今年のヴァン クリーフ&アーペルがリリースした「ミッドナイト ジュールニュイ ファーズ ドゥ リュンヌ ウォッチ」は、同社としては久々となる、男性を強く意識したモデルだった。いわゆる「ミッドナイト」ケースをまとい、自社開発のブラック・アベンチュリン文字盤を載せた本作は、ポエティック コンプリケーション誕生から20周年を飾るもの。プレジデント兼CEOのカトリーヌ・レニエは、これを今年の「ヒーロー・プロダクト」と明言した。しかし、女性向けに腕時計を作り続けてきた同社が、なぜ男性を意識したのか?
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2026年7月号掲載記事]
天文学こそが男性をも魅了するテーマです

フランス生まれ。ストラスブールのIECSを卒業後、アメリカでMBAを取得。北アメリカのカルティエを皮切りに、ヴァン クリーフ&アーペルでアジア・パシフィックのコマーシャルディレクターなどを経て、アジア・パシフィック全体のプレジデントに就任。2018年5月からジャガー・ルクルトのCEOに抜擢されるが、24年の9月に、ニコラ・ボスの後を継いで古巣のプレジデント兼CEOに返り咲いた。
「天文学というテーマが、自然とより男性的な解釈へと私たちを導いていく面がありますね。そう、天文学こそが、男性をも魅了するテーマではないでしょうか? そしてプラネタリウムの最初のモデルもミッドナイト ケースを採用していました。ですから今回もデイ&ナイト表示との自然な結び付きとして、ミッドナイト ケースを採用しました」
注目すべきは、この男性寄りの1本がヴァン クリーフ&アーペルのアイデンティティーを薄めるどころか、むしろ強めていることだ。文字盤のブラック・アベンチュリンはブロンズによる独特の輝きを加えた自社開発素材(!)であり、デイ&ナイト表示を担うモジュールも自社製だ。
「ムーブメントのベース自体は自社製ではありません。しかし、コンプリケーションの本質を担うモジュールはすべて自社で手掛けています。というのも、私たちが語りたいストーリーが、ムーブメントによって制限されてはならないからです」。技術はストーリーテリングに奉仕する—— それがレニエの語るヴァン クリーフ&アーペルの哲学である。

デイ&ナイト表示とムーンフェイズというふたつの複雑機構を統合した新作。一見シンプルだが、1枚は24時間周期で回転し、太陽と月の位置関係によって昼夜の移ろいを示すデイ&ナイト表示を、もう1枚は24時間16分27秒で回転し、月の満ち欠けを再現する。また作動時にはダイアル全体が約10秒で360度回転するオンデマンドの月齢の表示が備わる。自動巻き。パワーリザーブ約36時間。18KWGケース(直径42mm)。2574万円(税込み)。
驚くべきは、同社がその姿勢、あるいは哲学を一貫して保ち続けていることだ。しかもレニエは分かりやすい豪腕さからはほど遠い人物だ。「スタイルにおける一貫性とは、メゾンが長年かけて築き上げてきた極めて強固なアイデンティティー自体から生まれるものです。つまり私たちは、自分たちが何者かを知っているのですね」。短期的な環境に左右されない視点と、長年在籍するチームメンバーたちが体現してきた価値観、それがヴァン クリーフ&アーペルの統一感を支えているわけだ。
最後にひとつだけ、彼女にはお願いをした。いつの日か、かのピエール アーペルのような本格的なドレスウォッチを再びリリースしないのだろうか。シリアスなドレスウォッチが少なくなった今こそ、需要があるはずだ。より男性寄りの1本を放ったからこそ、その方向へのさらなる展開を、強く期待したい。



