念 ロコモティブ 限定モデル

1979年では実現できなかったディテールが、新作では忠実に再現された。一例がリュウズの位置。オリジナルではずれていたが、ジェンタのスケッチを再現すべく4時位置にセットされた。

「同時期に、服部氏はジェラルドに特別な時計のデザインを頼んだのです。彼はコレクションにアイコニックな時計を加えたかったのですね。デザインは普通ではない六角形、リュウズの位置も通常と違う、ブレスレットもゴージャスなものでした。ジェラルドが日本の時計で感銘を受けたのは、SSブレスレットの仕上げ。彼はスイスではこれほど完璧なポリッシュができないと言っていました。事実、ジェラルドが最初に作った6本の時計のプロトタイプは、ブレスレットの質がイマイチだったので送り返されてきましたよ」。そんなやり取りを経て完成したのが、クレドール ロコモティブだった。

イヴリン・ジェンタ

ジェラルド・ジェンタの公私にわたるパートナーが、イヴリン・ジェンタだ。現在、駐英モナコ大使およびカザフスタンの非在住モナコ大使。ジェンタがビジネスで成功を収めた大きな理由には、財務とマーケティングに長けた彼女の存在があった。「彼は本当に日本が好きでした。サムライという時計を作ったり、私に折り紙を学べと言ったりしていましたよ。断りましたけどね」。

「ロコモティブについて、伝えたいエピソードがあります。ジェラルドはいろいろなモデルを手掛けました。しかし、社外のモデルに、彼が命名したのは唯一ロコモティブだけ。つまり、ジェラルドはロコモティブのAからZまで手掛けました。ロコモティブとは文字通り〝ジェンタ・ベイビー〞なのです」

イヴリン・ジェンタ

新旧モデルを比較するイヴリン。「ジェラルドはいろんなデザインを手掛け、それらは注目を集めるようになりました。でもロコモティブは“ジェンタ・ベイビー”。私としては、ロコモティブも未来に続いてほしい」。

 スイス時計産業が日本のメーカーに脅かされていた当時、なぜジェンタはセイコーの依頼を引き受けたのか?「ジェラルドとセイコーにはフレンドシップがあったのです。そして、ジェラルドは完全に独立したアーティストでしたからね」。そして、ジェンタの才能とその先進性を彼女は強調する。

「彼は時代に先駆けていました。30年はね。ロコモティブは1979年に発売されていますが、ショーケースにあったら今の時計に見えますよね。このモデルがクレドール50周年を祝うために選ばれたのは光栄ですし、50年後もそうなるだろうと確信しています」

1979年のロコモティブと、ジェンタのデザイン画を比較するイヴリン・ジェンタ

1979年のロコモティブと、ジェンタのデザイン画を比較するイヴリン・ジェンタ。「ジェラルドが時計のデザインをするとき、これが最も重要なのですが、黒い紙にまずコンパスで丸い円を描き、その後、2本の線を引くことから始めました。彼は鉛筆を使わずに、いきなりペイントするのです。ですから、描き直しができない。それがジェラルドにとっては当たり前だったのですね」。



Contact info: セイコーウオッチお客様相談室(クレドール) Tel.0120-302-617


クレドール50周年、「ロコモティブ」が復活! ジェラルド・ジェンタの仕事をセイコーが再現

https://www.webchronos.net/news/116578/
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https://www.webchronos.net/features/112342/
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